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 法と民主主義2013年5月号【478号】(目次と記事)


法と民主主義2013年5月号表紙
特集★安倍政権の教育政策と教育の真の再生への途
特集にあたって………編集委員会・小沢隆一
◆第一期安倍政権以降の教育『改革』の展開………寺川史朗
◆第二次安倍政権の教育再生実行プランの検討──新自由主義教育改革の新段階?………世取山洋介
◆安倍政権の教育政策の危険性………俵 義文
◆安倍政権のいじめ防止対策の問題点………村山 裕
◆学校におけるいじめ問題の構造とその救済………児玉勇二
◆桜宮高校への橋下市長の介入──現場からの報告………伊賀興一
◆学校体育・スポーツにおける暴力の根絶に向けて………森川貞夫
◆教育費・子育て費をめぐる社会保障制度の横断的検討………石井拓児

  • 寄稿●時代の証言──橋下ファシズムを考える………上条貞夫
  • 寄稿●橋下流と「維新」………井上善雄
  • ◆判決・ホットレポート●成年被後見人の選挙権訴訟 東京地裁違憲判決………杉浦ひとみ
  • ◆判決・ホットレポート●命の雫裁判(徒手格闘訓練死国賠訴訟)判決………佐藤博文
  • ◆シリーズV「若手研究者が読み解く○○法 Part2」4「憲法(人権)」 個人とふるさと、あるいは文化………奥野恒久
  • ◆リレートーク●明日の自由を守るために 〈3〉立憲主義を知っていますか?………神保大地
  • ◆委員会報告●司法制度委員会/憲法委員会………米倉洋子/小沢隆一
  • ◆時評●安倍政権による憲法96条改定策動の反憲法性………隅野隆徳
  • KAZE●会場に参加者があふれた4.28告発集会………丸山重威

 
安倍政権の教育政策と教育の真の再生への途

特集にあたって

 安倍晋三が五年三カ月ぶりに政権を担うことになり、すでに半年が経った。彼には、改憲とともにもう一つ「やり残したもの」があった。「教育再生」である。一年に満たない第一期政権は、その先鞭をつけただけで、二〇〇七年九月の彼の突如の辞任によって頓挫した。その彼が、昨年の自民党総裁選挙では、大方の予想を裏切って、古株たちの覚えめでたき石原伸晃や地方票でトップだった石破茂をしりぞけて当選したが、一番「戸惑い」を覚えたのは、当の本人ではなかったか。直前まで、大阪維新の会率いる橋下徹との「タッグ」、「安倍離党説」が噂されていた。しかし、この「噂」は、安倍の総裁就任によって消し飛ばされた。こうなると、まるで、彼を自民党につなぎ止めておくための「棚ボタ」当選ではないかと勘ぐりたくなる。
 それにしても、改憲はともかくとして、「教育問題」については、この二人は妙にウマが合う。最近でも、安倍の十八番の「従軍慰安婦」問題で、橋下は「援軍発言」を繰り返している。そして石原慎太郎も「参戦」した。この三人の「教育改革」構想は、「タッグ」を組むのに十分なほど、とくにその新自由主義的性格の部分において酷似している。石原都政の下で新自由主義教育改革(石原の命名によれば「破壊的教育改革」)を中央政府に先んじて進めようとしていた「実行部隊」が、橋下大阪府知事(その後大阪市長)の求めに応じて大挙して大阪に乗り込んで「教育改革」プランを手がけたとする本誌世取山論文の指摘をよく吟味したい。
 安倍のもう一つの「宿願」である改憲のほうは、国民の分厚い抵抗帯(各種世論調査では「九条改憲NO」が多数を占める)とその気配を察して、「九六条改憲先行論」によって改憲派議員の「糾合」を狙ってはみたものの、「九条改憲」派までをも含んだ大方の憲法学者からの「近代立憲主義に背く暴挙」との批判や各種マスコミでの慎重論に出迎えられた。かくして、改憲派内では早々と動揺が走り、「憲法の三原則の改正は三分の二で発議」、「九六条改憲だけ先行には反対」、「九六条改憲の前にやることがある」、「国民投票を過半数ではなくもっと重くしたら」等々の意味不明の言い訳が出始めており、およそ「腰の据わった」議論になっていない。
 その一方で、国と地方の双方でひっそりと準備され、そして着々と進められようとしている「教育再生実行」、「教育改革」の方こそ、中身のあるプランと方策だけに、また国民投票にかけることなく、立法とそれもいらない施策だけで仕上がるものも多いことから、はるかに不気味であり早い段階で警戒しなければならない。
 安倍政権の「教育再生実行」は、「九六条改憲」にその面があるように、「マヌーバー」としての性格を濃厚に持っている。すなわち、それは、「いじめ」や「体罰」(教育における暴力)などの現在の教育がかかえる難問の「解決」を口実にして、筋違いの支配と管理を導入し、押しつけようとしている。ただし、これらの問題の解決への期待は、「全社会的」(子ども・親・地域・市民団体・経済界・マスコミなどなど)なものであるだけに、教師集団を中核とした自治的・自律的な取り組みに少しでも退嬰的な姿勢がうかがわれようものなら、それへのバッシングはすさまじいものがある。そこで本特集では、これら現在の教育がかかえる諸問題に切り込んで、打開の糸口を探る理論的視座と実践的知見を得ようと考え、村山、児玉、伊賀、森川各氏から論稿をお寄せいただいた。
 また、安倍政権が仕掛ける「教育再生実行」や、大阪などでの「教育改革」に対抗していくためには、「対抗構想」が必須である。新自由主義教育改革は、寺川、世取山そして俵氏の論文が指摘するように、すでに巨大な流れとなって進められているものであり、既成事実とそれを支える「世論」の質と量にはおびただしいものがある。それゆえ、「対抗構想」づくりも全面性・総合性・体系性が必要とされ、それは自ずと「大胆な提起」として示される(ほかない)ものとなる。世取山論文の「四大進学要求の権利論」や、石井論文の「義務教育無償原則」からの「高校・大学授業料無償」の導出は、そのような性格のものとして是非とも真剣に検討したいテーマである。
 「教育」の問題は、法律家にとって、本来の「土俵」であると同時に「鬼門」でもあるように思われる。そこでは、「権利」の問題が厳しく問われるとともに、その権利を支える「制度」があり、かつそれなくしては権利の保障もない。しかし、歴史や哲学・思想をたずねて「教育の原理」を深くつかまないと、「権利」や「制度」の意味をとらえ損なう(この点については、杉原泰雄『憲法と公教育』勁草書房・二〇一一年をぜひ参照されたい)。新自由主義教育改革も、ある種の「権利」(市場的権利概念)を想定して、それに適合的な教育「制度」を構築しようとしている。安倍政権の教育政策の怖さは、俵論文が指摘する反動的人脈を駆使した「復古的」な「改革」構想にも当然あるが、それだけに限らない。ともあれ、この「改革」は急ピッチで進められようとしている。私たちの取り組みも急がねばならない。


 
時評●安倍政権による憲法96条改定策動の反憲法性

(専修大学名誉教授)隅野隆徳

 1 第二次安倍政権の登場によって改憲問題は緊迫の度を増している。一月二八日の安倍首相の所信表明演説では改憲問題への言及はなく、衆議院本会議での各党の代表質問で、改憲問題につき問われると、「まずは多くの党派が主張している九六条の改正に取り組む」と、まだ受け身の姿勢であった。だが国会での質疑を通じて調子を高め、また日本維新の会代表等との打ち合わせを進め、四月の参議院予算委員会での審議で、「国民の六〇から七〇%が変えたいと思っていても国会議員の三分の一をちょっと超える人たちが反対すれば、国民は指一本触れることができないのはおかしい」と述べ、改憲手続きを緩和する意図を示している。
 だが、これは憲法規定についてのあまりにも浅薄な理解であり、また、そもそも内閣は改憲論を率先して唱導する立場になく、その法的根拠もないことに注目してほしい。憲法九六条は憲法改正の発議権が衆議院と参議院にあることを明確に定めている。問題は、その発議権と区別して先行する発案権が内閣にあるかという点で、憲法学説上認める説もあるが、多くは否定的で、二〇〇七年の改憲手続法もそれを規定していない。その根拠としては、国務大臣にとって憲法九九条による憲法尊重擁護義務が原則であり、憲法改正問題に当たり、内閣の行政や職務を通じて、公務員や主権者である国民に影響が及ぶことは、国民にとりきわめて不利益であると考えられるからである。

 2 安倍政権が取り組もうとする憲法九六条の改定案は、国会による憲法改正の発議を衆・参両議院の各総議員の過半数の賛成に引き下げようとしており、そこに近代立憲主義の原則を崩す要素をふくんでいるのみならず、基本目標は憲法九条の根本的改変におかれていること(「二段階改憲戦略」)が想定される。
 近代憲法では、議会での通常の法律の制定・改廃手続きと区別して、憲法の改正には加重された要件を憲法規定に定め、憲法の最高法規性を保障することが行われている。これが「硬性憲法」と呼ばれるものである。日本国憲法では衆・参各議院の総議員の三分の二以上の賛成による憲法改正の発議と、国民投票での過半数の賛成による承認となっていて、これは一七八八年のアメリカ合衆国憲法五条に定める改正手続(連邦議会上下両院の三分の二以上の賛成による憲法修正の発議と各州四分の三の州議会の承認を必要とする)等と比べて、それほど厳しいとはいえない。
 近代憲法では、ルソーの人民主権論を、フランス革命のときにシェイエスが展開して「憲法制定権力」論を明らかにし、一七八九年の「人権宣言」の採択に至る。そこで憲法では、国家権力を抑制し、個人の尊厳に基づく基本的人権の保障が根本となる。そして憲法の改正に当たっては、アメリカの独立革命を通じ、アメリカの諸州憲法で、主権者である国民の投票による承認の制度となっていく。
 他方、歴史の進展の中で、第二次大戦後、ナチスの侵略と抑圧の反省の上に、フランスやスイスの公法学では、憲法改正権を「制度化された憲法制定権力」として捉え、憲法規定に規範化された憲法改正権には、議会によっても改正できない限界のあることが論じられる。その限界として国民主権と基本的人権の保障が明らかであり、さらに、それらの原理のために平和の保障が不可分に位置づけられる。それと同時に、議会等の改正機関がその権限と手続きの根拠・原則をみずから自由に改めることを是認するのは、改正権による憲法制定権力の簒奪を容認することであり、理論上許されないとする憲法学説が有力である。
 このような憲法理論の展開を踏まえると、安倍政権の意図する九六条改定論は、憲法改正の国会発議を衆・参両院議員の三分の二以上とする規定に現われている少数者の人権保障の原則が、議会運営においても、少数意見・少数勢力が国民の支持を得れば多数者に転化するという議会制民主主義と結びつくことを軽視ないし無視するところとなり重大である。さらに自民党の憲法改正草案によれば、現憲法九条は換骨奪胎されて、他国との集団的自衛権の行使が容認され、また現憲法前文の全世界の国民の平和的生存権の保障が削除される。このように日本国憲法の真価がいま鋭く問われている。



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