法と民主主義2004年4月号【387号】(目次と記事)


法と民主主義4月号表紙
★特集★シリーズ・改憲阻止 改憲阻止運動を展望する
連続特集企画 「シリーズ・改憲阻止」開始にあたって……澤藤統一郎
◆改憲阻止運動を展望する─イラク戦争・自衛隊派兵を通して憲法9条の現代的意義を考える……小澤隆一
◆改憲策動とたたかうために……渡辺治
◆戦前の日本における恒久平和理念の先駆的提唱─憲法9条の源流を探る─……橋本敦
◆憲法9条の平和と前文の平和と……根本孔衛

 
シリーズ・改憲阻止 改憲阻止運動を展望する

連続特集企画「シリーズ・改憲阻止」開始にあたって
 私たち日本の法律家は、優れた憲法を有する希有な僥倖に恵まれている。
 法は常に現状を批判する機能を持つ。社会や政治・行政の現実が、規範からはずれるとき、これを批判して理念に近づける役割を担う。日本国憲法のこの点についての機能は格別である。二〇世紀中葉、私たちは現実を批判する道具として、望みうる最も優れた実体憲法を手にした。人権保障と、国民主権を徹底し、恒久平和主義を掲げる日本国憲法は、その後の長期保守政権下における反憲法的現実を鋭く批判する道具として機能し続けることとなった。
 日本の法律家は、日本国憲法の存在ゆえに、社会の進歩のために実定法を駆使しうる立場にある。実定法に準拠する法実践が、社会進歩に寄与しうるのである。
 日本国憲法は、旧憲法下の天皇主権、国家主義、軍国主義、人権軽視を鋭く批判し、その復活を許さない。また、労働権や生存権を掲げて、資本の専横を許さない。国際協調主義や司法の独立、地方自治の確立などの課題も掲げている。この骨格に、豊穣な肉付けを与えることは、主権者である国民全体の役割であるとともに、すぐれて法律家の責務でもある。

 ところが、その憲法が危機に瀕している。
 これまで、時の政権を批判する道具であった憲法は、当然のこととして時の政権に歓迎されざる存在であった。したがって、憲法が安泰であった時期はない。しかし、政権与党のみならず、野党第一党までが改憲を標榜する事態はこれまでになかったことである。
 国会の議席数においては圧倒的多数が、「改憲派」となっている。かつて堅固だった「三分の一の壁」はあとかたもない。
 二〇〇〇年一月、国会内に憲法調査会が発足した。当初の合意とは裏腹に、事実上「改憲調査会」として機能しつつある。二〇〇三年一一月の総選挙では、有力諸党が公約に改憲を掲げた。自民党は、二〇〇五年一一月の結党五〇周年までに、憲法改正草案をまとめるとまで広言している。そして、教育基本法見直し、国民投票法案の上程、と外堀を埋める計画が着々と進行しつつある。

 改憲の標的は、憲法九条であり、恒久平和主義である。
侵略戦争であった一五年戦争の惨禍を反省するところから日本国憲法は出発した。戦争放棄、武力不保持という恒久平和主義の理想が憲法九条に凝縮されている。憲法九条こそは、人類の目標であり、輝かしい記念碑でもある。また、日本が、アジア・太平洋諸地域の被侵略国に対して起草した国際公約でもある。
 私たちは、この条文こそが日本国憲法の真骨頂であると確信し、これを擁護する決意を再確認する。

 言うまでもなく、憲法運動は改憲阻止運動と同義ではない。しかし、明文改憲阻止運動は、各分野の憲法諸課題の諸潮流を統合する壮大な運動である。「法と民主主義」も、その一翼を担おうと思う。
 重大な憲法状況に鑑み、「法と民主主義」は、改憲問題の連続特集を行う。
 この連続特集を通じて、事態の背景を見極め、理論的な掘り下げを行い、具体的な運動の方法を模索したい。
 たたかうべき相手を見定め、依拠すべき味方を明らかにし、創意にあふれた運動態様の情報を交換し、法律家の役割や実践についての意見を交換して展望を見出し、改憲阻止運動のあり方について寄与をしたい。

 今号は、その最初の特集として、改憲問題の情勢と背景事情に関する小沢隆一・渡辺治両教授の論稿をお届けする。次回以後、さまざまな切り口からの運動論や理論問題に触れたい。
 多くの会員・読者の皆様に、企画のあり方についてのアイデアや、寄稿をお願いしたい。
 憲法改悪阻止のために。法律家の責任遂行のために。

(事務局長 澤藤統一郎)


 
時評●日本の政治と歴史認識

弁護士 尾山 宏

 最近の日本の政治を見ていると、右翼的潮流にのっかり、それをさらに推し進めていると言うほかはない。自衛隊のイラク派遣、小泉首相の度重なる靖国参拝、憲法改正を視野に入れた教育基本法改正の動き、学校における日の丸・君が代の暴力的ともいうべき強制、歴史教科書からの日本の加害の事実の徹底した排除、加害の事実にかかわる繰り返しての否定の動き(南京大虐殺の被害者である李秀英さんへの名誉毀損事件、百人斬り事件を事実無根とする本多勝一さんらに対する名誉毀損事件の登場)などなどがそうであるが、これらの政治的動向は、政府・与党―そしてそれを支えている多数の国民―の歴史認識の欠落が重要な要因の一つになっていると言えよう。
 もし政府・与党がまっとうな歴史認識を有していたら、状況はかなり変わったものになったであろうことは明らかである。
 たとえば昨今、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮という)の拉致問題が政府目民党やマスコミによって頻繁に取り上げられており、この問題の解決がわが国の最重要で最も喫緊な課題であるかのような観を呈している。私も、拉致は重大な人権侵害だと考えている。しかし他方で戦前の日本は、朝鮮や中国の罪のないきわめて多くの人々を強制連行し苛酷な強制労働を行なわせたことは、まぎれもない事実である。このことに口をつぐんで、自らの被害のみを声高に主張するのは、明らかにアンフェアーである。日本人は、自国民の被害と他国民の被害(加害者は日本である)とで、ダブルスタンダードを使い分けていると非難されてもやむを得まい。
 少し前に自民党の議員たちが、センター試験で、朝鮮人強制連行を出題したことに対して、責任者を明らかにせよと息巻いていた。
 この場合、彼らは、強制連行・強制労働の事実は存在しないと考えているのか、それとも事実としては認めるが、拉致問題で北朝鮮と交渉しているときにわが国の立場を不利にするようなことをするのは許されないと主張しているのであろうか。彼らは、強制連行・強制労働の事実だけでなく、南京大虐殺や慰安婦の事実も否定している。
 しかしこれらの事実は、歴史学によって学問的に証明され、家永教科書裁判や戦後補償裁判の判決においても、証拠に基づいて真実として事実認定されている。しかしそれを突きつければ、彼らの発言はやむかというに、決して止みはしない。問題は、事実の存否の点以上に彼らのメンタリティにあると、私は考えている。彼らは、たとえそれが事実であっても、それを認めたくないのである。だから加害の否認やあまりにもひどい歪曲が後から後からとめどなく出てくるのである。
 彼らは、事実を認めて謝罪することが、耐え難いほど屈辱的で自らの人格を貶めるように感じているのである。「自虐史観」という彼らが頻繁に使う言葉は、このようなメンタリティを象徴的に示していると言える。しかしこのようなメンタリティは、国内ではかなりの通用性をもつが、外国から見れば逆であろう。事実を素直に事実として認めたがらないということは、外国から見れば、いかにも狭量で閉鎖的な、あるいは誠実さに欠ける国民としか映らない。だからそのような態度をとる限り、アジア・太平洋戦争で侵略を受けたり、日本の植民地支配を受けたりした国の人々はもとより、およそ諸外国の人々から尊敬され、信頼される国民にはなり得ない。
 こうしたことが、わが国の政治を大きく歪める重要な要因の一つとなっている以上、私たちは日本の政治姿勢を正すために、このような日本人のメンタリティを改革していくことに努める必要がある。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

月が出る時空を超えて 炭鉱太郎故郷に帰る 角銅立身先生

弁護士:角銅立身先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

1946年。中元寺川はお盆でめずらしく澄んでいる。近所の子どもと川遊び。大きいガキ大将立身君。得意のカメラで自作、釣り糸セルフタイマー撮影。 博多の天神バスセンターから特急バスで七五分、田川の町に着く。国道201号線を走るバスは烏尾峠から田川の町に下って行く。町を取り囲むような低い山、削り取られた山肌。遠くに煙突。田川の町は灰色の中にあった。途中に日本セメントの大きな工場がある。門前に菜の花が咲きそこだけ春が広がっていた。石灰石の採掘で岳の上部が無くなってしまった香春岳の異形が目につく。始めてこの山を見た時五木寛之は「日本の中の異国を直感的に感じ」たという。そして地底の廃坑はこの町の下にもう一つ「異国」を造っている。「青春の門」はこの香春岳の描写から始まる。五木寛之は先生の三歳年下、ほぼ同世代のデラシネだった。
 「角銅原」という名のバス停に驚いているとバスは後藤寺の小さなバスターミナルに着いた。「角銅法律事務所まで」と告げるとタクシーの運転手はすぐに了解。日曜日の午後、田川の町にはだーれもいない。
 角銅先生の事務所は木造モルタル三階建て。縦長と横長の古めかしい大きな白い看板に黒々と「角銅立身法律事務所」と大書きされている。一階のレストランはその日はお休み、右端に細い階段がある。一直線にのびた階段は少し傾いている。踏み板は狭くぎしぎしとなる。「ごめんください佐藤です」と叫びながら登って行くと、不思議な踊り場に出る。暗くきしむ板敷きの床がなつかしい。正面に左に登る急な階段がある。階段の登り口には郵便受け、ここが玄関らしい。しずしず登るとやっと事務所にたどり着いた。角銅先生は大きな体で「あなたですか」と近づいてくる。がっちりした体と大きい声、炭鉱太郎と自認する風貌である。カウンターの後ろの窓から高い二本の煙突が見える。「蒸気機関だよ」炭坑節に歌われている旧三井伊田竪坑大煙突である。先生は私を「もっと年を取った人だと思ってた」んだって。それでちょっとどぎまぎしている。
 角銅先生が故郷田川で事務所を開いた一九六九年、三九歳の時だった。田川の地で三六年、生粋の川筋男、「肝が大きく男気に富み思いやりの深い」弁護士としてここで踏ん張り続けてきた。先生はは七五歳。昨年『男はたのしく たんこたろ弁護士』という痛快な奮闘記を発刊し、ジョギング、スイミングと自らの病をねじ伏せ、博多の病院に入院中の愛妻を見舞う日々である。娘が二人。長女は父の職業に反発し医者に。今は母の側の病院にいる。次女は先生と暮らす。長男を二回試験直前に一歳で亡くした。そのことは妻に何も聞かない。
 先生は一九二九年桃の節句に田川に生まれた。筑豊の炭鉱地帯のど真ん中、父も祖父も小さな山を持つ炭鉱一家だった。長男の先生は立身「たつみ」と命名され当然山を継ぐ事になっていた。田川には朝鮮半島から多くの労働者が流入し、部落差別も根強く、炭鉱の活気とともに、荒涼とした荒々しさがある。そんななかで立身君は不自由なく元気にのびのびと育った。一九四一年に地元の県立田川中学に入学。その年の一二月に太平洋戦争が始まる。持ち山は戦時体制で三井鉱山に併合され、学校は三年から学徒動員に。戦時色一色だった。立身君は立派な鉱山技術者になるため秋田鉱専に進学を希望していた。一九四五年二月、B29の空襲のさ中、田川から汽車に乗り継ぎ、五〇時間もかけて秋田駅にたどり着く。合格したが「現下の情勢に鑑み」七月入学。八月一四日夜から一五日朝にかけ秋田市は土崎大空襲に晒される。防空壕で夜を明かし、その日の昼過ぎ立身君達は秋田鉱専で敗戦放送を聞く。
 「日本の再建には鉄と石炭が必要」校長の言葉に励まされみんな学校にもどった。卒業後、四九年立身君は筑豊古河鉱業大峰鉱業所万才坑に就職する。角銅青年は戦後の石炭ブーム花形産業の若き技術者として現場の労働者とともに坑内に潜り働く。上級保安技術職員の資格も取り、ドイツの先端技術を取り入れ増炭と賃上げを実現。係長補佐の要職に。「角さん」「角さん」とみんなに慕われる職制だった。
 一九五六年、石炭産業の合理化の波は古河大峰にも押し寄せ、ストライキとロックアウトの激しい衝突が起きる。日経連の現地指導のもと、そのあくどさは際だっていた。炭鉱労働者の強制入坑を恐れた会社は、警察の手錠を大量に入手して、キャップランプを手錠で緊縛して強制就労が出来ないようにした。職制としてその場にいた角銅君は『労働者にこんな仕打ちをする事は許せない』と。夜も寝られないくらい悩んだ。その古河大峰闘争支援にきた諫山博先生が三〇〇〇名の炭鉱労働者の前でアジ演説。「スクラムの中に顔馴染みのない人がいたらつまみ出してください。彼らは警察官です」角銅君はうらやましいと心底思った。角銅君二八歳。オレのやってきたことは何だったんだろう。
 一九五九年に退社、三〇歳からの司法試験挑戦だった。中央大学系の勉強会に入会、六二年に合格。その間結婚もして失業保険と貯金、妻の稼ぎで生活を支えた。三交代制の仕事をしてきた切り替え力と集中力、何よりも労働現場を知る強さがあった。六五年めでたく諫山先生のいる福岡第一法律事務所に入所する。「鉱専卒のもと炭坑夫」という異色の弁護士が誕生する。
 炭鉱のガス・炭塵爆発、自然発火等の災害事件、九州各地の塵肺など炭鉱事件は角銅の独壇場。そして水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市喘息など公害事件に広がる。故郷に帰ると田川地区のあらゆる法律問題が立場の違いを越えて持ち込まれる。「時々ハラハラすることもありましたが、きちんと筋を通しながら、清濁併せのむ大らかな仕事ぶり」だったとの諫山評。弁護士会の活動もこなし地域の革新民主運動まで担った。
 豪放磊落な雰囲気の中に人の心を開かせる人懐こさが角銅先生の魅力。意外に配慮の人で思いやりの深さが心に染みるのである。古いソファで若いときから得意のカメラで写した写真を見せてもらった。「美味しい焼き肉をご馳走するから」。先生の顧問先のタクシー会社の車が呼ばれた。とびっきりの骨付きカルビとミノ、センマイをしこたま食べさせてもらった。さすが田川、半島の匂いがする。その車で空港まで送ってもらう。先生は昔、九州地区初の赤いベンツ190Eに乗っていた。地場の事件屋に何度も車を当てられるので負けないようにするためである。乗ってみたかったな二〇年間二一万キロを走った赤いベンツ。月はどっちに出たのだろうか。

角銅立身
1929年 田川市生まれ。
1948年 官立秋田鉱山専門学校卒業
1949年 古河鉱業大峰鉱業所へ就職
1965年 弁護士登録


©日本民主法律家協会