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◆特集にあたって
まもなくこの国の「行く末」を問う総選挙が実施される。この選挙が、日本国憲法が掲げる自由、民主主義、平和の実現に向けた転機となるか、それとも改憲によるその浸蝕の道への「とば口」となるかは、この選挙戦を通じて、「憲法問題」についての論議が旺盛にたたかわされるか否かにかかっていると言えよう。
そのためには、いま憲法問題をめぐって何が起きているのか、をしっかりととらえる必要がある。本特集は、「表現の自由」という領域において「今起きていること」を精確にとらえ、これに向き合う「立ち位置」を定めるために企画された。
マス・メディアの活動や組織に関連するもの、裁判という手法を使った新手の言論抑圧(スラップ訴訟)など、こんにちの「表現の自由」をめぐる問題は多岐にわたり、かつそれぞれの問題ごとに固有の性格をもっている。また人間の「精神的な営み」に関わるという事柄の性格上、問題が生起する場面は、初等・中等教育、そして大学にも広がっている。街頭や公共施設での言論をめぐっても、ヘイト・スピーチや、公共施設の利用・サービスの制限などの問題が生じている。
本特集では、こうした多岐にわたる「表現の自由」、より広くは「精神的自由」の世界で起きていることを概観し、憲法、教育法の観点から考察する座談会「迫りくるもの言えぬ社会」を巻頭に配した。そして、スラップ訴訟、マスコミに関連する動き、それとも連動する大学教育の場面での事態など、「表現の自由」をむしばむ動きとこれに抗する取り組みについての論稿を寄せていただいた。なお、本誌では、485、486、490(2014年1月、2・3月、7月)号で、「ヘイト・スピーチ」に関する特集・論稿も掲載してきた。これらも合わせてご覧いただければ幸いである。
我が国が曲がりなりにも近代的刑事訴訟法典(治罪法、一八八二年施行)を有して以来の運用を通観すれば、そこに顕著に認められるのは、立法者(議会)の意図から次第にはずれて糾問主義との連続性を強める動きである。その象徴的帰結は、取調官(検察官、警察官)が密室における取調べで被疑者が自発的に述べたかのように書き、署名・押印を得た調書を裁判の証拠にすることである。それは手続を「効率的」にするが、死刑を含む幾多のえん罪犠牲者を生み出してきた。
この度、法務省の法制審議会は新時代の刑事司法制度特別部会の答申案を承認し、刑事訴訟法、通信傍受法などの改正に関する答申を行った(二〇一四年九月一八日付)。答申には、裁判員制度対象事件の身柄事件などの取調べの原則「全過程」録音・録画制度が含まれている。「全過程」に括弧を付すのは、例外が広範で、また、「任意取調べ」は対象外だからである。
それにしても、しかも、全事件の二%程度が対象であるにせよ、とくに裁判員裁判事件の取調べの可視化は急務中の急務ではある。対象外の事件についても検察は今回義務化される録音・録画と同じ趣旨で実務上の運用を行うことを目指すと約し(第三〇回特別部会)、また、警察の取調べをも含めて、施行後の見直しによって対象事件等を拡大する道筋もつけられるという。そうであるなら、被疑者国選弁護の拡張と相俟って、糾問化の象徴的帰結から今度こそ脱却する起点(基点)を敷設するものと期待される。
しかし、答申は根本的な問題を孕む。私見によれば、それは、「被疑者の自白」以外の証拠(以下、「物証等」という。)を中心とする捜査、はどこへ行ったのかということである。
現行刑訴法を制定した国会の、捜査に関する基本的な考え方(原点)は、この「物証等を中心とする捜査」(「物証等中心主義」)であった。衆議院司法委員会で委員から「犯罪捜査について被告人の自白に頼らないで、できるだけ他の証拠に基づいてやる」という形で提起され、政府側も「御質問の趣旨は、私どもまったく同感」と答弁している。戦前の「人権蹂躙」や政治的弾圧への反省、それに基づく憲法の黙秘権保障、自白法則、補強法則の制定、現行刑訴法案が取調官に黙秘権告知義務を課したことが背景にある。「物証等中心主義」は、糾問主義を克服したとしても洋の東西を問わずなお残る誤捜査の大きな原因、すなわち、「見込み捜査」(トンネル的視野の捜査)の基本対策となるものでもある。しかし、現行刑訴法施行後も前記の、糾問化の象徴的帰結や「代用監獄」など旧来の被疑者取調べ中心主義の機構がほぼ維持されてきた。それ故にえん罪や誤捜査は少なくなく、今回の法務大臣諮問に至っている。ところが、答申案の基になった特別部会の「基本構想」では、「取調べ中心の捜査の適正」を目指すという。この「取調べ中心の捜査」への固執が原則取調べの全事件全過程の可視化、従って、その適正化の障害となった。その一方で、被疑者取調べ中心主義の原因が村木事件や袴田事件がその典型例である自白(供述)依存や物証捜査軽視ではなく、「他に有力な証拠収集手段が限られている」ためのようにいう。盗聴対象の大幅な拡大や司法取引の導入などに道を開くためである。この論理転換は、捜査・訴追の便宜に傾くあまり、えん罪や誤捜査の原因を軽視するものである。このような立法がなされるなら、その法律の運用はどうなるのであろうか。
答申は、そこに含まれる各制度は「一体としての制度」であるという。しかし、それは、取調べのごく限定的な事件の「全過程」可視化と同時に捜査・訴追の便宜の大幅な拡大に国民の同意を得ようとする捜査・訴追当局側の方便であることは見え透いているのではなかろうか。
現行刑訴法の原点をないがしろにすることは、いつか来た道へと戻ることである。答申に基づく法案を審議する国会の責務は重かつ大である。
©日本民主法律家協会