日民協事務局通信KAZE 2010年4月

 「司法官僚裁判所の権力者たち」を読んで


 昨年末、ある友人から新藤宗幸さんの「司法官僚」(岩波新書)を知らされ、早速購入して夢中で読みました。
 今年二月初旬の、日民協拡大執行部臨時学習会の教材として、同書がとりあげられ、米倉洋子弁護士の報告で、再度読むことになりました。全司法労働組合の本部に居て長年最高裁判所の事務総局とたたかって来た私にとっては、実感として体験して来たことを、科学的に分析・研究されていますし、一九八〇年に私が全司法を退職した後のことは知らなかったことも多く、とても勉強になりました。ただ旧憲法下の軍国主義の嵐のもとでも、裁判官の独立を求めてたたかった勇気ある裁判官がいたこと、新憲法制定にもとづいて最高裁判所の裁判官を選ぶ過程で、進歩派と保守派の裁判官が激しくたたかった歴史的な事実などが記載されれば、全国の裁判官に勇気を与えるだろうと思いました。また裁判所には裁判官の八倍位の書記官や事務官などの職員が居て、裁判の進行を支えているわけですから、最高裁がこれらの職員にどんな態度をとったかを記述することは、司法行政の本質を知るうえで重要なことだと思います。
 私は一九四九年二月に福岡地方裁判所の職員となりましたが、当時は新しい裁判所法が施行されて、新憲法の趣旨を生かす裁判所の未来像が熱っぽく語られていました。新刑訴法などの白本(法令集)が全職員に配られて学習会が行われ、裁判官が予断を持たず起訴状だけで法廷の立証合戦で裁判するとか、逮捕状などの令状発布には特に基本的人権に留意すること、裁判官の一〇年の任期と再採用の制度は戦犯追放のなかった裁判官が、新憲法の趣旨に反する裁判をする者を排除するための制度だなど、夢のような話しに花が咲いたものでした。
 ところが間もなく田中耕太郎最高裁長官によって、各裁判所の裁判官会議の権限を所長や高裁長官に移譲するとか、審理促進政策や裁判官の移動問題など、司法反動化の風が吹きはじめ、最高裁事務総局の官僚行政が強化されていったので、私たちは労働組合のなかで司法制度民主化運動を起したのです。
 ある国の実状を知ろうと思えば、まずその国がどんな憲法をもっているかを調べ、裁判官がその憲法を正しく守っているかどうかを知らなければなりません。即ち裁判官はその国の象徴ともいえる存在なのです。いま日本の裁判官は無気力になっているといわれていますが、裁判官を志望した初心は忘れてはいないでしょうし、司法官僚行政に対する不満や要求をたくさんもっているはずです。フランスやドイツなどの裁判官のように、協力しあって運動し、まずその過重労働を軽減して調査や研究の時間をふやし、職場や地域で人間らしく生活ができるようにしなければ、人間らしい裁判もできないと思うのです。
 法曹界や司法に関連する人びとが一丸となって、日本の司法制度の民主化のために新たな運動を起すよう願っています。そして、日民協の司法制度研究集会において、最高裁事務総局を頂点とした司法行政機構の改革問題について、真っ正面から取り組んでほしいと考えています。

(日民協理事 吉田博徳)


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