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家裁からの通信

(井上博道)
第0012回 (2004/04/18)
仙台で非行問題の親子会をつくる話3(理屈編)

さて,話を続けます。

家裁をとりまく環境の変化によって家裁のケースワークはどのような転換をとげたのでしょうか。

まず,環境の変化から。
最大の変化は,当時の少年事件に多数の公安事件が入ってきたことです。これは劇的な変化ですよね。
公安事件とは,政治活動にともなう事件類型ですから,これを非行と考えることができるかどうか。ここは疑問です。
 もちろん,事件類型は一般の少年非行と同じものが多かったわけですが,本質は全く異なります。公安事件は,少年法が想定するような事件ではありませんでした。
  
 私は1980年代に家裁の調査官となったので,体験はないのですが,当時を知る調査官から,少年事件で完全黙秘を貫いた少年がいたこと,あるいは家裁調査官が審判前に不審者がいたので,捕まえてみたら公安調査官だったとかいう話は聞かされたもの
です。

 こうした話が都市伝説の類でなければ,こんな状況で少年法1条の目的や少年法22条(「審判は懇切を旨とし,和やかに行うとともに(中略)自己の非行について内省を促するものとしなければならない)が実現できたでしょうか。

 ただ,ここで注意しなければならないのは,このことだけで家裁のケースワークのあり方が代わったわけではないということです。
 政治の季節はきっかけにすぎなかったと思います。つまり,政治の季節がなかったとしても,いずれは「行動するケースワーク」のあり方は転換していたかもしれないが,政治の季節が転換の時期を早めたということです。

この時期の家裁の転換は,ケースワークからカウンセリングへという流れにありました。
とりわけ,精神分析的な考え方が柱になっていたように思います。

この背景には,次のような事情があったと思います。               (1)それ以前のケースワーク活動のあり方が,家裁調査官のマンパワーを超えるものであったこと。
(2)裁判所という枠組みとの調整が難しく,当時の裁判所の許容範囲との調整が難しかったこと。それをうち破るほどの社会的要請がなかったこと。           (3)家裁調査官がケースワークでの専門的理論や技術の構築ができなかったこと。
                              
 (1)では,現在若干の増員はあるものの家裁調査官の人員が1600名に達しておらずしかも,その半数以上は少年係ではなく,家事係調査官に貼り付けられていること,国民のサービスという視点で,多数の支部に家裁調査官を配置していることで支部段階での家裁調査官の配置がきわめて少数(多くの支部は少年係,家事係併任)なために,より負荷の高いケースワークを支えるマンパワーが継続的に維持することができなかったことにあります。
  
(2)では,裁判所におけるケースワークの許容範囲が,当時の社会情勢の下では限定的であったこと,裁判所に高いレベルのケースワークを求めるほどの社会の要請がなかったことを意味します。
「なんで,そこまでやらなければならないの」という問いですね。
裁判所内部では「裁判所は裁判をするところだから,本来の役割と違う」という主張になってあらわれました。
 
 余談ですが,今の若い裁判官の中には在宅試験観察に調査官の積極的な活動を求めず「自然観察」として,単純な処分保留状態で放置することを求める人がいます。
 これだと,家裁にはケースワークの余地がなくなりますので,調査官は楽なのですが,逆に「迅速処理」という点からは疑問が残りますね。しかし,この「自然観察」という主張は,(2)の主張の具体化でもありますので,単純な裁判官の好みの問題ではありません。
 
(3)はもっと深刻です。家裁調査官は戦後できた制度ですので,他にモデルはなくいわば,社会福祉や心理学,社会学からいろいろな概念を借用してきたといえます。
しかし,そもそも社会福祉現場と司法分野におけるケースワークは異なりますし,借り物だけで司法という固有の分野のケースワークを行うことはできません。
家裁調査官の場合,この時期に司法分野固有のケースワーク理論や技術を開発,確立できなかったことは大変残念な結果を生みました。

 家裁ができて50年以上もたつのに,いまだに「調査官の専門性とはなにか」という論議(いわゆる「専門性論争」)がなされている(最近はさすがに疲れ果て,言わなくなってはいますが)ことが,事態の深刻さを物語っています。

 これは大変深刻ですよね。
調査官自身が自分が何を専門的に行うことができるのかがわからないわけですし,家裁のケースワークのあり方の確固とした自身が持てないわけですから。

  「家裁調査官に専門性なんてない」
  「誰でもできる仕事をしている」
  「もうじき制度がなくなってしまう」
 
 など,やや自虐的に先輩調査官(なんとなくより高いポジションの人が言っているよう な感じがします。)を聞くたびに,新人調査官のこころに自虐が刷り込まれ,再生産さ れていく組織は不健全ですよね。

ちょっと脱線しますが,そういう人は主語を家裁調査官としているから間違うのであって,主語は常に「わたしは」にすべきでしょう。
それに,家裁調査官であってもサラリーマンですから,飲みにケーションや人脈がラインでは物をいいますよね。サラリーマンと割り切ってしまえば,あとは関心は,その組織でのラインの上昇に移ってしまいますので,そんな自分の「生き様」(一頃は調査官の世界の流行語でした)を調査官に仮託して語っているにすぎないように思えます。 
そもそも夢を語らない人間がラインの中で健全なマネージメントをできるはずがないと思うのですが,皆さんはどう思いますか。

専門性の確立に失敗したのは,「行動するケースワーク」の試みが,突如としてうち切 られたことが大きかったと思います。

その後の調査官の家裁での役割の論議は「調査官忍者論」といったよくわからないものやばりばりの行政官僚的な発想を含めた「裁判官の補佐機関論」といったものが目立ちました。
例えは悪いですが,裁判官を王様とすれば,調査官はその陰にあって王様に助言を与え,ただしい方向へ導くというくろこ(そういえば「調査官くろこ論」というのもありました)のような存在という議論です。
中国の皇帝はともかく,日本ではこうした人の事を「黒幕」とか「君側の奸」とか言って蔑んだものです。

1980年代には裁判官サイドから逆に「調査官不要論」が突きつけられることになってしまいます。
ただ,この時代にこころある調査官や裁判官が家裁を守り,調査官制度を守るために必死になったことは特筆にあたいすると思います。すくなくとも,こうした人たちは,若い調査官に夢を語ることができました。
  それが,次のカウンセリング時代を生み出していくのです。

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