日民協事務局通信KAZE 2013年10月

 その夜 月は十一夜


 九月一六日、台風18号が首都圏を直撃するはずだった。その日は土曜日から三連休、よりによって敬老の日だった。「参加者はほとんど敬老される側か」などとつまらないことを考えながら前日から台風情報を気にしていた。何しろ一六日午後、首都圏は暴風雨の中なのである。会場は駅直結のホテルだから飯能駅までたどりつけば何とかなる。「夕方からしか無理じゃないの」とつれない家人。林さんに連絡すると「私は早めにいきますので時間通りいらして下さい」ときっぱり。よし台風なんかに負けるものかと出番を待っていたカッパに身を固め世田谷の自宅を出た。私はリュックごとかぶれる自慢の大型カッパを何枚か持っている。ことごとく家人には不評で「あまりに変だ。とにかく一緒には歩きたくない」と言われている。今日は台風、ぴったりでしょう。自宅から千歳烏山の駅までシーンとして雨も風もない。「さあ来い台風」。がらんと空いている京王線に乗り込んだら数人の乗客の視線が。そそくさとカッパを脱ぎ、リュックに隠したのである。池袋から西武線へ。人はいないし、急行が来るし、座れるし、で楽勝の電車だった。
 さすが日民協、ほとんどの方がいらしている。渡辺理事長は国立から途中タクシーまで使って到着。遠く鎌倉から来る海部さんも穏やかに「湘南新宿ラインが止まってなかったので」と涼しい顔。ホテルの窓から外を見ても静かな空が広がっているだけだった。
 もちろん合宿は充実。「戦争をする国」へとひたひたと確実に潮が満ちるような状況が足元まで来ていることが実感された。気がついたときにはみんな溺れているにちがいない。どうして大反対運動が起こらないのかほんとうに不思議である。安保どころの話じゃないだろうに。合宿にも参加いただいた宇都宮さんと闘った二〇一二年師走の東京都知事選。宇都宮票は九六万八九六〇票、猪瀬が四三三万八九三六票、すごく乱暴に言うと投票に行った人の五人のうち四人は猪瀬を支持し、宇都宮は一人だけ。友人知人依頼者、つらつらと自分の身の回り人の顔をうかべてみる。わたしの人間関係はすごく偏向しているのか。そして二〇一三年七月参議院通常選挙。澤藤ブログでは、吉良七〇万、山本六七万合わせて一三六万。ここを軸に二〇一六年に来る都知事選をと。日本国憲法で育った澤藤さん、「改憲を阻止する国民的共同づくり」はどうしたら良いのでしょう。
 二次会も終わり一〇時過ぎにホテルに戻った。窓の左上には十一夜の月が見える。三日後の一九日が中秋の名月、今年も満月だった。窓の下は飯能駅と西武線。向こうに低い丘陵が暗い影になっている。二〇一二年の夏合宿では湘南国際村の庭から海の上のみごとな満月をみた。窓の月はすぐに天空に移動したのか窓からいなくなってしまった。夜半過ぎに窓辺によると今度は右方の空の低いところにいた。月も太陽も動いていく。
 翌一七日の議論は高田健さんのお話。二〇〇四年の熱海の夏合宿で高田さんお話しを聞いたことを思い出した。法民三九一号・風「平和運動高田分教場」佐藤記(DVDで検索下さい)。あれから一〇年近く高田さんは「同円多心の壮大なネットワーク」作りを続けてきた。いつも励まされる。そして「反改憲法律家共同づくり」の問題提起は小野寺利孝(反改憲本部長)でした。やるのは「今でしょう」。

(編集長 佐藤むつみ)


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