No.31の記事

彼の気持ち

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「スイカの気持ち」8月5日に書いた日記にスイカの送り主からメールが来た。だいたい人の話をいい加減に聞いていると常日頃家人から非難に晒されている私である。ごめんごめん。このメールを読んであの青年がやっぱりすてきなお医者様になっていたとつくづく思いました。本筋は私の書いた通り。
 
 「まず、僕が現在勤めている病院ですが、鹿教湯と書いて”かけゆ“と読みます。18,9年前には僕自身が入院していた病院です。八百年ほど前、傷を負った鹿を猟師が追いかけていったら鹿が温泉にはいって傷をいやしていた、というありがちな伝説のある温泉で、鹿に教えてもらった湯というのでこの名がつきました。現代では温泉の効能を病気療養に活かそうという意味で、このど田舎には不似合いなほどの規模の病院があるのです。
 病気ですが、確かに先生が医科歯科大病院に見舞いに来て下さった時点では「脳にウイルスがはいって、脳の一部に損傷を・・・」というのが疑われていましたが、その後(長野に移ってから)、脳梗塞(脳を養っているたくさんの血管のウチのいくつかが閉塞し、脳の一部が死んでしまう病気)であることがわかりました。普通、若い年齢で発生する脳梗塞というのは明らかな原因があるものなのですが、僕の場合は不明のままでした。
 また、脳の障害による身体の麻痺ということで、脳性麻痺という単語を使われたのだと思いますが、実は脳性麻痺とは児がお腹にいるときから出生直後(4週まで)の間に起きた脳の病変による運動の異常と定義されています(厚生省脳性麻痺研究班、1968←古いですねえ)。脳性麻痺の定義は国により変わりますので、海外のニュースで「かれこれの後遺症で脳性麻痺になった」ということはあると思いますが、日本では脳性麻痺とは呼びません。また、年齢とともに進行する麻痺や一時的な麻痺、単に発達が遅れているだけのものも脳性麻痺には含まれません。つまり、脳性麻痺は出産の時期に起こるもので、胎盤から切り離された後、自ら呼吸を始める間の酸素の欠乏によるもの=運動機能が発達途上にある赤ちゃんに起こったことを指すのです。
 で、いろいろあって、奮闘努力の末に医師になったのはご存じの通りです。卒業当初はリハビリテーション科医を目指したのは事実で、そこから『リハビリテーション科→整形外科』と思われたのかもしれませんが、研修医時代に放射線科(画像診断)のおもしろさを知り、もちろんこの体のことも考慮の上、大きな魅力を感じ、この道に進みました。放射線科というと、末期癌の患者さんに放射線を当てて治療するのを思い浮かべるかもしれませんが、それは放射線治療で、診断と治療とは全く別の分野です。
 あと、富森さんは僕が鹿教湯病院に入院していたときの患者仲間です。僕が東病棟に入院していて、富森さんは西病棟だったのですが、たまたま言語のリハビリの時間が同じだったので知り合ったのです。弁護士さんという以外、何も知らなかったのですが、他の患者さんにはない知性と威厳を漂わせていました。」
 
 とっておきの1枚のインタビューで偶然富森先生と彼の出会いを知りました。人との出会いは不思議なものです。誤解は水に流して開所祝いに美味しいものをと奥さんとあれこれ考えてくれているんだって。うふふ、ケガの功名かしら。

 近所の定食やで見つけた招き猫。私の猫より大きくて両手まであげている。目は幸せで細くなっている。御利益ありそう。今年はサンマが大量でサンマを食べまくっています。赤い花は「朝鮮あさがお」と言うのだそうです。小さな赤い花が咲いています。