プロフィール

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名前
尾山宏
生年月日
1930年12月29日生。東京で生まれた後、北九州小倉に移住
経歴
1953年東京大学法学部卒/1956年弁護士開業 1957年愛媛県の勤務評定反対闘争に派遣される。 1988年日本教職員組合常駐顧問弁護士に。 日教組分裂で顧問辞任。 読書大好きの弁護士です。

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漢詩について

 私は、60代も半ばになって、初めて漢詩のすばらしさに気づくようになった。若いころにも唐詩百選などを読んではいたが、それはもっぱら好奇心からであり、教養が少し広くなったという以上の印象はなかった。ところが丁度私が中国人戦争被害者損害賠償訴訟にかかわるころのことである。もっともこの両者に関係があったわけではない。偶然の一致なのである。漢詩の簡潔で雄勁な表現力や人と人の世についての奥深い洞察と自然への沈潜を理解できるようになったのである。漢詩の深みを理解するには、それ相応の年輪が必要だということか。人は、その年にならないと、理解できないことがあるとよく言われるが、私における漢詩もその類であろう。
漢詩人のなかで私がもっとも好きなのは、陶潜(わが国では陶淵明の名で有名である。427年没)、杜甫(712—770年)、李白(701—762年)である。その他にも好きな中国の詩人や詩はいくらでもあるが、もっとも敬愛しているものといえば、この三人である。わが国の漢詩人では夏目漱石ただ一人である。漱石については、また後に詳しく触れる。
話を本筋にもどして、右の三人のなかでもとりわけ私の心に響くのは陶潜であり、彼の詩のなかでも最も好きな詩は、晩年の「飲酒 二十首」のなかの「飲酒 その五」である。それは、こういう詩である。
      結盧在人境   盧(いおり)を結んで人境に在り
      而無車馬喧   而(しか)も車馬の喧(かしま)しき無し
      問君何能爾   君に問う何ぞ能(よ)く爾(しか)るやと
      心遠地自偏   心遠ければ地自ずから偏なり
      采菊東籬下   菊を東籬(とうり)の下に采(と)り
      悠然見南山   悠然として南山を見る
      山気日夕佳   山気日夕に佳(よ)く
      飛鳥相与環   飛鳥(ひちょう)相与(あいとも)に環(かえ)る
      此中有真意   此の中(うち)に真意有り
      欲弁已忘言   弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る
この古い時代の詩人の詩を、アメリカ人(William Acker)が英訳しているというから驚く(欧米人の東洋文化に対する関心の強さと造詣の深さには、このほかにもしばしば驚かされている。このことについては、また後で触れる。その点現在の日本人の方が東洋の文化に無関心だと言わざるを得ない)。この詩のなかの「真意」をどう解するかが学界でも問題になっているようであり、吉川幸次郎さんは、「此の平和な美しい風景の中にこそ、真意、すなわち宇宙の真実は把握される」と解している(『陶淵明伝』中公文庫78頁)。これに対し一海知義さんは、自由Freedom としている(同書84頁)。かのアメリカ人は、A hint of truth と訳している(同書85頁)。それぞれに工夫した解釈であり、私はそのいずれにも共鳴している。
いま一つ「帰園田居」と題する陶潜の晩年の詩を挙げたい。
      少無適俗韻   少(わか)きより俗に適する韻無く
      性本愛丘山   性本(もと)丘山を愛す
      誤落塵網中   誤って塵網(じんもう)の中に落ち
      一去十三年   一去十三年
      羈鳥恋旧林   羈鳥(きちょう)旧林(きゅうりん)を恋い
      池魚思故淵   池魚(ちぎょ)故淵を思う
      開荒南野際   荒(こう)を南野の際に開かんと
      守拙帰田園   拙を守って田園に帰る
            (中略)
      戸庭無塵雑   戸庭(こてい)塵雑(じんざつ)無く
      虚室有余閨@  虚室余阯Lり
      久在樊籠裏   久しく樊籠(はんろう)の裏(うち)に在(あり)しも
      復得返自然   復(ま)た自然に返るを得たり

これは現代語訳が必要であろう。
「若いころから俗世間と調子があわず、生まれつき山や丘といった自然が好きだった。
まちがって役人生活に入り、あっという間に十三年たってしまった。かごの鳥は古巣の林を恋しく思い、池の魚は淵をなつかしむ。
南の野原で荒地を開拓しようと、世渡りべたの分を守って故郷の田舎に帰った。
            (中略)
庭先にはちり一つなく、がらんとした部屋はゆったりと静か。
長い間鳥かごにとじこめられていたが、やっと本来の自分にかえることができた。」(石川忠久監修NHK取材グループ編NHK漢詩紀行(二)46―47頁より)
この詩を好むのは、私自身が他人や世間との関係をうまくつくれない性格だからである。若いころから都会より自然を愛した。私も「かごの鳥」ではないが「林を恋しく思う」たちである。とくに大都会は、私の神経には合わない。よくも東京のような大都会に50年以上も住んでいたものだと思うし、それ以上に他人や世間とうまくつきあうことが必要とされる弁護士生活を、よくも50年も続けてきたものだと我ながら感心(寒心か)している。
今回は、これで終わりにする。