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家裁からの通信

(井上博道)
第0018回 (2004/06/13)
成年後見制度を考える1

成年後見制度が発足して、ようやく安定した運用がおこなわれてきた。実務で仕事をしていて感じるのは,成年後見制度発足以前にあった禁治産・準禁治産に比べて成年後見制度が人々に身近になっているという現実である。
 調査官の仕事の中で成年後見制度が占める割合は,後見開始及び後見監督の二類型で全体の5割を超えている。これは動かせない現実である。過去には,禁治産や準禁治産の事件の受命件数は年間十件(つまり1割未満)あるかないかだった。
この差を見ても,成年後見制度がいかに身近であるかがわかる。
 成年後見制度は,これまで放置されてきた精神障害や痴呆その他の人たちの財産管理と施設若しくは家族の負担に頼ってきた療養看護を適正に行おうとして生まれた制度である。法務省の文献を読むとノーマライゼーションの思想が背景にあるらしい。障害やハンデキャップをもっている人たちであっても,地域や社会内で生きている体制をつくろうとするのが成年後見制度である。理念としては,まことに21世紀にふさわしい制度である。
 問題は実態。成年後見制度は,大きく分けると療養看護と財産管理に別れるわけだが,そのうち療養看護は被後見人(成年後見制度の対象となる人)の面倒をみるということだから,これはまあわかりやすい。一番のネックとなるのが財産管理である。
 成年後見開始の場合,被後見人の名義財産の不動産・預金等の子細な目録を家庭裁判所に提出しなければならない。一言で財産目録と簡単に言うが,これが普通の人にとっては難物である。だいたい成年後見人(その人の療養看護,財産管理)をしようと申し出る人は大部分がごく普通の一般的な人(家庭の主婦やサラリーマン)など)であり,財産目録をつくった経験はない。
 毎日それで仕事をしている人にとってはなんでもないことだが,これに四苦八苦する。実はここが第一のハードルである。家庭裁判所と一般の人たちのギャップに気が付かないことが多いのである。
 財産管理は成年後見制度の柱だから,ゆるがせにできない。しかも,この財産目録の提出によって,成年後見人のその後の苦難が始まるのである。財産目録が十分できない人や財産管理が曖昧な人,多くの資産を管理している人は,毎年1回は後見監督をうけることになる。成年後見人に申立の時は,多分そんなに実感していなかったと思うのだが,後見監督処分とは対象となる期間中の財産の管理状況を家庭裁判所が調査するものである。もちろん,文書で照会して回答をすれば終わりというものもあるが,呼出を受け再度財産目録を作ったり,預金の変動の説明をしたり煩わしいと思ってしまうのである。
「せっかく善意で引き受けたのに」
「疑われているようで嫌だ」
「こんなに煩雑ならば,やるんじゃなかった」
こんな感想が普通の人から出てくるのは当然かもしれない。
その一方で,被後見人が自分の意思を出せないことをいいことに,預金や財産をちゃっかり使ってしまう成年後見人がいるのだから,告発の対象となる人まで出てくるしまつである。
 人間は弱い。最初は善意でも,預金の額をみると悪心がわいてくることもあるかもしれない。その時ふみとどまれれれば,もしかしたらこんな制度はいらないのかもしれない。
 しかし,成年後見人の大多数は善意で,善良な人たちだといっても,制度というものは問題になるようなケースのために作られている。善意で,善良な人とそうでない人は,顔や雰囲気では本当は分からないから,結局は手続きはどんどん細かくかつ文書化されていく。
 それなら,いっそのこと療養看護は家族や親族,財産管理はプロがという分業体制がいいのではないか。そんな知恵が生まれてくるのは自然というものであろう。司法書士団体が成年後見サポートセンター・リーガルサポート(財団法人)をつきったり,NPOができたり,いろいろな専門団体が名乗りをあげたのは多分このためだろう。
 それでうまくいったかと言えば,必ずしもそうではない。難題があったのである。その難題とは何か。それは次回で・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 



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