「残留孤児」の原点を訪ねて@ 鈴木賢士
とうとう行けなかった「集団自決の地」
9月中旬、協会杉並支部の「中国の旅」に同行し、黒龍江省を中心に東北の地を訪ねました。参加の動機は、鶏西市にある「麻山開拓団自決現場」が日程に予定されていたからです。帰国残留孤児を取材していて、そこを一度訪ねたいと思っていました。
麻山は、日本敗戦時に開拓団の婦女子が集団自決した現場です。1945年8月9日にソ連が参戦し、鶏西付近の哈達河(ハタホ)開拓団一行が牡丹江に向けて避難する途中、ソ連軍の攻撃で男は戦車の前に倒れ、女と子どもは草原で自決して、500人近くが全滅した所。
2003年4月、中国残留孤児国家賠償請求訴訟で陳述した内海忠志さん(62歳)は、麻山事件の際、母の死体の下で生き残った1人です。
墓参はOK、「慰霊」は禁止
牡丹江に着いたとき、麻山行きは中止という思いがけない報告がありました。小泉首相の靖国参拝や尖閣諸島問題を背景に中央の公安省と外務省の連名で「訪中団の慰霊行事は禁止」の通達がでた、というのです。それを無視して一部の団体があちこちで慰霊祭を行ったため、さらに規制が強化されという話。「慰霊は戦死者顕彰の色彩が強い」というのが専門家の見方です(朝日8月15日付「ことばの交差点」)。
「とくに東北は敏感です。墓参なら許されるが、慰霊は中国人の感情を逆なでする」という現地ガイドの言葉に思わず胸を突かれました。
日本人には当たり前と思える「慰霊」行事が、中国人には耐えがたい思いを抱かせるということに、はっと気づいたのです。東北を訪れる日本人は開拓団の関係者か親戚などで、亡くなった故人への追悼の気持ちが大部分でしょう。しかし、読経をともなう大がかりな慰霊式典を中国人が見れば、決して気持ちのいいものではないはずです。
立場を変えて考えれば、身内を日本兵に殺され、開拓団に土地を奪われた人びとにとっては、「加害者の慰霊など許されない」という気持ちになるのもうなずけます。
開拓団は、日本の視点では被害者ですが、中国人からは加害者とみなされるのです。「墓参はOK、慰霊はNO」の意味を深く考えるべきだと思いました。
遺骨は方正県に移された
その後、折衝の結果麻山行きは認められましたが、なんと途中で橋が壊れて通行止めとなり、中止となりました。しかし、今は麻山には何も残っていない、集団自決の遺骨はハルビン市の東方、方正県の墓に納められていると聞き、一行と離れて一人、方正県に向かいました。中国全土でただ一カ所「日本人公墓」があるのが「中日友好園林」です。
(日中友好新聞2004年11月5日号より転載)