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ワールドカップ・サッカー(W杯)は、韓国のベスト・フォー、日本の予選通過という華々しい記録を残した。それ以上に世界に強い印象を与えたのは、日韓共催の新たらしい試みと、「赤い悪魔」(Red Devils)がリードする六〇〇万韓国市民の熱狂的な応援であった。
韓国を埋め尽くした赤い人の波と「テーハンミングッ」の喚声は人々の脳裏に刻まれた。興奮と至福に酔い痴れた大群衆のエネルギーの噴出をネオ・ナショナリズムと憂慮する向きもあるが、むしろ反逆と異端の気息は韓国の内に向かっている。それに比べ「ウルトラ日本」の名称は、強大願望のナショナリズムを示唆するように思える。
「赤い悪魔」は、韓国民衆の意識下にある「反逆と異端」の表象である。「赤い悪魔」は、一九九七年ころ、インターネットによるサッカー・サポーターたちのネット・ワークとして姿を現わした。韓国では長い反共・分断の時代を通して「アカ」はタブーであった。「紅白戦」の運動会が李承晩に禁止され「青白戦」になった韓国で、赤い人海が「Be the Reds」と呼んだ。韓国の検察や情報機関では、「Be the Reds」を問題視したと言う。「悪魔」は、強大な韓国キリスト教の逆鱗に触れ、「悪魔」の使用に抗議が入った。一蹴されると、「白い天使」というサポーターグループを作ったが、すぐに赤い波涛に呑みこまれた。
光化門、ソウル市庁前を埋めた数十万の赤い群衆を、一九八七年、全斗煥独裁政権を没落させた「六月民主化大抗争」に重ね合わせようとする向きもあるが、政治志向で組織された六月の民衆と、サッカーという共通項をインターネットでつないだ個人志向の若者たちとは本質的に異なる。しかし、このマグマのような強大なエネルギーは政治や社会工学にとって垂涎の的であり、思いがけない噴出を再現するかもしれない。
さて、W杯後、両国民とも79%という高い比率で「日韓関係がより良い方向に進む」と答えている。大会を契機に日韓政府は大規模な相互交流・訪問を進め、双方の好感度が高まった。しかし、日本では「共催でよかった」が74%だが、韓国では「単独開催支持」が54%であった(『朝日新聞』7/6朝刊)。W杯で友好・交流の機運を高め、あわよくば日韓の懸案をチャラにしようという日本の意図が見え隠れするが、両国民が率直に懸案に向き合う契機とすべきであろう。
ふりかえれば、一九九八年の金大中訪日では、歴史問題に終止符を打ち未来志向型の日韓関係を築くためのボールを日本に投げたと言われている。日本は、それに周辺事態法、国旗・国歌法、盗聴法、住民基本台帳法に続いて、教科書、靖国参拝などの危険球を投げ返し、日韓関係は最悪の時期を迎えた。
日本はW杯後の、寛容な雰囲気に再び悪乗りするのか、新しい日韓関係の始まりとするのか。つまり、日本が過去清算を前提とし、「南北和解と協力の時代」を踏まえて、全面的な朝鮮半島政策を展開するのかどうかが問われている。金大統領は年初の記者会見で、(1)経済、(2)W杯・アジア・ゲームの成功、(3)対北朝鮮和解・協力の推進を三大国政課題とし、この三者は不可分にリンクしていると言明した(*1)。ところが、日本は韓国には友好、北朝鮮には敵対という二面政策を進めており、経済、W杯では日韓の利害は一致するが、対北朝鮮政策では相反している。日本の政策は韓国の対北朝鮮、さらには東アジア規模での和解と協力政策を阻害し、日韓関係の根底をゆがめている(*2)。
「ワールドカップは終わった、さあこれからは政治だ」(『朝日新聞』7/2社説)と言うが、韓国の評論家は、「サッカーは祭儀であり、時には代理戦争である。そして祭儀と戦争は常に支配集団のもっとも効果的な統治手段である」(*3)と、サッカーの元来の政治性を喝破している。だが、「……(二人の息子を賄賂事件で逮捕された金大中)政権は、この熱気を政治的に利用する統治力すら発揮できず、ただ一緒にお祭を見物するだけ」(*4)であり、状況を支配したのは「赤い悪魔」だった。「反逆と異端」の「赤い悪魔」と、ナショナリズムの「カラ元気」を煽る「ウルトラ日本」との接合点の不在が日韓政治・外交の座標を示している。
*1 南北間の平和があってこそ、国政の成功があります。経済の大跳躍も、ワールドカップとアジア大会の成功的な開催も韓半島の平和が必須条件です。
*2 これについては、拙稿「日韓新時代論再考」『木野評論』第33号(青幻舎 02年3月)を参照されたい。
*3 キム・ミョンイン「われわれはもっと熱く騒いでも好い」『ハンギョレ21』02・6・26、第415号
*4 同上
住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)による個人情報の流出や不正使用に対して、多くの人々が不安を感じ、稼動の延期を望み、延期を求める意見書を採択した自治体は六〇を超え、自民党を含む超党派の国会議員から凍結法案まで提出される事態となった。しかし、矢祭町、国分寺市、杉並区等が住基ネットから離脱し、横浜市は「市民選択制」を採用するなど、六市区町約四一一万人の不参加のまま、二〇〇二年八月五日に始動した。
混乱の原因は、なによりも政府にある。故小渕元首相は、「住基ネットの実施に当たり、政府として、民間部門を含む個人情報保護のあり方を総合的に検討し、法を含めたシステムを速やかに整備することが施行の前提だ」(一九九九年六月一〇日衆院地方行政委員会)との国会答弁を行い、改正住基法においては、「この法律の施行に当たっては、政府は、個人情報の保護に万全を期するため、速やかに、所要の措置を講ずるものとする」(附則第一条第二項)との条件がつけられた。内閣府や総務省は、個人情報保護法案を国会に提出したことで、住基法施行の条件である「所要の措置」を講じたと強弁するが、まさか法令が本則と附則とから構成されていることを知らぬはずがあるまい。附則が定める義務を懈怠したままの住基ネットの施行は違法性を免れない。あまりにも国会の意思を無視した、浅薄な法治国家・民主主義国家・日本の統治の現実ではないか。
住基ネットとは、国民に11桁の住民票コード番号をつけ、氏名、住所、性別、生年月日とその変更情報(本人確認情報)を、国の外郭団体である(財)地方自治情報センターに一元管理させるシステムをいう。なるほどどこでも住民票等が取得できるなど、住民にとっての利便がないわけではないが、本人確認情報だけでなく、それ以外の本籍、年金、国籍取得等の個人情報の漏洩につながる危険はすこぶる大きい。
いまは中央省庁と自治体が、恩給・共済年金の支給、建設業許可等の九三の事務に活用するにとどまっているが、すでに、「利用目的を厳格に審査し、システム利用の安易な拡大を図らない」といった住基法改正に当たっての国会の付帯決議を反故にして、旅券発給や婚姻届等の二六四の事務に拡大する「行政手続オンライン化整備法案」が審議されており、「公的個人認証」で必要な「電子証明書」の有効確認における利用なども予定されているようである。
地方自治情報センターの一元管理も危険きわまりないが、全国市区町村の約七〇%が、住基ネットの施設・管理を民間業者に委託しているという現実を直視すると、住基ネット運用従事者による漏洩や不正使用の危険は計り知れない。このような住基ネットによる個人の「自己情報のコントロール権」の侵害を理由にした差止訴訟が提起されたのは、住民の自己防衛としては当然の話である。
一方、住民票に記載されている事項の安全確保義務(住基法第三六条の二)を負っている自治体も、緊急時のネット接続の切断などを含む自治体独自のネットセキュリテイ対策を個人情報保護条例に書き込んだり、新たに「住基プライバシー条例」を制定したりして、自治的防衛を模索している。
危惧されるのは、住基ネット離脱自治体や住基法を「超える」条例制定を行う自治体に対する国の対応である。すでに「住基ネット離脱は違法である」との批判も聞かれ、これからは「上乗せ」条例についての国の関与も危惧されるところである。
しかし、新地方自治法によれば、自治事務である住基ネットにかかる事務に対する国の関与は、助言・勧告のほか、せいぜい是正の要求くらいしか考えられない。もし違法な国の関与があれば、国地方係争処理委員会への「審査の申出」、あるいは司法裁判所への出訴も辞さない気構えが欲しいところである。
住基ネットの先にある電子政府・電子自治体構想には、国民総背番号制度に象徴される統治の効率性を優先する危険が内在する。国家と国民との間の法治国家的な距離保障を欠いては、住民の基本的人権や自由は守れない。
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