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 法と民主主義2010年10月号【452号】(目次と記事)


法と民主主義2010年10月号表紙
特集★財界のもくろむ税制は、何をもたらすか
特集にあたって………編集委員会・奥津年弘
◆菅内閣と財界が狙う税・財政戦略──「税・財政・社会保障の一体改革」批判………関本秀治
◆消費税を廃止して大企業に負担を求める具体案………湖東京至
◆民主党政権が継承する2009年度税制改定法「付則」………浦野広明
◆納税者番号制度と租税制裁の強化──人権侵害につながる共通番号の納番利用と国民ID制………石村耕治
◆税の考え方、仕組みを「チェンジ」すれば、財源は出る──特定者優遇の税制から国民本位の税制への改革を………富山泰一
◆グローバル・タックスの導入に向けて──国際連帯税を中心に………望月 爾
◆「民意」より「国策」を重視 消費税・世論とメディア40年………丸山重威
◆各政党の税制に対する立場・行動………奥津年弘
■特別寄稿■財政赤字の原因について………安藤 実

  • 連載●刑事法の脱構築(17)刑事法における検証システムの必要性──誤判・冤罪事件の原因究明、そして被害救済のために………永住幸輝
  • ルポ・国連人権理事会●平和的生存権のグローバル化──国連人権理事会における議論………前田 朗
  • 緊急報告・司法修習生の給費制廃止問題●850人の若者が立ち上がっています!………渡部容子
  • 緊急報告・司法修習生の給費制廃止問題●弁護士の公共性堅持の観点から司法修習給費制度を維持せよ………澤藤統一郎
  • とっておきの一枚●埼玉大学名誉教授・暉峻淑子先生………佐藤むつみ
  • 判決・ホットレポート●東京大空襲訴訟から全国の空襲被害者の運動へ………星野 弘
  • 投稿●裁判書事件と最高裁判所──司法民主化のために………吉田博徳
  • 書評●浦田賢治著『核不拡散から核廃絶へ』(日本評論社)………森川泰宏
  • 書評●美谷島邦子著『御巣鷹山と生きる』(新潮社)………米倉 勉
  • トピックス●「横浜事件」は、終らない………森川文人
  • 日民協文芸●(29)………渡部志摩子/大倉忠夫/チェックメイト
  • 時評●検察組織の問題──村木局長事件で真に問われるべきこと………村井敏邦
  • KAZE●検察批判を一過性のものにしないために………高見澤昭治

 
★財界のもくろむ税制は、何をもたらすか

特集にあたって
 九月一七日発足した第二次菅内閣は、政権獲得前にかかげたマニフェストや主張の内容を明らかに変貌させている。参議院選挙で後退しつつも、消費税率引き上げにおいては、自民党など保守野党と協調し進めようとしている。財界は、消費税率引き上げ増税、企業の国際競争力強化などを口実とした法人税率のさらなる引下げを政権にせまっている。一方、マスコミもほとんどが、消費税推進の基調路線をとっている。
 政財界・マスコミの包囲網のなか、世論は、消費税率引き上げ反対が過半数とはいえ、財政に対する率直な心配から、国民の中に条件つき消費税増税容認とともに、給付付き税額控除セットで納税者番号制度に対しても一定の理解を示す声も聞かれる。
 今特集では、再度、国民の立場に立った財政再建も含めた税制のあり方を示すとともに、大企業減税・庶民増税のプロパガンダとなっている論拠に、真っ正面から反論していきたいと考え、まず、菅内閣と財界の関係、今後の税制・経済戦略を関本秀治氏(税理士)に。消費税率引き上げの内容と矛盾、消費税にかわる「新物品税」の提案を湖東京至氏(元静岡大学教授・税理士)に。そして、民主党政権が自民・公明政権から継承する〇九年改定「付則」と所得・法人・相続税増税について浦野広明氏(立正大学教授)に。また、給付付き税額控除などを口実とした納税者番号制度の危険な内容と罰則強化の動きについて石村耕治氏(白鴎大学教授)に解明していただいた。財源問題では、税制組換えによる財源試算について、「不公平な税制をただす会」の事務局長でもある富山泰一氏(税理士)からの分析と、新しい税制として、国際連帯税を中心にグローバル・タックスの可能性を望月爾氏(立命館大学准教授)に紹介していただいた。政府と一体となったマスコミの消費税増税宣伝の動向については、丸山重威氏(関東学院大学教授)から警鐘を連打していただいた。
 特別寄稿として、今年の夏合宿において、「日本の税制の特質と消費税増税」と題し、講演をしていただいた『富裕者課税論』(桜井書店)の著者である安藤実先生(静岡大学名誉教授)には、改めて、公債累積問題から、今日の財政赤字の原因を明らかにする論攷をお書きいただいた。ご多忙のなか、玉稿をお寄せいただいた諸先生に心から感謝申しあげたい。
 最後に、今年六月一七日に当協会の理事長を務めた北野弘久日本大学名誉教授が亡くなられた。日本国憲法にスタンスをおき、一貫して庶民の立場から、税法論を中心に豊田商事の問題などさまざまな事件にかかわり、まさに熱い血のかよった法律論を展開された、先生に感謝を述べつつ、民主的税制と納税者の権利の実現、協会の発展のために、後に続く会員ががんばらねばと思いを新たにしつつ、今号をお届けする。

(編集委員会・奥津年弘)


 
時評●検察組織の問題──村木局長事件で真に問われるべきこと

(元龍谷大学)村井敏邦

 村木局長事件における証拠の日付の改ざんが問題になっている。最高検は、この事実を独自に調査して、その背景を含めて徹底的に事実を解明するとしている。しかし、最高検の調査は、捜査ではなく、あくまでも内部調査である。
 しかも、内部調査という名目から、最高検の捜査という形になっている。そもそも検察が捜査権限をもつことの意味を考えさせたのが、今回の証拠改ざん問題であり、それを捜査するのが最高検であるというのは、どうにもしっくりこない。
 最高検の調査・捜査だけに任せておくわけにいかない。第三者機関による調査が必要である。この点については、最後にふれるとして、今回の事件の問題点を探ってみよう。
 最大の問題は、実は、証拠の日付改ざんではない。このこと自体は大変に問題であるが、法曹関係者、とくに刑事弁護を手がけている弁護士にとっては、それほど驚くべきことではない。「検察はそうしたことをやるだろうし、同様のことはすでにやってきた」というのが、多くの刑事弁護人の感想ではなかろうか。このこと自体が深刻な問題の第一である。
 過去の冤罪事件あるいは冤罪として争われた事件の多くでは、被告人・弁護人が証拠の偽造・隠匿を訴えている。著名な事件では、白鳥事件がある。この事件では、裁判所も証拠の偽造の可能性を指摘している。芦別事件でも、国家賠償請求訴訟の第一審裁判所は、捜査側による証拠の偽造のみならず証拠の隠匿の可能性を示唆している。松川事件では、被告人のアリバイを証明する証拠が捜査側によって隠匿されていたという事実が判明して、その開示が求められ、最高裁判所で、被告人の無罪が確定した。
 証拠の捏造問題を自白にまで及ぼすと、冤罪事件のほとんどにおいて、うその自白が強要されていることは、自明すぎるほどである。
 これらの事件で証拠偽造をしたとされるのは、主として警察であるが、検察官はまったくチェック機能を果たしていない。特捜事件は検察が捜査を行う事件であるので、同様の手法を用いて冤罪を作り上げたのであろう。これが多くの刑事弁護人の受け取り方であろう。
 このような捜査技法が問題であることは、再三再四にわたり指摘されてきた。それにもかかわらず、捜査機関の側においては、まったくの反省がなく、あいも変わらず冤罪つくりに余念がない。今回の事件で、そのことが改めて明るみに出た。
 「冤罪つくり」と表現したが、今回の事件の最大の問題はこの点である。特捜部長は日付の改ざんを過失として処理し、そのまま公訴を維持した。故意であろうとなかろうと、その証拠は被告人が事件に関与していないことを証明する証拠であり、そのことを知りつつ、これを無視して、被告人の有罪を主張する。これは組織全体であえて「冤罪つくり」をしているということである。
 このことの認識に立つとき、事は特捜の捜査技法を云々するだけではすまない。検察の組織全体の問題として、場合によって、法務省刑事局の解体・再編を含む徹底的な改善を行わなければ、今回の事件の反省にならないであろう。差し当たりは、検察は捜査から手を引き、公判の維持に傾注するという公判中心主義の体制を作ることであろう。
 最後に、このような事件に対処するための方策について考えてみよう。いわゆる第三者機関による調査が必要なことは、すでに、政府内でも言われてきている。しかし、どのような第三者機関を設置するかが問題である。冤罪との関係においては、アメリカでアドホックに設置される特別捜査官のようなシステムを作る必要があるかもしれない。検察組織のウォッチドッグシステムとしては検察審査会があるが、一般的な形でのチェック機能は十分に持っていない。常設的な調査・審査機関を設ける必要があろう。
 このようなチェックシステムの必要性は、検察だけにあるわけではない。警察、裁判所、弁護士会すべての刑事司法機関に必要である。この際、刑事司法の調査機能の充実のために、財源と人を確保することを政府に要望したい。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

私の生活経済学

埼玉大学名誉教授暉峻淑子先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

986年。ベルリン自由大学で「国民生活水準と経済の発展」ゼミ生と。後列に立つ暉峻先生は若々しい、胸のフリルが可愛らしくてゼミ生みたいである。

 暉峻淑子さんの著書はなんてわかりやすいんだろう。読み出すと止まらない。具体的なのに深い。明晰で歯切れよく、深い学識と思索に裏付けられているから理屈に厚みと広がりがある。実に心地よい。私なんか何カ所も泣けた。岩波新書で泣けるのである。講演もそうである。淑子先生曰く「自分でほんとうに実感できることしか書かないからよ」。「日々生きている生活は、どんな小さな一こまも、社会とつながり、世界とつながっているの。生活の場でこそ政治も経済も社会も問われ判定される。学問も」。
 淑子先生のお宅は練馬区東大泉、最寄り駅は大泉学園、東映撮影所が一番地先にある。落ち着いた一戸建てが並ぶ。「ここに住んで五〇年、ご近所六〇軒で住環境を守るために建築協定を結んだのよ。私的な約束なのに誰も破らない。誰も引っ越さないの」。だから家並みに「豊かな」暮らしのにおいがする。
 チャイムがわからずドアをノックすると先生が出ていらっしゃる。「わざわざお出でいただいて」と居間に。入るとグランドピアノがある。譜面台にはショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調の譜面が開かれている。映画「戦場のピアニスト」のあの曲である。子どもの頃からピアノをひく先生は今でもレッスンを続けている。譜面台には大きなマイクが。まさかショパンの弾き語り。馬鹿なことを考える私。ピアノの上には大きな録音再生装置がある。「息子が自分で録音してそれを聞いて練習するようにって」。二階に住む長男暉峻創三さんである。映画評論家で首都大学で「映画学」を教え、アジア映画祭のディレクターでもある。ピアニスト志望だったが芸大への進学を止め、「ピアノで世界は変えられない」と映像の道へ。大学で映画作りもしていた。「専門家だから高い機械いれたのよ」操作の仕方がちゃんとメモにしてある。
 淑子先生は一九二八年大阪生まれ。うれしくなるくらい若くて元気。インタビュー中に講演会の日程確認の電話が入る。大阪からである。「最終の新幹線で帰るの慣れていますから」だって。
 三姉妹の真ん中である。父は京都大学工学部で応用化学を学び「若くしてドイツやアメリカに留学したくさんの特許をとっている。繊維学を大学で教える研究者であった」三人の娘を可愛がった。戦前戦後その科学的な態度を変えず生きていた。人に優しく「ものを哀れがる人」だった。おかげで淑子さんは軍国主義にも染まらず、幸せな子ども時代を送ったという。「父は大本営発表など全く信じていませんでした。自分の科学的な判断で空爆の日を前もって察知していた」。一家は一九四五年に大分の竹田に疎開する。
 「戦争が終わると、日本に駐留したアメリカ軍のために、私たちは自宅を明け渡して、小さな借家ずまいをすることになりました。狭いその家には父の書斎もありませんでした。冬の未明に、ふとトイレに起きると、父は風の吹き込む玄関で、湯たんぽを抱えこむようにして、小さなちゃぶ台を前に、一心に本を読んでいました」。淑子先生はこの父のDNAを受け継いだ。母は良妻賢母、家事上手で気配りの人。「私は自分で職業を持ち、自立して生きていきたい」淑子さん、小学校六年の作文である。母の生き方に疑問を持った淑子さんだが、気配りも家事好きもその母から受け継いだ。
 淑子さんは一九四四年日本女子大の文学部に進学する。姉は家政学部に行った「文学なんかやるような女は、お嫁のもらい手がない」と大反対されたが押し切った。「人間が何であるか」これが淑子さんの関心事だった。そして「人間の全体を知るために文学とは対極にある経済学を勉強し直してみたい」と思うようになる。「経済を知らないで社会を知ることができない。」親はあきれ果てた。学問を続けることは淑子さんにとってどう生きるかの問と同じだった。
 卒業後淑子さんは東京大学で東畑精一研究室で働くことになり、こっそり法政大学の夜学にも通い始める。当時学長だった大内兵衛が、淑子さんに目をかけてくれた。大学から奨学金をもらいながら大学院の博士課程にまで行くことになる。女性研究者の就職はむずかしかった時代埼玉大学は教授会で教員を選ぶという民主的な採用方式をとっていた。淑子さんは一九七二年この門をくぐり抜けた。
 五五年には東畑研究室時代にであった農業経済学の研究者暉峻衆三さんと結婚。「間借りした狭い部屋に、めいめいが大きな机を持ち込み、本棚と机の間をすり抜けながら生活した」。一九六一年に長男創三が、六六年に二男僚三が生まれ、食堂と居間をかねた家族共用の部屋に置かれた机が淑子さんの机になる。家族の姿がいつも見え家事と仕事が両立するその場所が淑子さんの研究の場だった。「大満足だったの」「台所と隣合わせのその部屋で、ジャガイモが煮えるまでちょっと、と机に座り込み、そのまま忘れて黒煙がたちこめ、あわててガスの火を止めに駆け込むこともしばしばで、そのため、台所は、黒こげ製造所とよばれていました」。食堂の大きなテーブルで淑子さんは資料を、長男が参考書を広げ差し向かいで勉強することもあった。「幸せな時だった」と淑子さんは言う。リベラルではあったが家事の戦力にならなかった衆三先生と二人の子を抱え、子育てと家事を背負う淑子さんは暮らしの現場から鍛えられ、学問の確かな目を持つようになる。「教授になるのが遅くなっても私は平気だった。ほんとに理解しないと先に進めないから研究に時間がかかるの」。
 この深い理解と息の長い努力が生活経済学を生んだ。一九八六年から八七年西ドイツで一年を過ごす。淑子さんは五八才になっていた。確かな目は一九八九年名著「豊かさとはなにか」に結実する。日本はバブルに浮かれていた。二〇〇三年七五才の淑子さんは「いたたまれなさ」から続編「豊かさの条件」を書く。一四年経っても日本は「豊かな社会」にほど遠い。
 その間淑子さんは埼玉大学を定年退職し、母校日本女子大で教え、それも定年。ベルリン自由大学やウイーン大学で客員教授もつとめた。社会的な発言や社会運動の関わりも多い。一九九三年からユーゴの難民をたすけるNPO活動もはじめ、これが阪神大震災にあった子ども達とユーゴの子ども達の交流となる。粘り強く的確で冷静な判断力、人間を深く愛する楽天性、強靱な精神力、淑子先生すてき。
 次男僚三さんは、イギリスの大学院を卒業して今はコソボにいる。威嚇射撃の中で、日本で買い込んだ胃薬を飲みながら民族融和のプログラムを実践している。
 実に豊かな人生を淑子さんはこれからも生きる。

暉峻淑子(てるおか いつこ)
1928年生れ。1963年法政大学大学院博士課程修了。専攻は生活経済学。現在、埼玉大学名誉教授。
著書「豊かさとは何か」、「豊かさの条件」(岩波新書)、「ほんとうの豊かさとは」(岩波ブックレット)、『サンタクロースってほんとにいるの?』(福音館書店)、「ゆとりの経済」(東洋経済新報社)等。


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