日民協事務局通信KAZE 2013年4月

 現代社会に求められる法律家像と法曹人口


 四月九日政府の「法曹養成制度検討会議」は、司法試験合格者数「年間三〇〇〇人」とした当初目標の撤回を決めた。「食えない弁護士」「弁護士の就職難」など、法曹人口の増加の影響は、弁護士の経済的な側面から語られることが多く、隣接法律職能団体も、弁護士の増加が自らの存在を脅かすと考える者も多い、この問題に対して積極的に発言していないため、必ずしも全容を明らかにした議論になっていないと思われる。そこで、司法書士の現場から私の視点でこの問題について考えたい。
 法律家は、西欧のプロフェッションや大学における法学部の生成過程を考えれば、市民社会にとって必要不可欠の存在と言える。それは社会に惹起するさまざまな問題に適切に対応することが要求されるからであろう。市民社会は、常時変化を遂げる。その時代の法律家は変化する社会に適切に対応していかなければ存在価値がない。わが国の法律家制度は明治期に国家の近代化のなかで西欧からその原型を導入することで誕生して現在にいたっている。しかし、いわゆる法曹人口は西欧ほど増えることなく社会が形成されていった。
 裁判に至らないが、日常的に存在する社会の法律事務需要に応えるために、一方では隣接法律専門職能が発展を遂げ、一方で弁護士は紛争が深化した段階で登場するような仕組みが出来上がっているように思える。この感覚は、おそらく現役の弁護士の方々には体感できていないであろう。私たちが市民の相談を受けたとき、「その問題は弁護士へ相談したほうがよい」と助言すると「このような問題でも弁護士に相談してよいのでしょうか?」と逆に質問される方は相変わらず多い。
 日本社会は戦後復興から高度経済成長期、オイルショックを経てバブル経済とその崩壊、グローバル経済化からリーマンショックと経済に翻弄されて社会構造が変化してきた。これらの変化する社会に応じて当然ながら法律家の対応する事件も変わってきている。市民の感じる社会的リスクも変化しており、それに応じた対応が法律家側に求められるのである。
 かつての依頼人は、安定した終身雇用に支えられており法律家に相談する個々の課題もある程度深刻化してからで済んでいた。しかし、今、雇用そのものも不安定になり市民は漠然とした生活不安を抱えている。このような時代には日常的に気楽に相談できる法律家が必要とされる。事実、私の最近の依頼人は複合的な課題を抱えておりしかもその課題に本人も気づいていない場合も多い。しっかり話を聴いて依頼人の持っている様々な課題を把握し必要があれば地域の別の職能とチームを組んで支援に当たる。このようなスタイルの法律家を描くとすれば、まだまだ弁護士の数が十分であるとはいえないのではないだろうか。

(司法書士 稲村 厚)


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