日民協事務局通信KAZE 2009年2・3月

 「派遣切り」という人災に未曾有の被害者


 昨年一二月二四日(水)、クリスマス・イヴに反貧困ネットワークの主催する年越し電話相談会に参加しました。
 相談会では、派遣切りにあい、寮を追い出されそうになっている人、ネットカフェを転々としている人、すでに路上生活となってしまった人など、金融危機をきっかけに生活が脅威にさらされている人たちから次々と電話が寄せられました。
 年内、福祉事務所が開いているのは一二月二六日まで。年越し相談会では、生活保護申請の必要な方からの電話を受けたら、即座にもしくは翌日、翌々日に生活保護申請に行く約束をするという方法が取られました。
 私が電話を受けた相談者の当時の所持金は約二〇〇円。名古屋で派遣切りにあい、上京したものの仕事が見つからず、今夜寝る場所がないという内容でした。電話を受けた私は、即座に、彼を迎えに行き、彼とともに福祉事務所に行き、生活保護申請書を提出しました。そして、彼の場合には、新大久保寮という寮に入所し、年末年始をしのぐことになりました。新大久保寮は劣悪ということで悪名高い簡易宿泊所でしたが、私は、とりあえず年末年始を雨露しのげる宿泊所で過ごし、年明けから生活の再建のために頑張ろうと彼を励ましました。
 それから一週間後の元旦。
 私は、元旦当日から、派遣村のテントで法律相談を行っていました。そこには、年越し相談会で生活保護申請に行った男性とは違い、年末年始、寝床を確保できなかった人たちが大勢集まっていました。
 途切れることなく続く法律相談の列。五時間で受けた法律相談は三〇名近く。境遇を聞けば、七〜八割の人が、昨年九月から一一月ころに派遣切りに会い、寮を追い出された人たち。数週間はネットカフェなどに泊まりハローワークなどで仕事を探したが、仕事が見つからず、所持金が底をついたという同じ内容の相談の繰り返しに、彼らが人災の被害者であることを痛感しました。
 ご存じのとおり、私が相談を受けた派遣村の村民の多くは、その後、生活保護申請をし、アパート転宅資金の支給を受け、アパートでの生活を開始しました。
 けれども、派遣村の村民だけが、被害者ではありません。三月末にかけて、また、多くの非正規労働者が失業すると言われています。
 生活を脅威にさらされた全ての失業者が、派遣村の村民と同様に、生活保護などの給付を受け、生活を維持できるよう、今各地で、相談会など様々な取組みが行われています。

(弁護士 安孫子理良)


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