法と民主主義2005年6月号【399号】(目次と記事)


法と民主主義6月号表紙
★特集★改憲のための「国民投票法案」に反対
特集にあたって……編集委員会
◆憲法改正投票法案をめぐる理論的問題─−法案反対運動のために……小沢隆一
◆国民投票法案を阻止するための行動を……瀬野俊之
◆民主党国民投票法構想と改憲情勢……三輪隆
◆資料
小特集●裁判員制度を考える
◆裁判員法・刑事訴訟法の一部改正批判……石松竹雄
◆いわゆる国民の司法参加について──裁判員制度批判……織田信夫
◆「裁判員制度」は国民と被告人のために機能するか─―二人の弁護士の対話……四宮 啓
  • 追悼●渡辺良夫さんを送る……新井 章
  • とっておきの一枚●弁護士 後藤昌次郎先生……佐藤むつみ
  • レポート●ニューヨーク原爆展とNPT会議……岡田啓資
  • 報告●軍隊のない国家、軍隊のない世界──世界の非武装国家……前田朗
  • 寄稿●貴方は、バカではないですか?─亀田得治先生の烈々たる質疑によせて……吉田博徳
  • インフォメーション
  • 書評●ウィーラマントリー著・浦田賢治編訳「国際法からみたイラク戦争」……榎本信行
  • 時評●改憲阻止運動の中での日民協総会……澤藤統一郎
  • KAZE● 近づく、敗戦60年の夏……田部知江子

 
★特集★改憲のための「国民投票法案」に反対

特集にあたって
 私たちは、憲法「改正」に断固として反対である。恒久平和主義・人権擁護と民主主義の徹底においてこれを評価し、このような憲法を頂点とする法体系のもとで法律実務を行うことができることを幸運と考えている。

 憲法をめぐる状況においては、現行憲法を改悪しようとする勢力と、改悪を阻止しようとする勢力との厳しい対決が続いている。基本は「改憲」対「護憲」のせめぎ合い。「論憲」・「加憲」は、その間に漂う日和見の立場。改憲のねらいは、憲法九条と立憲主義をなし崩しに葬り去ることにある。その他に、愛国心の鼓吹、家族主義の復活、政教分離の緩和、改憲手続き条項の「改正」、国防に協力する義務など新しい義務や権利の創設、等々。

 改憲を阻止するためには、何よりも現行憲法のすばらしさを訴え、企まれている改憲内容の危険性を宣伝することである。それと並んで、憲法改正手続きに必要となる手続き法の成立阻止も重要な課題となる。

 言うまでもなく、憲法改正手続きは憲法九六条に従って行われる。両院の総議員三分の二以上の賛成による発議、そして国民投票による過半数の承認が必要とされる。両院の発議の手続きのためには、担当する委員会設置のための国会法改正手続きが、国民投票実施のためには「憲法改正国民投票法」の制定が必要である。

 衆参両院の憲法調査会最終報告書が公表されたあと、焦点は憲法改正国民投票法の立法化に移った。これにどう対処するかが、喫緊の課題となっている。

 私たちは、改憲策動の一端としての「国民投票法案」の上程には反対を貫く。しかし、それだけで足りるものだろうか。

 「憲法改悪を可能とする国民投票法案に反対」という呼びかけで通じる相手なら何の問題もない。もっと広範な人々に耳を傾けてもらうためにはどうすればよいか。「手続き法なのだから、整備しておくこと自体に不都合はない」と考えている人にどう説得すべきか。

 当然に考えられるものとして、「こんなにひどい国民投票法案には、賛成するわけにはいかない」という訴え方がある。現実に上程されようとしている法案の内容を吟味し、「これはひどい。これではダメだ」と声を上げることには少なからぬ意味がある。

 おそらくは、改憲勢力が本気で、正確に民意を反映する真っ当な国民投票法を作ろうという事態はあり得ないのではないか。仮にあったとすれば、それは憲法改悪の企図を潰す護憲派のチャンスとなりうる。

 改憲の内容と手続き、両者ともに急激に煮詰まりつつある。改憲反対を貫くために、両者の動きの正確な把握が必要である。そして、両者ともに、その不当を具体的に訴えていかねばならない。

 今特集が、「改憲のための国民投票法案」の上程をゆるさない運動に役立てば幸いである。

(「法と民主主義」編集委員会)



 
時評●改憲阻止運動の中での日民協総会

弁護士 澤藤統一郎

 来月一六日当協会の四四回定時総会が開かれる。戦後六〇年を目前にして、憲法「改正」の具体的なプログラムが進行しつつある中での総会である。

 衆参両院の憲法調査会が、五年余に及ぶ「調査」を終えて、最終報告書を各院の議長に提出して任務を終えた。いずれの憲法調査会も、憲法改正国民投票法案や憲法改正案発議の付託委員会に衣替えをすることが企図されている。自民党は、十一月の党創立五十周年に向けて、挙党態勢での改憲草案作りを着々と進行中である。野党第一党の民主党には護憲の姿勢は望むべくもない。国会内の議席分布においては、護憲勢力は微々たる存在となってしまっている。財界も、海外への軍事力配備を望むことを隠そうともしなくなった。

 それでもなお、一気呵成に憲法「改正」が実現する情勢ではない。戦後六〇年、日本の民衆が培ってきた反戦平和の国民感情、そして憲法意識の成熟は、容易に改憲を許すものではない。改憲勢力も、国民意識の反発をおそれざるを得ない。改憲作業が具体化するほどに、その困難さも際だってくる。「九条の会」活動を典型に、「平和憲法擁護」「近代立憲主義堅持」という巻き返しの運動の高揚があり、目を瞠るものとなっている。

 憲法九条は、満身創痍になりながらも、国民運動に支えられて、よくその役割を果たし続けている。それゆえにこそ、支配層には改憲が必要なのである。改憲は単に「条文を現実に合わせる」作業ではなく、「理念を放擲して、危険な現実を推し進める」効果が企まれている。改憲を許すか、改憲の策動を阻止して憲法を民衆自身のものとするか。歴史的な岐路にあることを痛感せざるを得ない。

 その状況にあって、私たちは法律家運動の分野において、改憲阻止という国民的大運動の一翼を担わねばならない。総会で新たに選出される新執行部の主たる任務は自ずから明らかである。

 当協会は設立以来一貫して、統一戦線組織を標榜している。改憲阻止の一点で幅広く法律家の連帯を作ること、それが当協会が果たすべき当面の最大任務である。

 憲法問題と並んで、司法問題に関しても課題は山積である。

 協会はこれまで、司法の民主化・裁判官の独立・官僚司法の打破、などのスローガンで問題にコミットしてきた。司法制度改革が一段落ついた今、制度運用のあり方について問題提起を続けていかなくてはならない。とりわけ、裁判員制度の導入に伴って大きく変わる刑事司法に関心を持たざるを得ない。どうすれば、被告人の権利や弁護権を後退させることなく、より充実したものとできるだろうか。また、新たな法曹養成制度に人権感覚をいかに注入すべきか。司法支援センターを官の統制から独立させ、どのように国民の利益のために運用すべきか。

 意見の相違ある分野であるが、建設的な議論を重ねたい。

 なお、第四四回定時総会は、「法と民主主義」四〇〇号記念の祝賀会と重なる。そして、第一回の「相磯まつ江記念・法と民主主義賞」の授賞式も行われる。受賞者の記念講演も予定されている。四四回・四〇〇号の積み重ねの意味を再確認して、あらためて当協会の果たすべき役割に思いをいたしたい。

 私事になるが、私は今次総会で事務局長を退任することになる。一九九八年から七年にわたって事務局長の任にあった。この間、三代の理事長を支え、二回の事務所引越も経験した。やり甲斐もあり、楽しくもあったが、長きに失したというほかはない。

 組織が活性化するためには、人事の交代は不可欠である。今後は、事務局長には二年の任期を切っての交代として、その間全力投球できるよう態勢作りをしなければならない。協会員が総力で執行部を支え、任務を分担して手厚い補佐の態勢を作ることも課題である。

 この情勢下当協会の果たすべき役割は大きい。協会活動のさらなる発展を期さねばならない。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

草笛は野づらをわたり どこからここに、どこへ

弁護士・後藤昌次郎先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

 草笛の音色はリリカルである。もう何十年も前になるが、後藤先生は四谷の住人だった。四谷税務署の裏にちょっとし公園がある。ジャングルジムやブランコがある公園の片隅で後藤先生は草笛を吹いていた。公園の低木の茂みごしに、小柄で痩身、両手を口元にあてちょっと前傾するような立ち姿が見えた。昼下がりの街、そこだけ不思議な野の風が吹いているようだった。かすかに草笛の音が聞こえた。弁護士になってまだ数年だった私は修習生時代に聞いた先生の逸話をふと思い出した。「孤高の刑事弁護人は生活保護を受けながら事件をやっていた」。弁護士ってこんな生き方ができるんだ。都会の真中、同じ町に先生がいる。なんだかうれしかった。

 当時先生は六〇代。大きな刑事事件を抱えて忙しい日々を送っていたに違いない。岩波新書の「冤罪」を発刊したのが一九七九年四月。私も読んだ。自分とは次元の違う弁護士、遠く仰ぎ見る人であった。二〇〇五年五月、このインタビュウをと思っていたそのとき、地下鉄丸の内線の最後尾の車両すぐ側に先生がいた。勇ましい白髪、野人の風格の先生。二〇年前と同じ野の風が吹く。先生は地下鉄の音で聞き取りにくいのか私の方に耳を傾けるようにする。「入れ歯にしたのでちょと」「このごろ物忘れが」などと言いながら私の強引な話に付き合ってくれる。「入れ歯でも草笛は吹けるんですか」思わず聞いてしまった。「それができるようになりました」よかった。

 後藤先生は今年八一歳になった。一九二四年、岩手県の県都盛岡から一二里、汽車で一時間の黒沢尻町で生まれた。長男、下に弟妹がいる。家は貧乏だった。父親は便利屋をやったり奥羽山脈の中の鉱山の守衛をやったりしながら家計を支えていた。小学一年で落第、いじめにあった屈辱をバネに、後日長男の昌次郎君にはえらく教育熱心でつきっきりで勉強をさせた。学校で一番にならないと「飯を食わせない」。昌次郎君はこれによく耐えた。小学校を終えると昌次郎君は憧れの地元旧制黒沢尻中学へ進学を希望。父は「授業料はタダだから師範学校に入れ」と反対。何とかという昌次郎君に「一番で入ったら入れてやる」。昌次郎君はがんばったが四番だった。夕飯の時「親父がちっちゃい皿に鮪の刺身を買ってきた。私の家は貧乏でしたから一週間に一度くらいしか魚なんていうのは食えない。まして鮪の刺身なんか食ったことがない。ところが親父が鮪の刺身を買ってきた。『おどっチャ、きょう何かあるのすか』と言った。『ナヌゥお祝いだじゃ、お祝い』」。

 昌次郎君は黒沢尻中学に無事入学。ところがスポーツ好きが高じて結核性の股関節のカリエスになってしまう。結核は当時死に至るおそろしい病だった。地元の病院で誤診され、誤った手術を受け、ろう孔ふさがらなくなってしまう。激痛に堪えかねて東北大学病院へ。言下にカリエスと診断される。「一生寝ていなくてはならない」との宣告。「父は私を助けるために、あやしげな民間療法にまで一縷の望みを託して、私のために文字どおり必死に尽くしてくれた。まもなく心労と過労で四三歳の若さで脳卒中で急死した」昌次郎君は父が亡くなる一月ほど前に混合感染を起こし膿がピタリぴたりと止まりろう孔もふさがってしまう。一〇人に一人に起こる不思議な現象に救われたのである。昌次郎君はそれでも寝たままであった。「父が死んで、私は長男として位牌を持って寺の葬式に臨まなくてはならない。おそるおそる立ち上がり、おそるおそる足を踏み出してみると、なんと悪い方の脚で立てるではないか。父の生きているうちにどうして思い切って立上ってみなかったろう」

 カリエスの病根を残したまま昌次郎君は二年遅れて中学にもどる。肉体労働のできない昌次郎君には就職口など無い。「とにかく学校に行って勉強するよりほかなかった」「軍国主義が華やかな時代」「上級学校も兵隊になれないようなやつ」は取らなかったのである。「日本に唯一つ、わが校は人間を養成する学校であって、兵隊を養成する学校ではない」と公然と言っていた旧制一高だけが入れる学校だった。校長は哲学者安倍能成。一高であれば寮に入って家庭教師のアルバイトをすれば仕送りが無くてもなんとかいける。母と弟妹に迷惑はかけるがこの道しかない。受験勉強に全力を傾注した昌次郎君は一高にトップで合格する。

 まずは文科で西田哲学を始める。いかに生きいかに死すべきかその答えを求めたが「一生懸命読めば読むほどわからない」。戦争に負けてみると西田哲学が砂上の楼閣のように思われる。本当の学問を求めて文科を中退し受験し直し理科に再入学する。ところが議論にまったくついていけない。後にフィールズ賞を受賞するような「特殊な天才」がいる。悪戦苦闘している数学の基本書を中学の夏休みに読んでしまったと言う不破哲三もいた。「寮にオルグに来ていた彼をつかまえて本当にわかっているのか聞いてみた。極めて明解に説明する。ボクはだめだと思いました」「常識でわかる学問」をやるしかない。

 後藤先生の弁護士の第一歩は東京合同である。ストレプトマイシンでカリエスを抑えながら使っていた股関節は弁護士になってまもなく「結核菌ですっかり腐食して手のつけ様がない」ことになってしまう。その時一年半医療保護と知人友人のカンパで食いつないでいた。これが「生活保護で刑事弁護」神話の真実である。そして後藤先生はまた代々木病院で奇跡にあう。無名の名医の関節固定手術によって「多くの人は私の跛行に気づかなかったほど」になる。

 「もしカリエスで脚が不自由とならなかったら、私は戦場で戦死し、妻と結ばれることも、愛する子らとこの星でめぐり会うことも無かっただろうこのありえたかもしれないもう一人の別の私の、かぎりない悲痛と孤独を思わなくては、あの戦争で生命を失った人々に対する冒涜となるだろう」と思い半世紀。八一歳になるまで後藤先生は多くの冤罪事件を闘い、刑事弁護人として法廷に立ち続けたのである。

 二〇〇五年一月先生は『神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由「A少年」は犯人か』を発刊した。先生の渾身のこの書は「せいいっぱい書いたこの本が、A少年とご両親の目にふれますように」と結ばれている。冤罪を許さない気迫と限りないやさしさが切々と心打つ。

後藤昌次郎
1924年、岩手県北上市に生まれる。
1954年、東大法学部を経て弁護士。以後、松川・八海・青梅事件、日石・土田邸事件など多数のえん罪・弾圧事件に関わる。
1992年、東京弁護士会人権賞授賞


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