日民協事務局通信KAZE 2011年10月

 3・11と日民協創立50周年──事務局長に就任して


 今年は、日民協創立五〇周年である。日民協は、五〇周年事業プロジェクトチーム(久保田穣委員長)を立ち上げ、@五〇年間の「法と民主主義」を網羅したDVDつきの特集号、A「日民協五〇年を祝い明日を語る集い」、B「司法改革一〇年──司法は国民のために役割を果たしているか」に取り組んだ。
 これらの取り組みを通じて、日民協事務局長に成り立ての私は、日民協の五〇年間の蓄積された活動と人材の豊富さに驚くばかりだった。法と民主主義を見れば、日民協が憲法や司法の分野で切り開いてきた問題がいかに多岐にわたるかがわかる。久保田前理事長が特集号と本号で日民協の五〇年の活動をまとめられているので、是非お読みいただきたい。
 私は、日民協との関わりが深かったわけではない。戦後補償問題にずっと関わっていて、どちらかというと畑違いとも言えるかもしれない。また、自分に日民協事務局長を担えるだけの力などあるとは思えない。でも、お引き受けした。3・11が引き金になったのだろうと思う。
 3・11は未曾有の大惨事だった。しかも、「他人事」にしてしまっていた原発事故の被害者に私たち自身がなった。福島第一原発周辺二〇キロ圏内は、人間の生活の息吹はなくなった。建物はあるが、人間の姿を見ることはない。何年後に戻れるか、半ば永久にもどれないのか、それすらもわからない。
 戦争は3・11以上の惨事だったと思うが、私にとっては3・11はまさに戦争体験に匹敵することだった。人間とは何か、何が自分にとって大事なことなのか、国家は何のために存在するのか。柄にもなくそんなことを考えざるを得なくなった。
 原点に立ち戻って何かやらなければならないと思っていたときに、日民協の事務局長の話が飛び込んできた。日民協の組織のことはあまり知らない。ただ、安保闘争の時に憲法、平和、人権の擁護を掲げて幅広い法律家集団が立ち上がった、というようなことはおぼろげながら知っていた。
 3・11は自然災害であると同時に、明らかに人災である。人間の尊厳に最高の価値をおく憲法を文字通り体現した国家であったなら、地震はあってもこれほどの被害は起きなかっただろうし、原発事故も起きなかった。
 法律家団体は、憲法の原点に立って国民運動の一翼を担い、この国を変えることに寄与する時なのではないか。日民協の五〇年の活動の中で培った「財産」をこれからの五〇年に生かす時なのだと思う。
 歴代の理事長をはじめこれまでの事務局長経験者や事務局の方たち、何よりも全国の会員・読者の支えによって日民協の活動は進んでいる。私も事務局長として、皆さんとともに一歩でも前に進めることに寄与できたらという思いでいる。


(弁護士 南 典男)


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