法と民主主義2005年12月号【404号】(目次と記事)


法と民主主義12月号表紙
★特集★自民党「新憲法草案」総力批判
  • 特集にあたって……清水雅彦
  • (総 論)日本国憲法原理の廃棄狙う「新憲法草案」……山内敏弘
  • (前 文)削られた「歴史認識」と「平和理念」……高橋利安
  • (平和主義)憲法改正の限界を超える「平和主義」の破壊……内藤光博
  • (人権総論)人権規定を弾圧装置に変える道……西原博史
  • (人権各論)部分的な復古主義と巧妙な新自由主義的改憲案……清水雅彦
  • (国会・内閣)議会制民主主義の形骸化を促進……小松 浩
  • (財政・地方自治)「福祉本位」の地方分権的租税国家を目ざせ……北野弘久
  • (改正規定)全面改憲の「外堀」としての96条……植松健一
  • 資料・自民党「新憲法草案」全文
  • 特別寄稿・「改憲大連合」ムードに手を貸すな──自民党草案と新聞論調……丸山重威
  • 投稿●学生無年金障害者裁判の最高裁における課題──障害者の所得保障と自立をめぐって─…… 高野範城
  • 判決ホット・レポート●一歩前進二歩後退─立川自衛隊宿舎イラク反戦ビラ入れ事件、高裁で逆転有罪─ ……内田雅敏
  • とっておきの一枚●元衆議院議員 田中美智子先生……佐藤むつみ
  • 司法書士からのメッセージC ●「ギャンブリング・トリートメント・コート」に見たアメリカの地域司法……稲村 厚
  • 税理士の目A●かぎりなき国民負担と軍事費急増……奥津年弘
  • 随想●ノモンハンの戦跡を訪ねて……有村一巳
  • 連載・軍隊のない国B●ヴァチカン市国……前田 朗
  • 書評●「家裁弁護士」・(新日本出版社)平山知子著……小林赫子
  • 書評●「刑事法廷証言録」・(法律文化社)吉川経夫著……上条貞夫
  • 時評●米軍再編「中間報告」と憲法……内藤 功
  • 風●2005年、本部事務局員のつぶやき……織田かおり/林敦子

 
★特集●自民党「新憲法草案」総力批判

特集にあたって
 自民党が結党五〇周年の党大会を前にして、今年一〇月に「新憲法草案」なるものを決定し、一一月の党大会で正式発表した。これはこの間公表してきた同党の憲法調査会憲法改正プロジェクトチームの「論点整理」(二〇〇四年六月)、憲法調査会憲法改正起草委員会の「憲法改正草案大綱(たたき台)〜『己も他もしあわせ』になるための『共生憲法』を目指して〜」(二〇〇四年一一月)、新憲法起草委員会の「新憲法起草委員会各小委員会要綱」(二〇〇五年四月)、新憲法起草委員会の「新憲法起草委員会要綱案」(二〇〇五年七月)、新憲法起草委員会の「新憲法草案第一次案」(二〇〇五年八月)の一つの到達点といえるものである。

 この一連の改憲案を概観すれば、まず、「国柄」「国旗及び国歌」「天皇の元首化」「国防の責務」「家庭の保護」などの規定が削除されたことに気がつく。自民党の改憲構想の根底にある復古色が大幅に後退したといえる。また、衆議院・参議院それぞれの優越、憲法裁判所の設置、道州制の導入、国家緊急権の創設など大きな改変規定も見送られた。一方で、「新しい権利」をいくつか入れ、ある意味無難な改憲案になったともいえる。

 しかし、部分的に復古主義的な規定が残り(「愛国心」につながる前文の文言や二〇条の政教分離の緩和など)、従来の憲法の平和主義を否定した(前文からの戦争の反省と平和的生存権の削除、九条二項の削除、九条の二新設による「自衛軍」規定など)。また、首相の権限強化のための諸規定(「自衛軍」の最高指揮権や衆議院の解散権の付与など)や、国と自治体との役割分担規定(九二条)などにより、首相を頂点に中央政府中心の国家体制作りの意図がうかがえるようになった。さらに、前文に憲法の基本原則として「自由主義」を新たに加えたり、営業の自由に対する政策的制約をなくすことにした(二二条の職業選択の自由からの「公共の福祉」による制約の削除)。すなわち、端的にいえば、「新憲法草案」は軍事大国化と新自由主義改革に適合的な改憲案となったのである。さらに、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変え、前文や一二条で国民の「責務」を盛り込むことで、権力制限規範としての憲法を国民行為規範としての憲法に転換することになった。

 もちろん、この自民党案がそのまま国会に提出されるか否かはわからない。先の衆議院選挙で与党が三分の二以上の議席を確保したとはいえ、参議院で改憲案を通すには民主党の賛成が必要であるからである。この「新憲法草案」をたたき台にして、今後は公明党や民主党との調整もあろうし、国民世論の動向にも影響を受けるであろう。したがって、さらに無難な改憲案になるかもしれないし、全面的な改憲ではなく、まずは九条と九六条に絞った改憲になるかもしれない。なぜなら、今回の改憲案では憲法改正に際しての国会の発議を、各議院の総議員の三分の二以上の賛成から過半数の賛成へとハードルを下げ、この規定さえ変更すれば今後の改憲が容易になるからである。

 このような状況の中で、本特集は自民党の「新憲法草案」に対して、全国様々な世代(三〇代から七〇代)の、各項目の担当者として適任の憲法研究者八名による「総力批判」を試みるものである。本特集の全体の構成としては大きく総論と各論に分け、総論は「新憲法草案」発表後から早速全面的な批判的検討をしてこられた山内敏弘氏(龍谷大学)にお願いした。一方各論は、基本的に憲法の章立てに沿う形でいくつかに分け、前文は高橋利安氏(広島修道大学)、平和主義は内藤光博氏(専修大学)、人権総論は西原博史氏(早稲田大学)、人権各論は私、国会・内閣は小松浩氏(神戸学院大学)、財政・地方自治は北野弘久氏(日本大学)、改正規定は植松健一氏(島根大学)にお願いした。なお最後に、本号を学習会テキストなどにも活用できるよう、資料として「新憲法草案」も付しておいた。

 確かに国会では改憲を志向する勢力が圧倒的多数を占めるが、「九条の会」を始めとする憲法運動の広がりや世論調査における九条への高い支持に見られるように、国会外の世論はまた別の様相を示している。今後、地域や職場・学校などで憲法学習や憲法運動を進めるにあたって、まずは憲法の専門家による本特集の分析をとっかかりにしていただければ幸いである。

(明治大学 清水雅彦)



 
時評●米軍再編「中間報告」と憲法

弁護士 内藤 功

■ 一〇月二八日の自民党「新憲法草案」は、「自衛軍」、 「国際的協調活動」、「国を守る責務」、「公益・公の秩序」「軍事裁判所」を中軸とする戦争憲法です。
 条文の文言だけでは、アメリカの戦争に馳せ参じる戦争国家という表現は出ていません。しかし、その翌日の一〇月二九日発表された、中間報告「日米同盟未来のための変革と再編」をあわせ読むと、アメリカの戦争に参加するため、軍隊中心に日本の国を変革する戦争憲法だということが明白です。

■ 米政府は、この中間報告は一切変更はないと豪語しています。日本政府に、〇六年三月まで、関係地方当局との調整を完了するよう厳命しています。在沖縄海兵隊七千名のグアムヘの移駐などは一見兵力縮減のように見えますが、実は、シュワブ沿岸の新飛行場建設、本土への米軍の訓練移駐を日本が受け入れることと引き換えにされています。
 しかも、それに伴う、グアム基地の建設経費、米軍移動輸送の大型輸送艦建造経費等までも日本負担です。「自衛隊の司令部は米軍司令部と同じ所に来い」、「米軍飛行機隊の訓練場所は沖縄に限定せず、日本本土の他の飛行場でも自在にやれるようにしてくれ」、「米軍基地の収容能力は、緊急時にあわせて大きくしてくれ」、このような好き放題の要求が出てきていることは間違いなく戦争準備の体制です。
 練幕議長先崎陸将は流石に察知し、一〇月三日高級幹部会同で「今はウオータイム(戦時)であると認識すべき」と明言しています。軍事機密を盾に米軍は個々の運用の具体的必要性を日本側に説明していないと思います。
 日本政府は、わからないままに、同盟重視の手前、全部承ってもっぱら地方自治体に押しつけようとしているのです。中国全面侵略関始後の一九三七、三八年頃の関東地方の陸海軍の飛行場用地強制取得の動きを想起させるような動きです。

■ 沖縄の闘い、座間・相模原、岩国・宮島、横田、横須賀、鹿屋、百里、新田原、築城等各地での地方自治体を先頭とする抵抗がまき起こっています。「戦車にひかれても」「ミサイルをぶちこまれても」闘うという相模原市長、座間市長の発言は気迫があります。
 この抵抗闘争の広がりつながりは、大きくなる可能性を孕んでいます。これは、基地反対関争であるだけでなく、憲法闘争の性格を帯びてくるでしょう。基地強化阻止闘争をひろげるために憲法の精神を使いましょう。
 こんな重大なことを、国会でも正式に審議せず、関係自治体に情報を渡さぬ頭越しのやり方、憲法の主権在民、議会制民主主義、地方自治、恒久平和の原則にまったく反するではないか。「憲法の精神・原則」を高く鮮明にかかげて、知事、市町村長、自治体当局と一緒に反対の運動を広げることが必要です。
 米軍自衛隊基地強化の闘いのなかで、五九年三月三〇日、東京地裁刑事一三部が砂川基地事件について「わが国に駐留する米軍は、米国が戦略上必要と判断した際にも日本区域外に出動し得るのであって、その際にはわが国が提供した施設区域はこの軍事行動のために使用されうるわけであり、戦争の惨禍がわが国に及ぶおそれは絶無ではなく、米軍の駐留を許容したわが国政府の行為は『政府の行為により再び戦争の惨禍が起きないようにすることを決意』した日本国憲法の精神に反する」と判示しました。
 また、北海道長沼町馬追山のミサイル基地事件判決のなかで、一九七三年九月七日、札幌地裁民事一部は、「(ミサイル)高射群施設やこれに併置されるレーダー等の施設基地は一朝有事の際には相手国の第一目標になるから、原告等地域住民の『平和のうちに生存する権利(憲法前文)』は侵害される危険がある」と判示しました。今読んでも新鮮です。
 基地闘争と憲法九条守る運動との合流は相互に励ましあって情勢を切り開くでしょう。
       (二〇〇五・一二・八記)


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

いつでもさよなら 潔く贅沢な日々

元衆議院議員:田中美智子先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

1979年(?)の選挙、当選の報にみんな大喜び。女、子どもが文字通り支えた選挙。真ん中の美智子さん派手な花柄のスーツ。似合っています。

 秋の秩父路は紅葉が始まり山間の木々がそれぞれに冬を迎えようとしていた。うかがう日を心待ちにしていた私と林さんはレッドアロー号に乗りこむ。約束をした日最初に電話に出たのは夫田中礼蔵さん。「美智子さん電話」の声で田中美智子さんが電話口に。一瞬で懐に飛び込んでいけるような気さくでさっぱりとした美智子さんがいた。ずーっと前から大の仲良しのおば様に久しぶりで遊びに行くような気分である。「このあたりは食べ物屋がないのでお昼は何か用意するから」と美智子さん。とんでもない。きっと礼蔵さんが作らされるに違いない。それになんて言っても病気で高齢のお二人である。

 池袋から七八分、レッドアロー号は西武秩父駅に滑り込んだ。ここから単線の秩父電鉄で白久(しろく)駅まで山間を行く。駅の人だかりに気づけばいいのにそそっかしい二人は駅を離れ、臨時運行のSLを見送ってしまう。乗れたのに。次の電車まで三〇分。やっと乗り込んだ電車は山の縁を張り付くように三峯口を目指して進む。

 美智子さんが衆議院議員の引退を決めた六八歳の時、思いつきで選んだ終の棲家は秩父の山に抱かれた荒川村である。白久駅には駅員さんが一人。美智子さんの家を聞くと即座に「お元気で凄い人ですよね。本を書かれて。私も読みました」と自慢げである。荒川村に住んで一五年になる。

 駅から五分、美智子さんの家は線路のうえに秩父の谷を見渡すように建っている。家の前は風情あるぼうぼうのススキの原。家の裏には樫の木が六本暴風壁のようにある。家の門柱のところに「九条を守れ」の看板、門を入ると信楽焼きの狸。美智子さんはもと宝塚の男役のようにパンツ姿で登場。足にはフェラガモのワーキングシューズ。おしゃれ。猫のきたろう君がのっそり。

 美智子さんは二〇〇三年の九月、「あなたの命はあと半年から一年」と担当医から死の宣告を受けた。自分で気づいた大腸ガン。六時間に及ぶ大手術で延命した。宣告を受けた日、横にいた礼蔵さんは【真っ青になって油汗をにじませ、手が心なしか震えていた。むしろその姿にびっくり。「わかりました」と言葉少なにお礼を言って、夫の手をひっぱって近くの寿司屋にかけこんだ。そして静かに話した。「人は必ずいつか死ぬ。いつかは、こうなる。初めからわかっていたことではないか。それが『今、来た』に過ぎないのであって、あたりまえのこと。八〇歳なんだから、いまさら驚くことではない。今夜はトロでも食べて、これからどうするか、ゆっくり考えよう」と落ち着かせ、ホテルに帰した。途中、交通事故にでもあわないか、と心配で】お見事美智子さん。こういうときこそ美味しい物を食べなくちゃ。

 桜の花が咲く頃には、紅葉のきれいなときには、「バイバイ」かと腹をくくった美智子さん。猛烈な勢いで死出の準備を始める。奮闘努力のかいもなく〜〔気分爽快、食欲旺盛。死の準備は着々とすすみ、すべて万端、OKなのに、死の兆候の自覚症状は少しも現れてきません〕〜「医者の言うことはちっとも当たらないと」ぼやきながら二〇〇四年一一月には「さよなら さよなら さようなら」と言う痛快洒脱なエッセイ集を出版する。

 歯切れよくちょっと伝法な文章がいきいきと踊る。面白くて潔い。美智子節炸裂である。これまで以上に刺激的で贅沢な日々、見たいものを見に行き、行きたいところに行く。食べたいものを食べ、大いに怒り喜ぶ美智子さん。【夫がまだ元気なのも幸運だ。ちょっとエゴだが、面倒見てもらって、アハハハ。あとは野となれ山となれ、先に行くほうが得。年の順で行かねばねえ。夫は六つも年下だから】「いい人生だった」だって。もう本当にうらやましい。

 美智子さんは一九二二年生まれ。「私は生まれながらの校長の娘である」二人の兄と弟がいる。父渡辺信治はジャン・ジャック・ルソーを尊敬する教育者だった。子どもは「エミール」のように育てるのが夢。「親がいじったら親以上になれない」と「わが子を無条件に信頼する」父親だった。父に叱られた記憶もない。「禁止」「命令」のない自由でのびのびとした家庭であった。美智子さんはそんななかで「優越感も劣等感も」抱かずに育ち「人種差別的な偏見」も持たなかった。父の転勤に伴って「京城」で敗戦を迎える。美智子さんは二三歳、日本女子大を卒業して女子技芸女学校の先生だった。美智子さんの自分の人生はこの日から始まった。

 どこから湧いてくるのか美智子さんには不思議な生命力と生活力がある。その波瀾万丈の人生の曲がり角に来ると、美智子さんはぐっと脚を踏み出し躊躇はない。エッセイ集「女は度胸」には余すことなくその生き方が書かれ、読む人を勇気づける。時々胸が詰まる。どうせ生きるなら人を信じ、不正を憎み、持てる力を人々のために使いたいものである。

 結核患者運動から六〇年安保。日本結婚センターカウンセリング部長、四〇歳で日本福祉大学に。「迷った時は困難な道を選べ」「えい!女は度胸!やっちゃろ」で一九七一年には大学を辞め「革新共同」として衆議院に出馬となる。礼蔵さんは「わが家の革命だ」とつぶやいた。

 二〇年間、五期一五年の議員生活はいつものとおり全身全霊をかける奮闘ぶりだった。不正義は許せない。女ヤジ将軍と呼ばれても「エイッと腹に力を入れてヤジった」「おだまり」。美智子さんがいたことで私たちはどんなに助けられたか。溜飲が下がったか。

 初当選が五〇歳になったばかりの頃、六〇歳で辞めようと思った。六八歳もう最善は尽くせないと引退する。引き際の潔さも美智子流である。

 そして荒川村へ、ただのおばさんになる決意。なれるもんですか。荒川村でも美智子さんは美智子さん。議員でなくなっただけ。豊かで贅沢な日々、講演活動や旅行、歌舞伎にピアノ。家庭菜園で農婆。子どもに英語を教え、時々悪婆ぶりで人を煙に巻く。「宅急便は皆勤賞なの」次から次と届く海の幸山の幸。「死の宣告」を受けてからもその勢いは止まない。

 「私、ガンです。でも、元気」。二四歳の時肺結核で片肺を、三二歳の時子宮外妊娠で卵巣の片方を、五二歳の時乳ガンで乳房の片方を。そして大腸ガン。人工肛門をもらったと言う。「うまいこと二つある臓器ばかりの一つを失ったんだから、どうということはない」。

 「この人は人間の格が違うんです」礼蔵さんほんとですね。

田中美智子
1922年 誕生
日本女子大学卒業(社会福祉学専攻)
名古屋家裁調停委員 元日本福祉大学助教授を経て
1972年 衆議院議員初当選、5期15年勤める。
1990年 議員引退 。秩父荒川村に居を構え、現在に至る。


©日本民主法律家協会