No.21の記事

調書を一問一答方式に改めよ 「誤認逮捕」の再発防止をどうするのか

 PC遠隔操作事件で、少なくとも4人の無実の一般人が、逮捕され、起訴され、あるいは家庭裁判所で処分されて、大学に行かれない事態になった。
 インターネット社会、パソコン時代の犯罪、というところに焦点が当たっているが、問題はそれだけではない。「なりすまし」が行われると、すぐ捕まって犯罪人にされてしまう恐怖が私たちを襲っている。終局的には、「真実」よりも事件の「解決」を優先する警察官、検察官の「モラル」のような問題に帰着するように思えてならない。
 警察は関係者に謝罪し、捜査を検証するといっているが、「謝罪」ですむ話ではない。きちんとした賠償をすべきだし、学生への十分な回復措置をとるべきだろう。
 そこで、こうした問題が起こらないようにするのにはどうしたらいいかが問題である。「再発防止」のためには、「全面可視化」が重要だとされているが、実は、取り調べを可視化しても、見えないところで「強制」やら「説得」があれば、何のことはない。それを考えると、緊急に必要なのは、調書の書き方の改善ではないだろうか。「私は…」と始まり、自分の犯罪を整理して説明する方式の調書の書き方を「一問一答方式」に改める。これをまず第一にすべきではないだろうか。

▼「誘導」ではなく「創作の押しつけ」
 今回の事件についていえば、新聞は「自供を促した疑い」とか「誘導」とかいっているが、「動機」だの「ハンドルネームの由来」まで「説明」させていることを見れば、とても「誘導」などという代物ではない。要するに「創作」の押しつけである。
 取り調べでは、間違いなく、「君のパソコンにある以上、隠したってダメだ。認めないと、反省がないっていうことで実刑になる。認めた方が身のためだ」と説得し、「よく考えてみろ。就職活動がうまくいかず、幸せそうな子どもを見て、いらいらしたんだろう?」「君が認めなかったら、彼女がやったことになる。もっと大変なことになる」などと、迫ったに決まっている。既にそんな証言も出てきている。
 この取り調べの方式は、「早く話せよ。そうすれば楽になるよ」と自白を迫る「落としの○○刑事」に、「やりました。間違いありません」と、やってもいないことを涙ながらに認めてしまう、著名な冤罪事件と全く本質的には同じである。
 「こうなんだろう? 君の説明じゃ、うまくいかないよ。こういうことだろう?」と,つじつま合わせに苦労したりする。「創作」なのだから、説明のしようがない。取調官の説明に「間違いありません」と話を合わせるのだ。
 どうやら、今回の場合、それを警察ではなく検察までやっていたことがわかったのだから重大である。村木事件の証拠ねつ造、小澤事件の創作調書など、相手が有名人だから問題になっただけで、一般人はしょっちゅうやられている、ということになる。
 こんな「冤罪」にどう身を守ればいいのか。
 自由なはずのネットも、コンピューター規制法で随分窮屈になってきたし、一般的には犯罪に対する重罰化が進んでいる。国会に提出されている「共通番号制」では、番号化された個人情報が、横断的に検索され、名寄せすることも可能になる。ことし2月の国家公安委員長が委嘱した「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」(前田雅秀座長)では、「被疑者の虚偽供述等を処罰の対象とすること」や、被疑者・被告人が「不合理な黙秘」をした場合に、被疑者・被告人に不利益な事実を推定する「黙秘に対する推定」を認める「新しい捜査手法」の検討も報告されている。
 本当に、こんなことを認めていっていいのだろうか。

▼「弁護」とメディアの責任
 メディアはいつも「権力の発表の垂れ流しだ」と批判されている。今回も4人について、明らかに間違った。取材した記者たちは、不思議に思ったか、思わなかったか? 「当番弁護士」もいただろうに、どういう対応だったのか? 対応した弁護士は、「なりすまし」の想像力を持てなかったのか? それも深刻に考えてみる必要がある。
 「単純な愉快犯」で、事件は起きなかった。それなら、と記者はそれ以上突っ込んで取材する余裕はなかったのだろうし、疑問を持った記者も警察の説明に,とりあえず納得しなければならなかったのだろう。「微罪だし、匿名だから…」という気持ちもあったに違いない。それなら、こんな記事は書くべきではない、という議論もあるかもしれない。
 しかし、「逮捕」「起訴」「保護観察」という「権力行使」を、書かないで済ませば、問題は闇に葬られる。この「間違った権力行使」は、書かれていて初めてそれが間違いだったこともわかった。
 執拗な追及と創作の押しつけに、「負けてしまった」当事者、それを明らかにできなかった弁護士、そして事実を見抜けなかったメディア、それぞれ責任があるだろう。しかし、やはり問題は警察の捜査である。
 およそ、この世の中に確実なことはそんなにない。「事実」に対して謙虚に、忠実に、疑問があったらとことん調べて真実に近づく姿勢…。当たり前だが、そんなことを改めて強調しなければならない。

2012/10/22