ひろば 2017年10月

 誰も気にしていないよ、ね、というひとに


1 中島みゆき「誰のせいでもない雨が」という歌がある。およその歌詞を紹介することからはじめよう。

誰のせいでもない雨が降っているけれど、しかたのないこと。
そっと通る黒い飛行機のあることに、
みんな慣れてしまった。
「もう誰一人気にしてないよね。」

この曲は83年につくられた。その前もその後も、わたしたちの上にいつも「黒い飛行機」は飛んでいる。

2 米軍オスプレイが頻繁に事故をおこしている(今年だけでもイエメン、伊江島、オーストラリア、大分、シリア、石垣)。日本政府は、北朝鮮のミサイルという抽象的危険に敏感に反応する。でもオスプレイという具体的危険には鈍感だ。
 オーストラリアでの事故のあと、日本政府は「必要なものを除いて国内における飛行を自粛するよう申し入れた」。「必要なもの」とはなんだろう。軍に公共性があることを疑わない相手に、それを決めさせてはだめだろう。しょせんは、飛行継続を認めたも同然の「自粛要請」だ。「機体に問題はなかった」という米軍の説明を「理解」した防衛省は、オスプレイの飛行再開を容認した。
 日本の姿勢には、─かりに日米安保条約を支持するとしても─合理性がない。こんな不合理がまかり通るのは、当事者に思考力が欠けているか(防衛大臣の劣化)、説明責任の意識がないか(政府のおごり)、あるいは、不合理な力が作用しているか(対米従属の強まり)のどれかだ。
 以前は、オスプレイの事故率は低い、という数字があった。防衛省はその数字をつかい、オスプレイの相対的安全性を強調した。だがオスプレイの事故が続き、数字は逆転したらしい。いま防衛省のサイトに例の数字は載っていない。
 オスプレイの事故率を相対的に低くみせるため、米軍はほかの事故を人為的に起こす、というブラック・ジョークがある。この原稿を書いているさなか、米軍ヘリが高江の民有地に墜落・炎上した。04年に沖縄国際大に墜落したのと同機種らしい。

3 「戦争をできる国」づくりに抗するために、どういう理論を立てたらよいのか。法律家として、個々の軍事的政策にたいする違憲・違法審査の方法をもっと磨き上げ、国民にわかりやすく示す必要がある。軍には公共性がないから、一般の行政の場合より厳格な審査を設定できそうだ。ただし憲法に自衛隊を明記する(「加憲」という名の)改憲がとおると、軍は「公共性」を獲得し、その結果、厳格な審査は排除されてしまうだろう。
 中島みゆきの歌に戻ろう。
 彼女は、「もう誰一人気にしてないよね」と歌う。気になるのは、おしまいの「ね」のところ。もう誰も気にしていないようで、でもそうと断言できない。自信なさげに周囲をみて、「これってどうなの」と問う。「ね」には、そういう反語の意味がある。
 「気にしてないよね」と振り返ったひとに近づいて、「気にしているよ」と肩を組むこと。これはあまり難しくなさそうだ。

(東海大学 永山茂樹)


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