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■日本の曲がり角
今、日本が「曲がり角」にあることは、思想信条の違いを問わず誰もが感じていることだろう。どの方向に曲がるかが問われている。
今回の企画に与えられたテーマは、「アジアと憲法」である。このテーマの中で、どの方向に曲がるのが私たち(アジアの人たちと日本人)が幸せになる道なのかを探ろうとした。探る手がかりとして、二つのことを考えた。ひとつは、アジアの中での日本の未来を展望したいということ、もうひとつは、憲法九条を多面的にとらえ、未来の指針となるその豊かな内容を明らかにしたいということである。
そこで、当初の企画は、東アジアにおける平和システムの可能性と未来について、憲法、EU法、経済、NGO、歴史認識などを専門とする先生方にお集まり頂き、座談会を持ち、東アジア共同体の未来を多面的に展望しようとした。日程調整などの不備で、座談会形式ではなく各先生方に対談、或いはインタビューをお願いすることになったことを深くお詫びしたい。しかし、先生方のご協力によって、企画の趣旨は十二分に実現できたと思う。
この場を借りて感謝申し上げたい。
EUの経験から学ぶことはたくさんある。ひとつは、国家間の問題だけではなく、経済、文化、人の交流、法など、多面的に、かつ相互を連関させて考えることの重要性である。そうすると、東アジア共同体の展望が見えてくる。ふたつは、EUにおけるドイツの役割と東アジアにおける日本の役割の共通性と違いである。ドイツと日本は、経済大国であり、侵略戦争という負の遺産を負っているという点で共通性がある。しかし、ドイツが負の遺産を克服する努力をアピールしてEU統合の推進力になっているのに対して日本は逆の道を進もうとしているように思える。
今回の企画で、私たち(アジアの人たちと日本人)が幸せになる道がより豊かに、よりはっきり見えてきたような気がする。その指針は憲法九条にあるということである。日本国憲法は、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意し」、九条二項で「戦力は、これを保持しない」とした。武力ではなく、社会、経済、安全保障、法などによる総合的な紛争予防システムによって「われらの生存と安全を保持」しようとする考えである。この考えが私たち(アジアの人たちと日本人)の未来を創りあげていくと思う。
イラク戦争反対の日韓共同の取り組み、戦後補償裁判、残留孤児裁判、環境問題での共同の取り組み、NGOの活動などの実践は、広い視野でとらえた紛争予防システムの一環として大切な役割を担っていると思う。
最後に、改めて、今回の企画にご協力頂いた方々、また、原稿をお願いしながら時間の関係で掲載できなかった方々にお詫びと感謝を申し上げたい。
(弁護士/南 典男)
アテネオリンピックが終わった。
平和の祭典という。しかしこのオリンピックはその言葉に値するものであっただろうか。人類の叡智はこれを実現したであろうか。核戦争の恐怖、イラク、テロ、その他その他、人類がいま緊急に取り組まなければならない課題はたくさんあるはず、オリンピックごときにうかれて、というつもりはないが、ここで戦争の廃絶どころか、平和憲法の改悪・再軍備など大国主義へ向けられた国威昂揚の布石、ムード作りになってしまっていることはないのか。スポーツは、オリンピックは、人と人との競い合いは、平和のために、平和のうちになされるものであろう。
オリンピックの華はマラソン。近代オリンピックが始まって第一回のオリンピックは今から一〇八年前、アテネで、そのマラソンはマラトンをスタート、アテネをゴールとして行われた。今回もほぼ同じそのマラソンコースを、私は一二年前に走っている。
中学生になってすぐ結核を発病、以来サナトリアム生活を含め、長く療養、半療養生活を送ってきた。大学まで体育は実技禁止、スポーツもだめ、肺活量は人よりだいぶ少ない。死期も近いと覚悟したものだが、特効薬の普及を始めとする医学の進歩、社会保障の充実などに、そしてその根底の、日本が平和であり続けたことに恵まれて生き延びてきた。
ところが、公務員(裁判官)になった私が三五歳になって義務づけられた検査で糖尿病であることが発覚した。しかも生まれつきで、一生、糖尿病を友としていかなければいけないという。「敵よりも一日長く」がモットーの私は、日に四回もインシュリンの注射を打ちつつ、カロリー制限の「節制」と「運動」に努めることになる。登山とともに始めた運動が走ること。毎日走っていれば走る機能は向上する。ジョギングは市民マラソンに進む。五〇歳半ばでフルマラソンを走るようになる。
当時度々ギリシャに行っていた畏友の池田眞規弁護士の勧めで、アテネのランブラキス記念反核平和マラソンを走ることになる。今から一二年前の秋、五九歳であった。マラトンをスタートしてアテネまで走る、四二・一九五キロ、由緒ある正式のマラソンコース。むかしむかし伝令がアテネヘ走り、一言「勝った」と告げて死んだ、というその山づたいのコースの下を走る、クーベルタンの第一回オリンピックのマラソンコースである。
ランブラキスは浅沼稲次郎と同じように右翼に暗殺されたギリシャの革新政治家、バルカンマラソン優勝の著名なマラソンランナーであり、この名を冠した平和を愛する世界市民の国際市民マラソンが毎年ここで行われていた。海外にマラソンに行くならこういうマラソンを走りたい、私は勇躍これに参加した。ちなみに生涯初の海外旅行であった。
練習のときは別だが、晴れの市民マラソンを走るときの私のいでたちというと、ユニフォームの胸に『JJ会』の文字、「青年法律家協会裁判官部会」の略称、心から愛する友人たちとともに走るのである。その背中には妻、「みどり」の手になる、緑痕あざやかな『NO・PASARAN!』の文字。これ、「追い越し禁止」と誤り訳されそうなのだが、「奴ら(ファシスト)を通すな」という、スペイン人民戦線の合言葉である。
このユニフォームで最後尾近くを追い越されつつ走る。日本で走るとき、このユニフォームで声をかけられたことはない。しかしここアテネでは違った。「NO・PASARAN!ガンバレ」、「OH!デモクラティック」、「ジャパン、ハラキリ」、白人たちが次々に声をかけてくる。ファシズムと闘った欧米人の思いが感じられ感激する。もちろん完走、気温三五度の異常気象の中。「完走証」が書斎で、いつも私を励ましてくれている。
タイムは?着順は?それは問題にしないことにしている。参加すること、そして、長く走り続けることである。
©日本民主法律家協会