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 法と民主主義2010年6月号【449号】(目次と記事)


法と民主主義2010年6月号表紙
特集★「地域主権」の改革と法理 その批判的検討
特集の趣旨説明に代えて………白藤博行
◆「地域主権の国づくり」と道州制………村上 博
◆「地方政府基本法」制定と地方自治法の抜本的見直し………人見 剛
◆「地域主権改革」と事務権限移譲および「義務付け・枠付け」緩和………渡名喜庸安
◆国の出先機関の抜本的改革………晴山一穂
◆「一括交付金」化の諸問題………平岡和久
◆自治体組織改革と住民自治………樹神 成
◆自治体市場化の現状とその転換………尾林芳匡

現場からの報告
◆いま、自治体はどんな状況に置かれているか………角田英昭
◆ナショナルミニマムを守り福祉の現場に自治の復権を………塚本道夫
◆「地域主権改革」で、医療崩壊が加速する危険………山本 裕


 
★「地域主権」の改革と法理 その批判的検討

特集の趣旨説明に代えて


一「地域主権」の国づくり論の始まり

 昨年の政権交代後、「地域主権改革」が民主党政権の最重要政策の一つとして掲げられた。ただ「地方分権改革」から「地域主権改革」へとキャッチフレーズは変わっても、いったい何が変わったのかの疑問は残るところである。たとえば前政権下において設置された地方分権改革推進委員会の勧告の一部は、「地方分権改革推進計画」(二〇〇九年一二月一五日閣議決定)に盛り込まれ、「義務付け・枠付けの見直し」の一部および「国と地方の協議の場の法制化」の課題は、「地域主権改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律案」(「地域主権推進一括法案」)の一内容として、今国会での成立が目指されている。しかし、いわゆる「原口プラン」(二〇〇九年一二月一四日初出、二〇一〇年三月三日修正)によれば、今夏に予定される「地域主権戦略改革大綱(仮称)」では、「地域主権改革」の固有の中身が示されることになっている。すでに第五回地域主権戦略会議(二〇一〇年五月二四日)において、「地域主権戦略(仮称)骨子案(試案)」が示され具体化の議論が進んでいる。「地域主権」は単なる政治のキャッチフレーズから、法的な意味でも鍵的な概念となっている。本特集は、これまでの「地方分権改革」を総括するだけでなく、新たに登場した「地域主権改革」の問題点を批判的に検討し、併せて憲法の「地方自治の本旨」を具体化する真正地方自治改革への希望を語る創造的批判を課題とする。

二 「複合的な疲弊」状態に陥る地方自治

 地方分権が地方自治を「複合的な疲弊」に追い込むといった「分権改革の逆機能」が全面化し、地方自治をめぐる状況は一層緊迫している。グローバル国家化の中で「脱国民化」が進行するのと同様に、自治体の大規模化政策(市町村合併論および道州制論)の推進のもとで、自治体の「脱住民化」が進行している。実際、わが国の地方自治・地方自治体は、この間の地域的不均等発展のもとで既存の不平等を甘受させられ、国家従属性・資本従属性の強化に晒されてきた。さらに国家やグローバル企業等が、自ら被るかもしれないリスクを予防するために、「地方分権改革」を利用しているようにしかみえない状況が進行している。このような状況のもとで、われわれ国民あるいは住民は、本来憲法によって保障されているさまざまな基本権や権利自由および制度価値の収奪に晒されているのである。いわば国民でも住民でもない取り扱いをされているのである。そのために国家や市場への盲目的服従から脱し、資本主義的経済効率・経済効果至上主義を否定することが緊急の課題となっている。
 筆者はこの間の分権改革を「潰憲型地方分権改革」と批判してきたが、このような「地方分権改革」・「地域主権改革」と憲法が保障する地方自治との間のどこに基本的な矛盾があり、その矛盾を解決する道は何かを探究することが喫緊の課題と考えている。この矛盾を抉り出すことで、この間の「地方分権改革」・「地域主権改革」と国民・住民要求との間の根本的矛盾が明らかになり、平和、民主主義、そしていのちと生活と権利の切実な要求を活かす方向としての真の地方自治のあり方、つまり憲法が保障する「地方自治の本旨」の実現を目指す方向性、より良き地方分権改革・地方自治改革の方向性が明らかになると考える。

三「地域主権推進一括法案」にかかる問題

1 「地域主権」概念の曖昧さ
ク「地域主権改革」の定義はなされたが
 法案では、「地域」も「主権」も「地域主権」も定義されないまま、「地域主権改革」だけが、「日本国憲法の理念の下に、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担うようにするとともに、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革」(内閣府設置法改正案第四条第一項第三号の三)と定義された。きわめて呆れた法律上の定義である。「地域主権の国づくり」を謳い、そのために「地域主権戦略会議」を法定し、「地域主権」を実現するための法改革を行おうとするにもかかわらず、「地域主権」を明確に定義できていないのである。民主党は、一九九六年の結党時の文書の中で、「地方分権の推進と地域主権・市民自治の確立」を謳っていたようであるが、問題は法制度化の問題であり、一政党の政治文書のフレーズ問題ではない。
 一歩下がって「地域主権改革」の定義として善解しようとしても、そもそも「主権」概念が用いられていないため、「地域主権改革」の定義としても成立していない。地方公共団体が「地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」ことや「住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねる」ことは、すでに地方自治法一条の二に書かれていることにすぎない。新しいことはといえば、「住民」の前に「地域」を付け加え、「地域住民」としただけである。善解すれば、同条の「自主的」は「自らの責任と判断に基づくこと、すなわち『自己決定と自己責任』を原則とすること」と解釈されている(松本英昭『新版 逐条地方自治法第五次改定版』一三頁)ところから、この「自己決定と自己責任」の主体が自治体ではなく「地域住民」としたところが胆であろうか。それなら「地域主権」というより「住民主権」といえばよい。「地域主権改革」の定義がそもそもこのようなものであるとしたら、その実体はいかなるものかと疑わざるを得ない。

ケ 「地域主権」の国づくりを謳うならば
 「地域主権改革」の定義が地方自治法を超えるものではないとすれば、「地域主権」概念をあれこれ詮索することも無駄のそしりを免れない。しかし、あえて通説的・通俗的な「主権」概念ではない「地域主権」の国づくりを謳うからには、このようなことくらいは検討しているだろうという思いを込めて、若干の指摘をしておきたい。
 かつてマルクス主義憲法学者・影山日出彌は、「主権の主体規定」論あるいは「主権の段階的構成」論とでもいうべき議論を展開していた(「地方自治の法理」『憲法の基礎理論』(勁草書房、一九七五年)三一三頁以下)。曰く、日本国憲法の地方自治保障の根本原理は国民主権にあるが、地方自治とは、国家内の地域的段階の領域におけるこの国民主権原理の存在形態であり、国政と地方自治を結合、統一する根本原理である。そして主権の主体を、国政段階では国民、地方自治の段階では一定の区域によって区分される国民、つまり住民だと規定した。つまり、国政段階での統治団体は国家であり、「国家権力」の帰属主体として国民を位置づけ、これに対して「地方自治権力」の帰属主体として住民を位置づけたのである。「住民自治(権)」は、主権の地域的主体として規定された住民の根本的地位を意味し、この住民が主体である「地方自治権力」の組織形態(すなわち政治的な生活共同体の編成)が自治体という法人格を持つ統治団体(「団体自治」)であり、この「団体自治」は「住民自治」を保障する組織原理として有意味であるとされたのである。法案の「地域主権」が、かかる意味での「主体の規定」論を意味するものであるならば検討に値しよう。
 また、ヴァイマール憲法の地方自治条項の起草にかかわったフーゴ・プロイス(Hugo Preuss)や、彼も支持したオランダの法律家フーゴ・クラッベ(Hugo Krabbe)の「法主権」論までさかのぼるものであるなら、「地域主権」論もありえよう。さらに、最近のEU化の中で盛んに議論されるところの「多層システム」論における「主権」の再構成(分割)論の模索(D.Grimmなど)を念頭におくものならば現実性はありうるかもしれない。とにかく「地域主権」を謳うならば、少なくとも「地域主権」をいうことの法的意義を示してもらいたいものである。
2「義務付け・枠付けの見直し」にかかわって〜例えば児童福祉法改正案の場合
 いわゆる「未完の分権改革」が残した問題として、事務権限の移譲の問題と並んで、いつのまにか法律による「義務付け・枠付けの見直し」、すなわち国による「立法的関与」の緩和・廃止が主要な課題とされてきた。自治体に対する国の関与(市町村に対する都道府県の関与も同様)の問題については、たしかに国(都道府県)の「行政的関与」は地方自治法で法定されたが、国(都道府県)の「立法的関与」については、法的な定義はない。そこで、「立法的関与」あるいは「義務付け・枠付けの見直し」論の意味について、児童福祉法改正案を例に考えてみよう。
 たとえば同法四五条は、「厚生労働大臣は、児童福祉施設の設備及び運営並びに里親の行う養育について、最低基準を定めなければならない。この場合において、その最低基準は、児童の身体的、精神的及び社会的な発達のために必要な生活水準を確保するものでなければならない」と定めているが、これを「都道府県は、児童福祉施設の設備及び運営について、条例で基準を定めなければならない。この場合において、その基準は、児童の身体的、精神的及び社会的な発達のために必要な生活水準を確保するものでなければならない」とする改正案が出されている。
 ここでの主な改正点は、児童福祉法という法律で、「厚生労働大臣という国の行政機関」に対して、児童福祉施設の設備と運営に関する「最低基準」の制定を義務付けているところから、「都道府県知事という行政主体」に対して、児童福祉施設の設備と運営に関する「基準」の制定を義務付けることとするわけであるから、基準の内容とその制定主体の変更は明らかである。これを法形式の観点からみれば、厚生労働大臣の「省令」という法形式から都道府県の「条例」という法形式への変更であるということになる。
 「義務付け・枠付けの見直し」という観点からすれば、義務付け・枠付けの「廃止」あるいは「条例委任」の問題ということになるが、はたしてこのような問題を国の「立法的関与」の緩和・廃止の問題として整理すること自体妥当であろうか。すなわち、児童福祉法改正案においても、法律が児童福祉施設の設備及び運営について規定している限り、法律による関与は依然として存在する。たしかに法律による関与の内容は変更されるが、それははたして「義務付け・枠付けの見直し」の問題なのか。つまり省令制定を義務付けられていた厚生労働大臣にとっては、「最低基準」制定義務から解放されるという意味で規制緩和であるが、条例制定を義務付けられる都道府県にとっては、「基準」制定という新たな事務を義務付けられることになる。これは、都道府県に対する「立法的関与」が強化されるともいえそうだし、あるいは厚生労働大臣の「最低基準」制定事務が、単なる「基準」制定事務としてではあれ、都道府県に移譲されたともいえそうである。後者であれば事務権限の移譲の問題となる。また、条例による「基準」内容については、依然として憲法および児童福祉法の規制があることに違いはない。ただし、厚生労働大臣の定める「従うべき基準」との関係では、これまでと同様、これを「最低基準」とみなして都道府県条例による「上乗せ条例」が今後も許容される保証はどこにもない。逆に、「標準」(今回の規定にはない)あるいは「参酌すべき基準」との関係では、都道府県条例による「上書き条例」の許容によって、児童福祉施設の設備及び運営の内容を「切り下げる」方向で問題になりそうである。いわゆる「上書き権」の問題が、地方分権改革推進委員会第二次勧告における「条例による補正(補充・調整・差し替え)を許容すること」といった趣旨と違った方向、つまり「切り下げ条例」として「活用」される危険があることを意味し、まさに自治体あるいは福祉の現場の危惧はここにある。
 そもそも論として考えると、自治事務に関して、しかも政治的妥協から限定された自治事務だけを対象にして「義務付け・枠付けの見直し」を問題として、また「法律」による「義付け・枠付けの見直し」ではなく、前記のごとき厚生労働大臣の定める「省令」にかかる「義務付け・枠付けの見直し」をことさら取り上げて問題にすること自体が問題であり、このような議論の仕方そのものが問題というべきであろう。しかし、一歩下がって、あえてこのような議論の枠の中で考えるとすると、そもそも法律ではなく厚生労働大臣の省令でもって「最低基準」を定めてきたことが正しかったのか。この省令による「最低基準」を削除することで、いわゆる国のナショナルミニマム責任は回避されることになるのか。憲法の生存権保障規定がある限り、国にはなおも児童福祉法にかかるさまざまなナショナルミニマム確保義務があるはずではないか。「省令委任」に代わって「条例委任」を承認するということは、法律の具体の施行にかかわって省令と条例を対等な法形式とみなすという意味か。そうだとすれば、自治体条例もまた、単なる「基準」制定とはいえ、それは憲法から自由な「基準」ではありえず、厚生労働大臣が定める「最低基準」に相当する水準が求められるものではないのか、などなど分権改革論だけに解消できない多くの検討すべき論点がある。「地域主権」を推進する側も、福祉水準の切り下げを危惧する側も、憲法が保障する地方自治の本質に立ち返った議論をすべきところであろう。

四 地方自治の憲法保障戦略
 〜人間の尊厳と地方自治の保障に向かって

 本特集のテーマにかかわって、紙幅の許す限りで個人的関心を示すと、おおむね以下のようである。各論は、個別の所収論文を読んでいただきたい。

ク「未完の分権改革」イデオロギーの呪縛
 鳩山首相が市町村合併の必要性を示唆し、原口大臣が「経団連の電子行政や道州制の方向は正しい。経団連と共通のプラットホームをつくり、タスクフォースで一緒に推進していきたい」(日本経団連タイムズ二九七二号(一〇月二九日))と提案したとおり、経団連と総務省の間で道州制タスクフォースが設置され、すでに二回の会議がもたれているところをみると(二〇〇九年一二月一一日、二〇一〇年三月二四日)、「地域主権改革」は「未完の分権改革」イデオロギーの呪縛から自由でないようにみえる。「地方分権改革」を超える錯覚を覚えさせる「地域主権改革」であるが、「地方分権改革」と「地域主権改革」との連続と断絶を冷静に分析して、「未完の分権改革」イデオロギーからの距離を測ることが重要である。

ケ 「地域主権」を語るなら「宜野湾主権」・「平和自治権」は当然
 「地域主権」の国づくりを語るならば、端的に国民主権=住民主権を基礎にした「自治体主権」を語るべきである。「地域主権改革」が「自治体主権」・「住民主権」を目指す改革というならば、たとえば基地はもういらないと主張する「宜野湾主権」を認めるべきであろうし、憲法が保障する自治権の具体化のひとつである「平和自治権」を重視すべきである。憲法が保障する価値(たとえば平和主義)からすると、「平和自治権」がきわめて根源的重要性を持つことは明らかである。外交・防衛の問題は国の役割などといった、都合のよい国と自治体との適切な役割分担論は許されない。普天間問題は、まさにこのような視点からの検討を欠かせない。

コ 全国知事会・全国市長会などは「矛盾分権」に陥ってないか? 
 「複合的な疲弊」状態に陥っている市町村の実態をよそに、さらなる「都道府県から市町村への事務移譲」や「義務付け・枠付けの見直し」を求める論調は、「矛盾脱衣」ならぬ「矛盾分権」に陥っていないか。地方自治の実態を直視すれば、「完全自治・絶対自治」あるいは「完全分権・絶対分権」のリアリティのなさはもはや明白である。自治体を国家と個人との中間に位置する中間団体として再定位することは重要であるが、同時に、「自足しえない存在」としての個人と同様に、「自足しえない存在」としての領域自治体を前提とした現代の自治・分権の議論は欠かせない。

サ 「国の地方の協議の場に関する法律案」に関連して
 自治体の国政参加が問題とされて久しいが、同時にそれは、国政への包摂あるいは国政における「共犯」の危険を孕む問題でもある。『「共犯」の同盟史』(岩波書店、二〇〇九年)の著者である豊田祐基子から、日米間の対等性を考える上で、重要な問題のひとつとして、日本は、核持ち込みにかかる「事前協議」を贅沢品としてあがめるだけで、「事前協議」さえあれば日米間の関係は対等であると思いこもうとした、という意味の指摘を聞いた。これと同様に、「国と自治体との協議の場」さえあれば、国・自治体間は対等であると思いこもうとする錯覚に陥ってはならない。「協議」の語感は双方向的・対等な関係を想起させるが、立派な国の関与のシステムであることに注意する必要がある。
 むしろ大事なのは、国・都道府県・政令市・一般市町村といった多層システム・多層民主主義の確立といった観点から、国・自治体間の関係の抜本的見直しを検討することであろう。現行地方自治法のように、国と自治体の非対等を前提とした国の関与の仕組みにとらわれることなく、国と自治体との関係を理念的対等に徹底的に近づける法的思考が重要である。たとえばそれは両者の関係を原則対等な契約関係と捉えることになるかもしれない。そうすれば両者の関係を規律する法は、ハード法だけに限られることなくソフト法の活用といった可能性もないではない。かかる意味においても、現行の地方自治法の抜本的改正と「地方政府基本法」の行方は極めて重要な課題であり、軽々な議論は許されない。

シ「新しい公共」論と「小さすぎる租税国家」
 「新しい公共」円卓会議が「『新しい公共』宣言(案)」(二〇一〇年五月一四日)を示している。「支えあいと活気がある社会」を作り出すといった「新しい公共」の理念には聞くべきものがある。しかし市場を通じた「経済的リターン」と「社会的リターン」を両立させるため、企業も「新しい公共」の重要な担い手と認め、いわば政府・市場・国民の三位一体型の公共性の担い手論、すなわち「みんな一緒に公共性」といった議論には、そう簡単に与できない。NPOの経済主体化をはじめとして、「社会的リターン」より「経済的リターン」の創出に巻き込まれてしまう危険は軽視できないからである。
 そうはいっても、自治体公共空間を維持発展させるためには、資金の集め方(税金・国債か、寄附か、直接民間資金か)、資金の使い道(予算配分の変更、たとえばコンクリートから人へ・事業仕分け)、そして資金の使い方(NPM手法など)など、さまざまな問題の検討を余儀なくされよう。その際、「小さすぎる租税国家」といった困難な課題についての検討も避けられない。 

ス 人間の尊厳の保障と充実した生存保障国家・自治体へ
 国だけではなく自治体も、国民の等価的生活関係の保障という憲法的義務から自由ではない。さらに、もはや「ナショナルミニマム」というより、国と自治体が、人間の「生存配慮・生存保障」の主体としていかなる任務を負うべきか、その際国は自治体に対していかなる支援が可能かを考えるべきときである。より具体的には、たとえば新自由主義的な「民間化・私化」から決別し、「生存保障主義」的な「再公化」・「再自治体化」へと舵を切るべきときである。

セ「自治体多様性法」の制定
 「大規模な基礎自治体」化(市町村合併)といった矛盾に満ちた「未完の分権改革」イデオロギーのもとで、なおも規模拡大の「画一化」政策は捨てられていない。小さな自治体は小さいなりに、大きな自治体は大きいなりに、その多様性が認められてこそ地方自治の存在理由が認められるはずなのに、現実は逆行している。自治体多様性の法的保障は、人及び自然の存在保障にかかわる根源的問題であり、「地方自治基本法」の制定に欠かせない考慮要素である。

(専修大学 白藤博行)


 
時評●ダム建設と地方自治・再論

(早稲田大学名誉教授)牛山 積

 私は、国土交通省の事業として進められてきた八ッ場ダムについて本誌四〇七号(二〇〇六年六月号)で論じた。たまたま原告の一人に加わった八ッ場ダム埼玉訴訟が、さる三月三一日に結審したので、あらためてこの問題について考察することにしたい。
 この住民訴訟の主たる請求の内容は、八ッ場ダム建設に係る各種負担金の支出の差止め(地方自治法二四二条の二、一項一号)と損害賠償に関するもの(同項四号)である。論点は多岐にわたるが、利水負担金と治水負担金の支出に限定して、違法性の判断のしかたをみて行くことにする。
 負担金の支出の違法性判断の枠組みについて原告側は次のように主張している。まず利水負担金について。利水負担金は、特定多目的ダム法の基本計画にダム使用権の設定の申請にもとづいてダム使用権設定者と定められた者が負担すべきものとされているが、客観的必要性のない水利権を確保するために費用を支出することは地方自治法二条一四項が定める「最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」義務および地方財政法四条一項が定める同様の義務に違反する。また、特ダム法一二条によって、申請者は、利水の必要がない場合、自由にダム使用権設定の申請を取り下げて、負担金の支出を免れることができる。この取り下げをせず漫然と負担金の支払をすることは、違法な財務会計行為と評価される。
 治水負担金は、河川法六三条により、国土交通大臣が行う河川の管理により著しく利益を受ける都府県が負担するものである。この場合でも都府県は地方自治法二条一四項、地方財政法四条一項の義務を負っている。国は、利根川本川の基準点における基本高水流量を二万二〇〇〇縺^秒としたうえ八ッ場ダム建設は必要だとしているが、この数値は根拠を欠き、想定されているカスリン台風が再来しても、現状ですでに対応可能であるからダム建設は不要であり、また建設した場合でも治水効果は極めて乏しいからこの点からも不要である。したがって、関係都県が本件ダムよって著しい利益を受ける事実はないから、国土交通大臣が治水負担金の支出を求める根拠は客観的には存在しない。この場合、埼玉県についていえば、県は地方財政法二五条三項にもとづき、かかる違法な負担金の納付を拒否し、また既払分の返還を請求する権利を有するから、この権利を行使しないまま、漫然と納付通知に従って支出決定をすることは違法である。
 以上のような判断の枠組みに従って、利水負担金および治水負担金支出の違法性を裏付ける事実の立証を行っている。そのために注がれたエネルギーは極めて大きい。
 八ッ場ダム訴訟は一都五県で合計六件提訴され、すでに四地裁判決が下されている。いずれも原告側敗訴である(すべて控訴中)。
 東京訴訟(東京地判平二一・五・一一)によると、利水負担金については、水道局長の八ッ場ダムによる水源確保が必要であるとの判断は合理的な裁量の範囲を逸脱したものではないとして、治水負担金については、国土交通大臣の納付通知に、著しく合理性を欠きそのために予算執行の適正確保の見地から看過しえない瑕疵が存するとは認められないとして、原告側の請求を棄却している。一言で評すれば、行政に追随した判決である。
 審理の過程で、地方自治体が国の判断に依存し、主体的な行政を怠ってきたこと、国の政策決定がずさんな根拠によって正当化されてきたことが明らかになってきた。八ッ場ダム訴訟が地方自治を一歩進めるために果すべき役割は大きい。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

熱き実践税財政法

日本大学法学部名誉教授北野弘久先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

2001年日本大学法学部図書館にて。先生70歳。撮影は三男の北野謙氏。プロのカメラマン、さすがにうまい。後ろは先生が心血注いだ図書館。この一枚の写真は、一苦学生が古稀まで研究生活を続けてこられたことの「感謝」を示すものとして選ばれた。

 二〇〇九年七月二五日、北野先生は帯広にいた。帯労連結成二〇周年記念講演「北野先生から日本国憲法を学ぶ」。当日の様子が労連のホームページに記載。「日本大学法学部名誉教授の北野弘久先生の講演会は小泉・竹中路線をバッサリ。かれらのやってきた新自由主義政策の破綻と矛盾について解明し、相次ぐ労働法制の改悪による規制緩和・派遣労働者の増大によってもそれは『日本の恥』だと指摘しました。憲法は『応能負担』を要求しているのであり、生活費非課税など税金の取り方・使い方についても憲法・税財政論を展開しました。『応能負担』に従って税制を再編成すれば、消費税も上げる必要なし、国の財政もまやかしだらけ、それは説得力のある誰もが納得するストレートな憲法であり参加した聴衆にとっては二度と経験のできないようなすばらしい時間を集中できました」。北野節炸裂である。あふれる情熱でバッサバッサと不正義を斬る「むずかしいことをわかりやすく、わかやすいことをふかく、ふかいことをゆかいに」先日旅立った井上ひさし氏の座右の銘のとおりである。
 北野先生はこの日もすてきな背広姿、いつもおしゃれでセンス良い。ここ一〇年いつ会ってもいい感じ。知的でさわやかなコーディネイトは美人の誉れ高い妻八江さんの技。元気で早口、熱くってせっかち、北野先生は二〇〇八年に喜寿を迎えても全国を飛び回っていた。「私個人としては喜寿にはあまり意味を認めておりません」とお祝いを断っていたくらいである。
 ところが鉄人北野に病が。それも白血病。担当医から治療はもちろん外出も控えるように言われる。感染症で発熱する、倦怠感、動悸、めまいなどつらい症状が先生を襲う。北野先生は病気を隠して「人生最後のライフワークとして『フランチャイズ規制法要綱』を二〇〇九年の一二月二四日クリスマスイブの日に完成させ」法律時報二〇一〇年三月号に掲載された。「研究者生命をかけた」という。北野先生この頃お見かけしないなと思っていたらこんなことになっていたんだ。電話の声はいつも通りで「病気えっ」と思うくらいだった。
 先生の住まいは国分寺。具合が悪くなると近くの多摩総合医療センターに入院する。インタビューは血液内科病棟ラウンジで。うかがうと机の上には写真と資料がきちんと用意されていた。若い頃中央経済社の編集者をしていた妻八江さんが有能な個人秘書として公私ともこき使われているらしい。いたって元気な先生は病室からせかせかと歩いてくる。熱も下がっているのかいつもの先生である。五階の明るいラウンジから遠く町並みと緑が見える。「僕の担当医が余命三カ月くらいと言ったのよ」笑っている先生。「僕は小さい頃橋の下にいたこともある。貧乏でね」
 先生は一九三一年一月富山県富山市大広田で生まれた。七人兄弟姉妹の二男。上に兄と姉、下には弟と妹が二人ずついる。父中久は北野家(自作農)の長男で警察官をしていたが一九四二年四六歳で病死する。母フジはその時三八歳。母は父の家督権を放棄。長男二〇歳一番下の妹は二歳だった。弘久君は一一歳だった。たちまち一家は生活に行き詰まる。弘久少年の記憶によると短期間富山市の神通大橋の下で暮らしたこともあった。
 兄は軍隊、姉は軍属。弘久君以下五人は母と共に弘久君自身のアルバイトなどで生計を立てる。まさに「赤貧洗うが如し」であったという。一九四三年、弘久君は旧制富山中学に進学する。終戦の二年前である。中学では学徒勤労動員もさせられたが、その間、教師たちは中学の教育を怠らなかった。三年で終戦を迎え、弘久君は一九四八年三月最後の旧制中学の卒業生となる。家計は苦しく弘久君は給料ももらえて勉強もできる旧制名古屋税務講習所を受験する。約五〇倍の倍率で年上の人も多かったが、合格して入所。これが税務との最初の出会いだった。二年制だったが何故か入学すると一年制になり、しかも、一〇カ月で繰上げ卒業となった。一九五一年一月税務署の幹部候補生として京都の税務署に配属される。向学心に燃えた優秀な弘久君は、一九五二年四月立命館大学法学部の二部の二年に編入学する。弘久君は立命で憲法と法哲学の研究者大西芳雄先生にであう。先生は弘久君の能力と資質を見抜き、国税庁に行って実務をやってから研究者で戻るように勧めた。当時立命には税法の講座はなかった。
 一九五五年北野青年は国税庁に入庁する。大蔵省主税局に配属され一九五八年には国税庁税務講習所の教官に抜擢される。弱冠二七歳だった。学止みがたく仕事の合間に論文を書いていた。ところが一九五八年の秋北野青年は結核に罹患してしまう。
 清瀬の結核研究所の大蔵病棟に入院。結核は抗生物質で治療ができた。病院では時間はたくさんある。北野青年は論文書きにいそしんだ。その時には八江さんとは付き合っていたのできっと資料収集とか清書とか彼女の力を借りていたんだ。北野青年は病院で個室までもらって論文を書き、不十分だったドイツ語の勉強までしていた。超前向きな生き方はずっと続いていたのね。
 一九六〇年大蔵省を退官。早稲田大学大学院に。いよいよ研究者としての生活をスタートさせた。まずは憲法を専攻した。大学院の面接で有倉遼吉先生は北野青年に「北野さん有倉と一緒に勉強しましょう」と声をかけたという。
 一九六二年卒業後国士舘大学から請われて専任講師を務める。一九六四年には日大経営法学科から請われて専任講師に。当時の日大幹部から「ここで骨を埋めてくれ」と言われ北野先生はここをホームベースとする。文献を集め図書館の整備に協力し、研究活動も教育活動も全力を尽くした。学問についてはもちろんのこと社会的な活動についても大学からなにか言われたことは一度もない。北野先生は北野イズムを曲げたことは一度もない。
 研究活動とその業績は言うまでもなく、学会や研究団体の活動、諸団体の活動も広く深い。労を惜しまず気さくに役割をになう。「いま半世紀を省みてこのような法実践活動への参加自体が私の研究活動そのものであったと言わなければならない」。一九八一年には東京弁護士会に弁護士登録もしている。訴訟との関わりも多く、訴訟での鑑定意見書や証人など四百数十回をこえる。全国豊田商事被害者弁護団団長(共同)・東京団長就任。意気に感ずれば断らない。
 先生には三人の息子がいる。教育も含め家のことはすべて八江さん任せである。「しっかりしているのよ。僕の葬式の段取り式次第まで準備しているんだから」。

北野弘久(きたの ひろひさ)
1931年生れ。日本大学法学部名誉教授、法学博士。税理士・弁護士。中国北京大学客員教授・西南政法大学(重慶)名誉教授。日本租税理論学会理事長・日本財政法学会理事長等を歴任。不公平な税制をただす会代表幹事、世界納税者連盟(WTA)顧問理事等を務める。著書「税法学原論 第6版」(青林書院)、「納税者の権利・岩波新書」(岩波書店)「現代税法の構造」(勁草書房)など多数。


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