ひろば 2017年6月

 三歳児に「日の丸・君が代」を刷り込め


▼「三つ子の魂百まで」というじゃないか。国民をマインドコントロールする遠大な計画は三歳児の教育から始めなければならない。マインドコントロールとは、ナショナリズムを国民に吹き込むことだ。「思想の善導」とも言い換えられる。国旗・国歌(日の丸・君が代)とは、善良な思想の象徴だ。日の丸・君が代を抵抗なく受容することは、権力にも社会にも従順な証しなんだ。だから、今回の「3歳児からの日の丸・君が代」。素晴らしいことじゃないか。さすがは、われらがアベ政権。さすがに極右に支えられた政権。よくぞ、その役割を果たしている。
▼3歳児の公的な預け先は三系統ある。文科省管轄の幼稚園。厚労省管轄の保育園。そして幼稚園と保育所の機能を併せ持つ内閣府管轄の「認定こども園」。それぞれが、「保育所保育指針」、「幼稚園教育要領」「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」をもっているが、今年3月末の各改定で、3歳児以上の保育・教育の「ねらいと内容」の記述が同一の文章となった。そして、全ての施設で3歳児からの「国旗・国歌に親しむ」方針が徹底されることになったのだ。実施は、来年(18年)4月から。われらナショナリストにとって欣快の慶事ではないか。
▼これまで、幼稚園と認定保育園とは国旗についてだけ「親しむ」とされていたが国歌については定めがなかった。保育園に至っては、国旗・国歌の両方について、何の定めもなかった。これは、どう考えてもおかしい。保育園には、国家や自治体が金を出しているのだ。それなら、見返りに国家が望む子どもに育つよう、ナショナリズムを刷り込んで当然。「国立大学には、国家が金を出しているのだから国旗・国歌を」というあの論法だ。「子どもたちに余計な国家主義思想教育などもってのほか」という不逞の輩は、保育園からも幼稚園からも閉め出せばよいのだ。
▼随分と長く、小学校・中学校・高校、そして特別支援学校への「日の丸・君が代」強制に手こずってきたが、国立大学へも「要請」の圧力がかけられるようになってきた。そして、ようやく3歳児までということだ。小池百合子知事の意向で、今年から都立看護専門学校全七校で、「日の丸・君が代」が導入されてもいる。このようにして、教え込まなければ、国家の価値など分かるわけがない。ナショナリズムとは、自然に育つものではなく刷り込まねばならないのは当たり前だ。先人がそのために、いかに真剣に国民をたぶらかす努力を重ね、硬軟さまざまなその技を磨いてきたか。君のため国のためには命を捨てる、とまで臣民精神を鍛え上げた、その成功体験の過程をもう一度よく振り返って、貴重な教訓を噛みしめなければならない。それこそが、戦後レジームから脱却して日本を取り戻す、具体的な第一歩ではないか。
▼ナショナリズムを叩き込むのは、余計な知恵の付かないうちがよい。生まれ落ちた瞬間から、日の丸であやされ、君が代を子守歌にする環境が最も望ましい。それが無理でも3歳からは、日の丸・君が代に親しむ環境を作るのだ。親しむとはタテマエ、ホンネは「刷り込む」「叩き込む」なのさ。子どもに知恵が付いて、「国家よりは、個人の尊厳」とか、「主権者としての自覚」などと言いだしたらもうおしまいだ。3歳ならまだ間に合う。まだ、国家の何たるか、民族の何たるかも分からない。日の丸・君が代と天皇制や戦争との結びつきも知らない。知らないことが重要なのだ。ものの分からないうちがナショナリズムの煽動と刷り込みのチャンスだ。勝負のときは短い。
▼大切なのは、国家に、体制に、社会に、企業に、無理なく逆らわずに生きていくことのできる資質。善導されたとおりに善良な思想を形成し、柔軟に自分を体制に合わせて生きていく能力。付け焼き刃でない、体制ベッタリの順応能力、その資質を育むのは3歳児からだ。そこまで見越しての、3歳児からの日の丸・君が代教育。アベ内閣の遠大な、愚民化政策に万歳三唱!!

(弁護士 澤藤統一郎)


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