プロフィール

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名前
尾山宏
生年月日
1930年12月29日生。東京で生まれた後、北九州小倉に移住
経歴
1953年東京大学法学部卒/1956年弁護士開業 1957年愛媛県の勤務評定反対闘争に派遣される。 1988年日本教職員組合常駐顧問弁護士に。 日教組分裂で顧問辞任。 読書大好きの弁護士です。

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2006年1月

日本の民主主義についてE

             読書日記E
 民主主義を考えるうえで、いまひとつ重要なのは市民社会の確立という問題である。

 「市民」「市民社会」という言葉は、多くの日本人が知っているが、そこに歴史的に含意されたことは殆んど知られていない。実は数年前に北海道教組と弁護団が一緒になって学テ裁判の総括本として『市民のための教育をー学テの経験に照らして』(日本評論社)を出版したことがある。
ところが私のごく周辺の民主的な人々でさえ、『市民のための教育』とはいかなる意味合いのものかを知らないようであった。無理もない。わが国には市民としての自覚が乏しく、市民社会の歴史ももたない。だから「市民」「市民社会」といっても、そこに特別の意味があるとは思いもよらないのである。民主主義について長年関心を抱いてきた私にしてからが、市民社会の意義を理解するようになったのは、ごく最近のことである。

 そのきっかけとなったのは、ロバート・D・パットナムの『哲学する民主主義』(NTT出版、2001年)を読んだことであった。この本の副題には「伝統と改革の市民的構造」とある。もともとの原題は、Making Democracy Work Civic Traditions in Modern Italy である。著者のパットナムは1941年にアメリカで生まれたハーバード大学の政治学の教授である。   
イタリアでは1970年代に中央集権を改め、新たに設けられた州に権限を委譲した。これを受けてパットナムは各州の民主主義度を綿密に調査し、その結果、北・中部の州は民主度が高いのに反し、南部ではそれが低いことに気付く。そこで彼は、その要因を探るためには歴史を遡って調べてみる必要を感じ、中世イタリアまで遡ってその要因を調査した。それらの調査結果をまとめたのが本書である。
彼は、イタリア北・中部における中世の「市民共同体」を発見する(第五章「市民共同体の起源を探る」)。ローマ以北におけるコムーネ、すなわち都市国家=自治都市国家の出現である。彼は、これを「市民共同体」と言う。「市民共同体」とは、「積極的で公共心に富む市民層、政治的平等、信頼と協力の社会的織物を特徴とする」ものである。別言すれば「市民性」の発達ということである。

 以下、長くなるが、同書から引用してみよう。
 コムーネは、「垂直的な階統的秩序に依存するところが少なく、水平的な協力に活路を見出すもの」、「起源的には自発的結合体から現れた」、「その種の結合体は、近隣諸集団が相互扶助をし合い、共同防衛と経済的協力を用意すべき私的な宣誓をしたときに形成された」、「コムーネは、形成当初から公秩序に関与してきた・・・コムーネが構成員と彼らの共通利害を守ることに第一義的な関心があり、旧い体制の公的諸制度とは有機的な関係がまったくなかった・・・二〇世紀までにコムーネは、フィレンツェ、ヴェネチア、ボローニャ、ジェノバ、ミラノ、そして北・中部イタリアの他の主要都市では残すところなく形成されるに至るが、歴史的には右に見た初期の社会契約に起源がある」、「一般住民が統治にまつわる諸問題に参加した水準は、どのような基準で判断しても驚くほど高いものであった」(150ページ)。
これを読んで私は驚いた。それまで「社会契約」は、国家の統治の正統性の根拠を説明し、それによって国家の権能のありかた、その存在理由、従ってその限界を説くための最高の政治的理念ないし説明のための道具概念とばかり思っていたのである。実際にスホッブすの『リヴァイアサン』、ロックの『統治論』あるいはルソーの『社会契約論』をそのように考えていた(ただしいずれもちゃんとは読んでいない)。まさか現実に存在するものとは想像だにしなかった。それが現実に存在したというのである。その発見は、私を驚かせもし、狂喜もさせた。これあるかな、という思いであった。

 その影響を受けて中世自由都市に関心をもつようになり、増田四郎『西欧市民意識の形成』(講談社学術文庫、1995年)、鯖田豊之『ヨーロッパ封建都市』(講談社学術文庫、1994年)を読んだ。さらに近年になってトクヴィルの『アメリカの民主政治』(講談社学術文庫、1987年)を読み、これらの文献を通じて近現代の民主主義がどのような歴史的起源をもち、どのように用意され、形成されたかを知ることができた。このことは民主主義とは何かを理解するうえで、きわめて重要なことなのである。

 それらを通じて私が到達した一つの結論は、崩壊したわが国の地域社会・コミュニティの再生と市民意識・市民社会の確立が、わが国の民主化にとって必要不可欠だということである。具体的に言えば、地域の人々が共通の目的を達成するために協同するということであった。たとえばゴミ処理の問題もあれば環境保護の問題もある。そうした共通の目的を達成するために地域の人々が結集して、その目的を達成するということなどである。
 私が考えている地域とは、市町村よりももっと小規模なものである。お互いに顔が見え、名前を覚えることのできる範囲である。そこから出発しないと、崩壊したコミュニティの再生といっても実現可能性がない。そこから出発して、地域の範囲を広げ、やがて国規模にまで至って国政の民主化が実現されると考える。国政の民主化は、地域に民主主義が存立するという基盤のうえでのみ実現されるのだと思う。

 よく「公」が政治や行政に独占されていると言われるが、地域の人々が行政や政治をリードしつつ創り上げるのが、民主的社会における「公」であろう。その「公」に市民が積極的に参加し発言してこそ、民主主義が育つのである。
その目的達成のためには行政の尽力が欠かせないことは言うまでもない。行政は、このような地域住民の組織とパートナーシップを築かなければならない。むしろ地域住民が行政をリードするくらいにならなければならない。

 こうした点で私が期待を寄せるのは、NGOでありNPOである。しかしわが国は、諸先進国に比べ、NGO、NPOの力がまだ弱い。最近でこそわが国でもNGOやNPOが数多く立ち上げられるようになったが、先進諸国のそれに比べれば、わが国のそれはきわめて不十分な状態にあると言わざるを得ない。組織した人の数でも資金力でも専門スタッフを揃えるという点でも、私たちは、まだまだ努力しなければなるまい。

 ある集会でこのことを述べたが、聞いている人々には何のことか理解されなかったようだ。なかには私の発言がその人々が当面している問題と何の関係があるのかと反発を感じた人もいた。私の説明不足は否めないが、この国に民主主義を根付かせ発展させるためには、私たちは時間的にも空間的にも視野を広げる必要があると思う。

日本の民主主義についてD

私事にわたって恐縮だが、何年か前にパリにいる娘からの手紙に、「アウシュヴィッツの後で文学が成り立つか」と言って頭を抱えているフランス人がいると書いてあった。娘もよほどショックだったようだ。私も少なからぬショックを受けた。というのも日本には、「南京大虐殺の後で文学が成り立つか」とか「731部隊の後で文学が成り立つか」という問いを発した人はいないからである。
その後、ヒョンなことから、この言葉の発信源を知ることができた。  
徳永恂編著『アドルノ 批判のプリズム』(平凡社、2002年)を読んでいて、偶然に知ったのである。発信源は、ベンヤミン、アドルノ、ハーバーマスと続くフランクフルト学派のアドルノ(1903―1969年)なのである。この三者ともに私の食指が動くのだが、恐らくハーバーマスを読むのが精一杯であろう。
他にも読みたい本が数多くあるからだ。ところでアドルノの言葉は、上記とかなり異なっていて、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」というものである。彼は、ナチスが政権をとるとアメリカに亡命し、戦後の1949年にドイツに帰っている。
彼の1949年のエッセイ「文化批判と社会」の末尾近くに現れる言葉だという(同書75―76ページ参照)。少しくこの言葉の背景を見ておくと、彼は、「アウシュヴィッツをドイツの特殊事情に由来するものとは見なさない。近代という時代、いやそれどころか西洋の文明史の全体の中に深く根を下ろす出来事と捉えている。だからこそ、それは、いつ何どき反復されるやもしれない危険なのだ」(77―78ページ)。
だからこそフランス人も、他人事とは考えられないのである。彼が「もくろんだものは・・・文明と野蛮との癒合を指摘すること。『詩を書くことは野蛮だ』とは『文化は野蛮だ』の言い換えである」(78―79ページ)。ドイツ文明―西洋文明―は、ついにアウシュヴィッツを阻止することができなかったのである。アドルノによれば文明の歴史、その「歴史の全体が、自己保存をめざす人間がその道具的理性という能力を駆使して自然支配を強化してゆくプロセスとして解釈されることになる。そのプロセスのまさに『最終段階』に出現したものこそ、ナチズムという全体主義体制であり、それを象徴するのが『アウシュヴィッツ』という地名に他ならない。
文化はアウシュヴィッツに対して無力であっただけではない。文化こそが、アウシュヴィッツを生み出したのである」(同書81ページ)。
そこで考えてみるに、われわれ日本人は、とことんまで物事を突き詰めて考えることが苦手である。苦手というより「できない」と言った方がいいだろう。確かに生きていくうえでは、過去を引きずらない方がいいに決まっている。生活力という点で言えば、その方がしぶとい生活力を生むとも言える。
しかしそれでは精神的に価値のあるものは、何も残らないのではないか。過去を現在と未来とに結びつけ、とことんまで考えぬいて精神的に価値あるものを積み重ねていかない限り、民主主義は生まれないのではないか。私は、そう思う。