No.19の記事

「テレビを見る権利」を考える

やっぱり、アナログ停波は延期を


 来年7月に、いまのテレビの「アナログ放送」が停波し、デジタル放送に全面転換することになっている。既に、「停波を延期すべきだ」という声があちこちからあがってきているが、政府も放送界も延期する気はなく、放送では「このアナログ放送は2011年7月に終了し見えなくなります」などのテロップを流すなど、キャンペーンが続いている。
 しかし、考えてみると、どうしてこんなに強圧的な姿勢でテレビの買い換えやチューナー購入を呼びかけなければならないのか。私はもし強行するなら、政府や業界が本気になって視聴者にカネを出すしかないのではないか、と思えてならない。

 まず、静岡新聞8月7日付夕刊「文化芸術」欄に寄稿した私の小文から紹介しよう。

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◎「テレビを見る権利」とアナログ放送
 来年7月24日、日本のテレビ放送は、アナログ放送を停止し、デジタル放送に全面移行することになっている。官民あげて1年前のキャンペーンが行われ、原口一博総務相は、改めて「断固推進」の決意を示した。
 だが問題はそれまでにアナログ停波の対応が間に合うかどうかだ。7月17日には、原寿雄元共同通信専務理事、清水英夫青山学院大学名誉教授ら専門家が延期を求めて提言を発表した。

 ▼間に合わない対応
 清水教授らは、@デジタル対応テレビの普及は83・8%というが、この調査では非協力的世帯や単身者世帯などが除かれているなど問題があり実態は60%台A受信機の出荷台数も、報告にはチューナー内蔵パソコンなどが含まれ、家庭のテレビがデジタルに置き替わってはいない―などを指摘。「テレビは生活に必要不可欠な情報を低コストで広く伝える重要なライフライン。それが全家庭に行きわたらないまま打ち切られれば、人々の生命と安全が脅かされる」と指摘した。
 実際、共同アンテナで視聴している建物、学校、自治体関連施設など、対応が間に合わないところは数多いほか、一般でも都市の難視聴区域や山間部の共聴アンテナの整備が遅れ、特に東京など南関東のアパート、マンションはデジタル未対応が多く、対応は到底間に合わない、という。

 ▼テレビは生活必需品
 かつて「ぜいたく品」だったテレビも、一家に1台から、部屋に1台、1人1台に近づき、既に「生活必需品」だ。
 デジタル化では、生活保護世帯などに支援措置がとられたが、放送法はNHKに「あまねく日本全国において受信できるように」することを義務づけている。これは、「テレビを見る権利」が憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の条件であることをも示している。いまや「1戸でもテレビが見られない家庭が出たら政府の責任」ではないだろうか。
そう考えると、もしこのままテレビを見られない家庭が続出すれば、それこそ受信料の不払いが増え、家主や政府への訴訟もありうるだろう。
 テレビは国民=視聴者のためのものだ。私たちには「くだらない番組」も含めて、「テレビを見る権利」があると思う。番組内容の改善を要求できるのもその視点からなのだ。
 アナログ停波の延期には、韓国も米国も柔軟に対応した。この際「なぜデジタル化か」の疑問は別にしても、この「テレビを見る権利」に基づいて、混乱を避けるためにも決断が求められているのではないだろうか。 (関東学院大教授、浜松市出身)

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 改めて考えてみたいのは、世界人権宣言を引くまでもなく、「情報に接する権利」だ。 つまり、いま、しゃにむにデジタル化を進めている政策担当者には、この問題が国民の権利に属する問題だ、と考える視点が希薄なのではないだろうか。

 この文章でもちょっと紹介したが、提言は、10項目の理由を挙げて、延期の必要性を強調している。項目だけ上げると、次のようなものだ。
 @地上デジタル放送対応テレビの絶対数が足りない。
 A80%以上とされる地上デジタル放送の世帯普及率(総務省発表)は、実態と大きくかけ離れている。
 B所得が比較的低い層の地上デジタル放送への対応が間に合わない。
 C主として低所得者向けの簡易チューナー普及策がうまくいっていない。
 D集合住宅、都市難視聴地域、山間部(いわゆる「辺地」)などの共聴受信施設の地上デジタル放送への対応が大幅に遅れている。
 Eとりわけ南関東地区(人口が多い東京・千葉・埼玉・神奈川)で地上デジタル放送への対応が大幅に遅れている。
 F関東広域圏における地上デジタル放送の必須条件とされるスカイツリー(東京・墨田区の600m級電波塔)は開業が2012年春、フルパワー送信が2012年暮れとされ、2011年7月に間に合わない。
 Gケーブルテレビのアナログ再送信は、地上デジタル放送に逆行する施策であって、ムダである。
 H2011年7月に地デジ完全移行・アナログ停波を強行するときNHK、民間放送局、総務省にかかるコスト(収入減を含む)よりも、延期したときかかるコストのほうが小さいと見込まれ、放送局や国(総務省)にとってのメリットが大きい。
 Iいわゆる電波の「跡地利用」は、延期によって、新規事業の再考時間が生まれる。
   (http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/digital/digienki.html#teigen 参照)

 ごくまともに考えても、この不況下にテレビの買い換えが家計を圧迫するのはどこでも同じだから、「1年前」と煽っても、そう早々と準備することにはならないだろう。
 第一、「見えなくなるの? それならそれでいいよ。テレビがなくても携帯のメールもネットもあるし…」という若い視聴者が少なくないことを、政府や放送局はどう考えているのだろうか。
 それに、未対応者が対応しようとしても、こんどはテレビの生産が間に合わない、というのだから話にならない。そうなったらどうなるのか。
 まず、このデジタル化が間に合わなかった世帯には、テレビが見えないのだからNHKは受信料を返さなければならない。「受信料を払え」という裁判どころか、逆に「受信料を返せ」もしくは「見えるようにしろ」という裁判が可能だろう。
 また、NHKが勝手に放送電波を止めるわけだから、その際の契約はどうなるのか、ちょっと考えても、問題は山積だ。

 社会的な出来事について、法的な視点でものを考えるということは、どういうことか、とよく考えるのだが、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」は、常に変化し、進展している。テレビが見られる、というのは、明らかに、「健康で文化的な最低限度の生活」の条件だ。
 世界人権宣言19条は「すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」と述べ、表現の自由と同時に、情報に接する権利を確認している。ついでに書くと、22条では「すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する」とも書かれている。

 このままでいったら、明らかにテレビ離れを進めることにもつながるのは明らかだ。政府と、放送に関わる全ての人々が、こうした観点から、今回の強引なデジタル化を考え直すよう、改めて求めたい。

2010/8/13