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◆特集にあたって
第二回「『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」が、本年四月五日(土)、六日(日)の二日間、第一回と同様福島大学に会場をお借りして開催された。本特集は、その一日目の全体会を中心とした報告書である。
第一回の「『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」は、二〇一二年四月に、法律家や科学者、ジャーナリストの団体および弁護団など一一団体で実行委員会を結成して行われた。企画の趣旨は、@福島第一原発事故の原因と責任およびその未曾有の被害をできるだけ明らかにすること、A人権侵害・コミュニティ破壊からの回復、完全賠償、そして原発のない社会を目指すこと、Bその為に全国の法律家、社会科学者、自然科学者、医者、ジャーナリストをはじめ、支援の市民が一堂に会して分野を越えた連携を強めることであった。企画は、全国から予想を大きく上回る五〇〇名以上もの人々が集まり大成功を収めた。
その後二年が経過したが、事故は「収束」などにはほど遠く、原発は汚染を拡大し続け、現在約一二万七五〇〇人と言われる避難者の帰還、被害の回復・賠償は進まず、被害者たちは様々な新たな困難に直面している。事故原因の究明は不十分なまま放置され、東京電力も政府も責任逃れに終始し、政府は原発再稼働の強行を目論見、原発の輸出を推し進めている。
こうした状況の下で、第二回「『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」が開催された。この「第二回」は、「第一回」の企画趣旨を踏まえつつ、この事故の風化を許さないこと、現在の被害の状況と情勢の全体像をしっかりと把握し運動の課題を明らかにすること、全国に広がった「被害回復」「脱原発」の運動の連携を進めること、原発輸出阻止の為の国際的連帯を創ること、などを目指して行われた。実行委員会には新に日本環境会議をはじめとする五団体が加わって一六団体へとさらにパワーアップし、参加者は一日目が四一〇名、二日目だけの参加者を含めて全体で五三〇名を超え、大きな成功を収めることが出来た。
開会の挨拶にたった、淡路剛久実行委員長は、「被災地再建のための有効な手だてを見いだせる集いにしたい」とのべられた。学長就任五日目の中井勝己福島大学学長からの歓迎のご挨拶につづき、ノンフィクション作家の柳田邦男先生は、福島原発事故の政府事故調査委員会の委員長代理を努めた経験をふまえ、原発事故が未だ収束していない深刻な「広域被害」の実態を詳細に明らかにされた。フランス・リモージュ大学のミシェル・プリウール名誉教授は、「原子力災害時を含め緊急時を理由にした人権保障の除外は許されない」として、幅広い原発被害の救済を訴えられた。福島大学の丹波史紀准教授からは、長期避難者の生活再建について、福島における原発災害の特徴にふれながら、あくまで、避難者の個人、家族、そして地域の誇りや尊厳を回復していく過程こそが復興であると強調された。
被災住民からは、情報からの疎外、東京電力の対応、漁業の再生への願い、原発労働者の過酷な労働実態、山積する問題を抱える避難者の実情、そして、九州玄海原発の訴訟団からの連帯の挨拶に続き、相馬市長の桜井勝延氏からは、この国をどうしたいのか、一人一人が問いかけ、決めることの大切さを話された。
研究集会の二日目は、五つの分科会に分かれ討議。被害者訴訟原告団、原発事故の損害と責任、脱原発の実現をめざして、原発報道について、核兵器廃絶と原発など、それぞれのテーマごとに、熱心な議論がおこなわれ、最後に、集会アピールが採択された。
第一回の研究・交流集会からの二年間、様々な広がりと深化を反映した集会となつた。
是非、各論稿をお読みいただくとともに、特別掲載として、「原発と人権」ネットワーク主催の、シンポジゥム「大飯原発差し止め訴訟判決の意義と脱原発運動のこれから」も、併せてお読みいだたきたい。
去る七月一日の閣議決定による集団的自衛権の行使容認は、戦争する国家づくりの宣言であり、我が国の平和のあり方を根本から問うものとなった。壊憲の危機が迫っている今こそ、憲法九条の基本理念を再確認し原点回帰が強く求められている。
憲法九条の恒久平和主義は、「戦力によらない平和」である。過去幾多の悲惨な戦争史を経て、「武力による平和」が「次の戦争のための準備期間」(ヴァイツゼッカー)であり、その終局には夥しい死体があったことの世界史の教訓を踏まえて、戦争違法化の流れを戦争消滅化へと昇華せしめた人類の偉大なる出発点だと理解する。非武装こそが「くずれぬへいわ」(峠三吉)への確かな保証であり、それは他国民も自国民と同様に「命どぅ宝」の共生共存の思想に立脚したものである。
九条をこのように理解すれば、武力の行使を前提とする個別的自衛権行使も違憲である。制憲国会における吉田首相の個別的自衛権も放棄したとの見解こそが正当な憲法解釈である。制憲の決意たる「再び戦争の惨禍が起きることのないようにすること」(前文)の「戦争」には、惨禍の不可避な自衛戦争も含まれる。しかるに、その後の自衛隊創設はその合憲化の理論として専守防衛論を生み出した。
専守防衛論が集団的自衛権容認を否定し阻止するための論拠として、その重要性、有効性を積極的に評価しつつも、筆者にはそれを許容したが故に、その後の自衛隊が海外派遣拡大の一途をたどり、それらの延長線上に集団的自衛権容認がなされたように思われる。PKO法、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法等による海外派遣は、いずれも専守防衛の範囲内の行動として合憲との解釈がなされているが、それらによる海外派遣の量的拡大が質的に転換したものだと解する。専守防衛の軍事力が侵略のそれへ転化することは、理由不要な際限のない自己増殖性を内在的本質とする軍事力の必然の帰結である。自衛隊もその例外でありえないことを閣議決定は実証した。専守防衛論の検証と克服が肝要である。
安倍首相は、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に際し、「日米安保体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させる」ためと説明した。「武力による平和」こそが日米軍事同盟の本質であり、集団的自衛権の行使容認はその直接的要求によるものである。
憲法九条は、常に日米安保体制からの侵食にさらされてきた。それは自衛隊創設が旧安保体制下での米軍要求によってなされたことを嚆矢に、米国のグローバルな軍事戦略に基づく日米同盟への要求と圧力の所産である。米軍再編による日米合意は自衛隊の米軍との一体化を推進し、戦争できる軍隊への能力を高めたが、戦争できる国家体制づくりの背景には、それがある。
壊憲の危機が日米軍事同盟を背景にもったものであるなら、九条擁護の運動は安保条約廃棄へと連動しなければならない。しかるに国民意識は、九条擁護派が過半数を占める一方で、安保容認派は約八割だといわれている(但し、沖縄県内だけでみれば反安保が約七割である)。「憲法も、安保も」という二律背反の同時併在は、筆者には一九七〇年代以降、安保違憲論を回避する傾向にある護憲勢力にもその責任の一端は免れ得ないとの強い思いがある。全国的に展開されている米軍機爆音訴訟はその事例であり、沖縄県知事代理署名訴訟も然りであった。沖縄で根強く存する普天間基地の県外移設論もその系譜にある。
憲法九条に基づく恒久平和の国づくりは、武力によらない平和を「自分の本能」(井上ひさし)にして、自衛隊違憲論とその武装解除並びに安保条約廃棄への国民世論づくりを必須の課題としている。過去の累積の上に現在が構築されているのであれば、希求する未来の実現化に向けた現在の不屈の闘いが求められている。それへの勇気と覚悟なしには現状変革はなしえない。
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