No.20の記事

「逮捕される」ということ

  「人格と人間性の否定」が冤罪を生む


 1月31日、TBSテレビのドラマスペシャル「わたしはやっていない」は、昨年、検事による証拠ねつ造で大問題になった、元厚生労働省の官僚、村木厚子さんの事件を取り上げた。「家族の支え」が大きなテーマになっていただけに、検察の不正の構造などにはあまり切り込んでいなかったが、ドラマの主人公中井章子を演じた田中美佐子さんはじめ、夫・浩一の金田明夫、長女・菜月の市川由衣、次女・実沙の大後寿々花など脇役陣も好演で、迫力あるドラマに仕上がっていた。
 ドラマで考えさせられたのは、逮捕され、拘留される場面の描写である。「はい逮捕」と口調が変わって、「電話をさせてください」という彼女に、「こちらがします」と断られ、彼女は「たいほ」と夫にメールを送るのがやっと、という状況に追い込まれる。「ポケットから全部出して」とテーブルに持ち物を全部出させられる。次は拘置所。着替えをさせられ、写真を撮られる場面…。まさに人格や、人間としての誇り、つまり人間性を全て否定される有様が、描写された。
 「ひどいじゃないの。何であんなことされなけりゃならないの?」というのが、これを見た身近な女性の感想だった。
 「捕まるとまっ裸にされて、肛門検査といって尻の穴まで調べるんだ。インテリほど、あれがこたえる。それで、何でも認めちゃうんだ…」
 記者時代、いつか分からないが、そんな話を聞いたことがある。「どうしてやってもいないことを認めてウソの自白をするんだろう…?」と先輩たちと話したときのことである。警察官にも聞いたが、どうもそれは本当らしい。「なるほど…」。私にとって、それはいつの間にか常識になっていたが、よく考えると、実はこれは大問題なのではないだろうか。
 そう考えてみると、「普通では耐えられないだろう。ほんとに、彼女はよく頑張ったなあ」と、思ってしまう。冤罪はこのあたりから生まれてくるのだ。
 もともと、仮に有罪になったとしても、人格や人間性を無視した扱いは許されるべきではない。犯罪は人間としてのルールを外れたことなのだから、それに対して刑罰が決められている。しかし、だからといって、国家が人間性を無視した扱いをするとすれば、本来、国家が課した刑罰の正当性すら疑われることになるだろう。まして、逮捕されただけで、無罪推定を受けている容疑者の場合、こんな扱いが許されるのだろうか。
 国連の人権委員会からは、代用監獄問題や、拘置所内での身体拘束などが問題にされているが、それ以前に、弁護士もないまま、被逮捕者の人格を否定し、人間としての誇りを奪って、取り調べを行う「仕組み」をもっと問題にしなければならないのではないか。
 恐らく、政令や省令、あるいはそれ以下の、ほんの「小さな決まり」によって、取り扱いは決まっているのだろうと思う。法律家も、メディアも、もっとそのことを問題にしなければいけないのではないか。
 私が現場で聞いてからは、もう10数年は経つ。その後、こうした取り扱いはどう変化したのか。それとも変わってはいないのか。容疑の内容や、警察や検察の管轄、現場によって違うのかどうか。この際、弁護士さんや、実際に逮捕された人たちに聞いてみたい。  (体験などを寄せてください。まじめに問題にしなければ、と思います)
 憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定する。逮捕した人間に、その誇りを奪い、人格を否定するような扱いをすることが、まさか「公共の福祉」ではないだろう。

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 ちょっと考えてみよう。なぜ人間は、やってもいないことを攻められ攻められ、自白してしまうのか? 
 ストーリーを押しつけて強引に認めさせる。話したことを少し変えるけれど、同じようなことを繰り返し繰り返し話させる。認めれば家に帰れる、刑が軽くなる、認めれば楽になる、と説得する。我慢しきれなくなって、やっていなくても、犯行を認めてしまう。
「自白のメカニズム」については、既にいろいろ論じられている。そしてそれは、「やり手刑事」の「落としのテクニック」と裏腹だ。人情味がある刑事が、じっくりと話し込んで説得する。取調官を信頼させるのが大事だ、という。
 しかし、よく考えてみれば、その「落としの技術」の一番の基礎にあるのが、「人格と人間性の否定」ではないだろうか。
 被疑者の人格と人間性を徹底的に破壊し、絶望させ、「どうでもいい」とあきらめさせる。その中で、わらにもすがるような気持ちで、偽りの誘導にも乗せられてしまうのではないだろうか。
そう考えてくると、最初の段階での人間性を否定したこの「小さな決まり」=人権侵害は、極めて重要だと思う。
 「人権を守る」というのは、そういうことを一つ一つ改めていくことではないだろうか。

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 ちょっと「お休み」してしまいました。
 できるだけペースを整えて続けたいと思います。
 よろしくお願いします。
            2011/02/10