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◆特集にあたって
今、誰の目にも地方ないし地域の疲弊が明らかである。地理的な「地方」が首都一極集中策による収奪の犠牲になっているというだけではない。首都東京においても、コミュニティとしての「地域」は活力を失い、資本の集中は著しい格差を生みだしている。
地域の疲弊とは地域を支える経済・産業の衰退を土台として、コミュニティや地方文化の疲弊でもあり、医療や教育、災害対策等の住民の生活破壊でもあり、地方自治の弱体化による中央への一層の経済的政治的従属でもある。総体としての地域の破壊が進行しているといわざるを得ない。
この現状に、現政権は「地方創生」を看板に掲げて、統一地方選の目玉政策とした。この政策は、どのような内容をもち、何を狙って、何をもたらすことになるのだろうか。真に、地方・地域の活力を取り戻すことができるのだろうか。そもそも、まっとうな志向や理念を持ち合わせているのだろうか。
今号は、そのような問題意識から、多くの人の関心事となっている、地方(地域)の現状と、その真の再生の在り方についての論稿をお届けする。総合的で、充実した特集と自負する内容となっている。
地方(地域)疲弊の現状は自然災害ではなく、明らかに経済政策失政の帰結である。しかも現政権の「創生」策は疲弊の原因へ切り込む解決策となっていない。本特集はそのように警告したうえ、「破壊される地域」の現状と要因を把握し、その真の再生の在り方を示そうとするものである。
まずは地方経済の現状の把握、その要因の分析、そして再生の在り方についての理念の確定、さらに各分野における真の再生の具体的な方策まで、本号はコンパクトに問題の全体像をまとめている。とりわけ、新自由主義的な構造改革の経済政策が地方(地域)破壊の元凶であること、現政権の「地方創生」策は、さらに構造改革を推し進めるもので、理念においても、手法においても、より「親中央」「親資本」であって、けっして真の地域コミュニティの再生を実現するものでも、地域住民の生活の豊かさをもたらすものでもない。各論稿に通底するこの基本視点の提供は貴重なものと言えよう。
法律実務において遭遇する地域の諸矛盾や生活者の不幸の根源について、思い当たるところが多いのではないだろうか。現実と切り結んで、このような視点を提供する経済学の各分野の業績に敬意を表し、読者諸賢には、論者の説くところを十分に吸収していただきたいと思う。
総論に当たる巻頭論文として、岡田知弘氏の「地域経済衰退の要因と地域再生の処方箋−新自由主義的『地方創生』への対抗軸」を掲載した。コンパクトに、地方経済衰退の要因が分析されている。この分析は、新自由主義的構造改革政策の根源的批判となっている。中央と地域の問題を基軸としつつ、現代日本の経済構造や経済政策の全面的解説につながるものとして、熟読に値する。とりわけ、いわゆる「増田レポート」地方消滅論の欺瞞性を明らかにしていること、地方衰退の原因解明に基づいた処方箋までの論理一貫した叙述は貴重なものである。
この総論を補充する各分野の多彩な論者の八本の各論が充実したものとなった。その構成は次のとおり。
まずは、現政権が掲げる「地方創生」の内容についての準総論的な論稿が二本。その一は、中山徹氏の「地方再編成戦略としての『地方創生』」。もう一つが伊藤亮司氏の「顕在化しつつある国家戦略特区構想の実態」。いずれも、「地方創生」策の理念と具体的な内容を鋭く批判するものである。
次いで、地域を支える経済各分野、農業・漁業・地域中小企業についてそれぞれの問題意識が語られる。農業については、田代洋一氏の「官邸農政VS農業再生」という刺激的タイトル。漁業は濱田武士氏による「『地方創生』の懸念─水産復興に関連した被災地からの教訓」、そして赤津加奈美弁護士の「地域経済再生における中小企業の役割─中小企業憲章・中小企業振興基本条例と中小企業家同友会」。各論稿の中で、農協問題・TPP・震災復興、そして法律家の関わりも語られている。
さらに、財界や官邸の思惑とは異なる地域コミュニティ重視の「民主的再生」の試みについて、三浦泰裕氏の「地域の民主的再生の試み─北海道から」と、中嶋信氏の「『地方創生』をめぐる対抗関係─3・11被災地から」。再生の理念実現の具体的実例の提示として参考になろう。
そして、「IRカジノ構想に見る『地方創生』の問題点」について、新里宏二弁護士の論稿を掲載した。地域活性化の理念をめぐる象徴的な問題としての位置づけからである。
大阪都構想を提唱して、大阪市住民投票で破れた橋下徹市長の地域経済再生策の目玉がIRカジノ構想であった。大阪都構想案は否決されたが、疲弊した地域住民の「とりあえず経済活性化を」という要求の切実さも垣間見えた投票結果であった。財界と政権は、現状への住民の不満に乗じて地域住民を切り捨てて、これまでの地域コミュニティとはまったく別ものとしての地方「創生」を行おうとしている。
それに警鐘を鳴らすものとして、本号が各地の運動に役立つことを願う。
◆仙台駅と中心街一番町との間を行き来する通勤・通学者が最も多く通る交差点の一つが、以前、仙台味噌の老舗、佐々重本店があった「旧佐々重前」。「旧佐々重前」は仙台弁護士会と市民団体の街宣の定位置である。
その場所で、特定秘密保護法反対のビラを配布していた頃のこと。
市民の反応が芳しくない。受け取ってくれるのは二〇人?三〇人に一人程度。どうしたことかと思っていたら、間もなくその場所を二〇万人の群衆が埋めた。楽天の優勝パレードである。気仙沼の実家に戻った折に「楽天の優勝と特定秘密保護法のどちらが大事だと思っているのだろう」とこぼしたら、友人の嫁さんが
「私も行った」。
マー君の顔を見るために往復六時間バスに揺られて仙台まで出てきたという。
◆一〇年前、仙台市民オンブズマンは「旧佐々重前」で地下鉄東西線の反対を訴えた。既に開通している地下鉄南北線の乗客が予想の半分に留まり、赤字を埋めるために一般会計から一〇〇〇億円の税金がつぎ込まれ、その轍を踏むことが確実だったからだ。しかし、東西交通網の整備による仙台の発展という声にかき消され、オンブズマンの主張は世論を動かすには至らなかった。
それから一〇年を経て、地下鉄東西線が今年の一二月に開業する。
昨年、背後に潜んでいた負の部分が顔を出した。東西線と並行するバス路線の廃止・減便である。沿線住民をかき集めて東西線に乗せるためには、並行バス路線を残しておく訳にはいかないからだ。ギリギリまで表に出すことを控えていた仙台市も、開業まで一年を切り、公表に踏み切った。地下鉄に乗り換えなければ市役所や大学病院に行くことができなくなったことを知った沿線住民は猛然と反対し、一部は元に戻ったものの、廃止・減便は変わらなかった。
並行バス路線の廃止・減便は南北線の時にも起きている。沿線住民の反対で廃止・減便が一部修正されたことも南北線と同じである。沿線住民を無理にかき集めても、乗客数は南北線と同様、予測(開業時一日一一万九〇〇〇人)の半分程度に止まるであろう。赤字を埋めるための税金のつぎ込みが開業後すぐに始まる。これも南北線と全く同じである。しかし、いったん動き出した東西線は誰も止めることができない。
@予測が外れても責任を取る必要がない。
A責任を取る必要がないから予測が外れた原因を本気になって究明しない。
B究明しないからしばらくしてまた同じ事が起きる。
赤字の公共事業が繰り返される原因はこの三つだが、もう一つある。原因の究明を怠り、今度は大丈夫という当局の明るい物語を受け入れる市民の態度である。それが@Aを支えている。
明るい物語だけを見たい。背後に潜む暗い現実を突きつけないで欲しい。見たくないものは見せないでほしい。特定秘密保護法反対のビラを差し出された時の市民の戸惑いと拒絶にもそれを感じた。
◆オウム真理教を取材した経験に基づき、麻原の説く荒唐無稽な物語が信者の心をとらえた素地として、村上春樹は「人間の心をクローズドサーキット(閉鎖回路)に引き込み、外に出られなくし、精神の抵抗力を失わせる」(毎日二〇一五年四月一九日)ことを指摘する。精神の抵抗力とは明るい物語の背後に潜む暗い現実の徴候を見抜く力のことである。
◆明るい物語に引き寄せられる傾向の増大は、村上春樹の指摘するクローズドサーキット(閉鎖回路)の完成を意味する。東西交通網の整備による仙台の発展という明るい物語を信じ、南北線の轍が潜んでいることを見抜くことができず、並行バス路線の廃止・減便、乗客数の半減、税金のつぎ込みという暗い現実が顔を出した時にはもはやなす術はない。
東西線と同じパターンの悲劇が国家規模で起きるのではないか。「旧佐々重前」の憂鬱は深い。
©日本民主法律家協会