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■特集にあたって
今日の都政は、明日の国政の実験場となっている。暴走している石原都政の構図を分析し把握することの意味はここにある。
石原慎太郎は、自民党政治が小国主義的路線をとり利益誘導型政治を行っていた時代には、一介のアナクロニズム政治家にすぎず、失意の内に政界を去った。ところが、自民党政治も日本の経済も行き詰まった一九九九年、彼の「昔の歌」が支配層の政策に適合する状況となり、ふたたび脚光を浴びることになった。
その状況とは、今日本の支配層が推し進めている軍事大国化と構造改革の路線。「強い日本」を標榜する石原のイデオロギーはこれに適合するものとなった。石原は強さに美を求めて弱者を差別し、対外的には排外思想を持っている。このイデオロギーは、かつては決定的なマイナスであったが、軍事大国化にも構造改革にも必要なファクターとなっている。
これまでの自民党政治家は、地元の支持層との密接な関係を持っていた。そこには、「国内の南北格差」の現実があり、大企業本位の政治を貫徹した場合にはたちまち疲弊する中小零細企業・自営業者・その労働者・農民の声を聞かざるを得ない。ところが、いま新自由主義的構造改革は、仮借のないその切り捨てを要求する。「悩む地元」を持たない、石原慎太郎ならではの構造改革推進論である。
「軍事大国化と構造改革、これなくしては日本経済の再生はない」、これが支配層のイデオロギーであり、大企業と都市富裕層には浸透している。構造改革で痛みを余儀なくされる非富裕層にも、「痛みを我慢すればやがて経済が活性化し、よい時代が来る」という幻想を与えている。
石原都政はまことに乱暴に構造改革推進のスピードを上げた。それは、石原流教育改革に顕著となっている。もともと、中教審が教育の格差化を国の方針としている。それを都政は極端に推し進め、高校の統廃合、エリート校作り、障害児教育の切り捨てなどを実現しつつある。その障碍となるのが現場の教員の抵抗である。「日の丸・君が代」の強制と大量処分は、彼のナショナリズム指向によるものだけでなく、教員に対する統制強化策として仕組まれたものと見るべきだろう。統制によって実現が目指されているものは、一握りのエリート養成と、その他のノンエリートに選別した階層型選別教育の実現。
都市再生プロジェクトに典型的に表れている大企業に奉仕する都政か、それとも福祉を重視する、都民本位の都政か。この選択が、いま問われている。既に新自由主義先進国では、「人間生活を破壊しての経済の復活など無意味」と反省されているではないか。石原都政の危うさを総合的に見て、批判しなければならない。それが都民だけではなく国民的な課題となっている。
1.去る五月一三日、東京高裁第二〇民事部(宮崎公男裁判長)は、平頂山事件の判決を言渡した。遼寧省撫順市から判決を聴くために来日した当事者とこの裁判を支援する市民たちで、大法廷は満杯であった。テレビ撮影二分の後開廷した法廷は、裁判長が控訴棄却と費用負担の主文を朗読し、数秒で閉廷した。
満州事変の一年後である一九三二年九月一六日、関東軍の撫順炭鉱守備隊は、抗日ゲリラと村民が通じていたとの独断で一般住民の掃討を決定し、欺いて崖下に幼児を含む約三千人の村民全員を集めて機関銃で銃殺し、虐殺を隠蔽するため遺体を焼却のうえ崖を爆破して全ての遺体を埋めた。原審と控訴審は、いずれも判決で平頂山事件の「加害」と「被害」の事実を認定した。
しかし、日本政府は、この虐殺について、戦前は国際連盟に対し否定し、戦後も公式に認めることを拒み続けている。
他方で、日本政府は、この一見明白な戦争犯罪の被害者らからの謝罪と賠償要求に対し、サ条約及び日華平和条約と日中共同声明によって戦争賠償請求は放棄され、戦後補償は決着済みとして拒否する立場を貫いている、それだけに、日本の司法が、この明白な矛盾をどう判断するか注目された。しかし、裁判官たちは、「軍事力の行使はその性質上非人道的で残虐な側面を不可避的に伴うもの」と臆面もなく断定し、国際的な戦争犯罪法・国際人道法の発展を全く無視した。そのうえで、軍事力の行使が国家の権力的作用であるというだけの理由で、この大虐殺に「国家無答責の法理」を適用し、日本国の責任を免責したのである。この判決は、到底当事者はもちろん、中国の「民」の納得を得られぬものであった。
2.戦後六〇周年を迎える今年、日本は中国と韓国からかつてないほど鋭く歴史認識の問題を突きつけられている。しかも、去る五月八日、対独戦勝六〇周年祝賀式典出席のため訪問したモスクワで、中韓両国の胡錦涛国家主席と盧武鉉大統領が会談し、「北東アジアの平和と発展のために歴史認識の問題が何より重要」との認識で一致したことを表明した。歴史認識を両国共同の対日戦略にはじめて位置づけた。このような政治状況を創り出したのが、政府主導でなく、両国の「民」主導であることが従来と明らかに異なる特色である。
戦後補償裁判は、戦争犯罪による中国人被害者たち「民」を主体とし、歴史認識形成の基礎にこれらの「被害事実」をすえることが不可欠であると考えて取り組まれた。裁判では、中国政府が「戦争遺留問題」として日本政府に対し適切な解決を要求し続けている「慰安婦事件」「強制連行・強制労働事件」「遺棄毒ガス弾事件」など典型的な戦争犯罪事件が取り上げられた。一〇年間の闘いで、これら全ての「戦争犯罪事件」の「加害」と「被害」の事実を立証し「判決」で「事実認定」を勝ち取ってきた。日中両国の偽政者たちは歴史認識を語るとき、両国の「民」が共同して裁判のうえで明らかにしたこれら不動の事実についての認識を共有することが求められる。
日本は、この不動の事実に真摯に向き合う以上、被害者たちが求めてやまない「謝罪」と、独が行ったように「謝罪」の証としての「補償」を行うことを政治決断すべきである。こうしてこそ、先の侵略戦争で失った日本国と日本人に対する信頼を回復することが出来る。
昨今、あたかも靖国参拝問題が決着すれば日中・日韓関係が全て順調に行くといった論調が横行している。しかし、日本が過去を正しく克服すること抜きには、戦争被害者とその家族ら「民」の中に蓄積される反日のマグマを沈静化させ、冷却化することは出来ないことを肝に銘ずべきであろう。これは、我田引水で言うのではない。一〇年間、数え切れないほど訪中を重ねて各界の「民」と本音で付き合い、真の日中友好と北東アジアの平和のために闘ってきた一〇〇人を超える弁護士たちの共通の確信である。
(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団団長代行)
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