日民協事務局通信KAZE 2002年6月

 知らなかったこと・知らせたいこと〜コスタリカをめぐってのつぶやき

(代表理事 田部知江子)

▼コスタリカという国があったことが驚きだった。というよりも、「どうしてわたしは今までこの国のことを知る機会がなかったんだろう」ということが悔しくてならない。それは、高校生の時、初めて従軍慰安婦の存在を知ったときのショックや、修習生の時にハンセン病の患者・元患者の方々への信じがたい人権侵害があったことを知ったときのショックに重なる。社会的課題に無関心ではなかったはずなのに、それでも「知っていたかった」ことを知ることができていなかった悔しさ。自分がほんとに知りたいことは、受け身では決して十分に知り得ないことをまたしても思い知らされた。

▼コスタリカの非武装中立について、知れば知るほど元気になる。この国は、「超前向き」な国だ。自分自身をかなり前向きな正確と思っていたけれど、前向き度がけたはずれなのだ。 「自分の国が平和である為には、隣の国が、さらには隣の隣の国が平和でなければ。そのために隣の隣の国で紛争が起きれば、仲裁に出かけ、和平を成立させよう」 「隣国ニカラグアからも含めた難民の受け入れを無制限に行っているが、弊害も多く出てきている。解決の為には?」との問いかけに、「ニカラグアが豊かになれば難民は減少するはず。そのためには、コスタリカは如何にすべきか」を考える。  外交とは、こういうものだったのか。日本の外務省は、戦後平和の為に一体何をしてきたのだろう。

▼五月一八日に実行委員として参加した憲法フェスティバル。今年は「地球・平和・家族〜みんなで平和をかんがえるwithこどもたち」というテーマ。その最後の「わたし・たちのアピール」で、こどもたちが平和へのそれぞれの思いを告げた。小学三年生のS君は「ぼくは、コスタリカの憲法に賛成です。日本も世界もコスタリカのようになればいいと思います」と、発表して会場から大きな拍手をもらった。  一瞬「日本国憲法に九条があるのに・・・」と思ったが、S君にとって、日本の今は、決して非武装中立ではないのだ。

▼コスタリカの人が語る言葉もまたとても前向きだ。体調を崩されたため来日が延期になったカレン・オルセン・デ・フィゲーレス氏からのメッセージの随所に「夢」「可能性」という言葉が登場する。  「平和」という夢をもち、目的を定めることからしか、何事もはじまらない。目標に至るまでのステップと課題を緻密に分析し、それを確実に積み重ねる。そうすれば平和は実現する。その自信をコスタリカの人々は、これまでの経験によって得てきたのだ。「夢」とは決して非現実ではない。だから、日本でも、コスタリカとは違う道のりで必ず実現できると信じる。「自信」はこれからつくっていこう。


戻る

©日本民主法律家協会