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 法と民主主義2016年2・3月号【506号】(目次と記事)


法と民主主義2016年2・3月号表紙
特集★安倍政権と言論表現の自由
特集にあたって………「法民」編集委員会・丸山重威
◆安倍政権によるメディア介入と言論・表現の自由の法理………右崎正博
◆情報統制に向かう日本 進む放送介入………田島泰彦
◆安倍政権の圧力とNHK政治報道の偏向………戸崎賢二
◆安倍政権のメディア政策──その戦略と手法………石坂悦男
◆『秘密保護法』のいま………日比野敏陽
◆「九条俳句裁判」と地域における表現の自由………久保田和志
◆「アベ政治を許さない」は許さない──北海道教委「調査」の意味するところ………國田昌男
◆万国のブロガー団結せよ! 起て、スラップに負けることなく………澤藤統一郎


  • メディアウオッチ2016●首相の「憲法改正」発言 改めて新聞は姿勢を明確に問われる基本的問題での視座………丸山重威
  • 特別掲載●福島原発事故から丸5年、いま何が問われているか──「第3回『原発と人権』福島集会」開催の意議──………寺西俊一
  • 連続企画●憲法九条実現のために〈4〉熊本での野党統一候補、弁護士 阿部広美さん………板井俊介
  • 資料・各地で進む野党共闘………編集委員会
  • 司法をめぐる動き・刑訴法等改悪一括法案の廃案をめざす闘いの正念場!反対の声を広げよう!野党の反対議員を励まそう!抗議の声を日弁連執行部へぶつけよう!………弓仲忠昭
  • ・1月〜2月の動き………司法制度委員会
  • あなたとランチを〈16〉………ランチメイト・串崎浩氏×佐藤むつみ
  • 委員会報告●司法制度委員会/憲法委員会………米倉洋子/小沢隆一
  • 時評●原発規制の無責任体制は続く………高橋利明
  • ひろば●立憲主義を守るとはどんなことか………吉田博徳

 
安倍政権と言論表現の自由

◆特集にあたって
 二〇一二年暮れ、第二次安倍内閣が登場してから、武器輸出三原則の廃止、秘密保護法の強行、閣議による「集団的自衛権」の解釈変更、「戦争法」の強行と安保関連政策や、「アベノミクス」と称される金融緩和、TPP交渉の促進などの陰で、メディアをめぐる問題は、ますます多岐にわたり、複雑になってきた。朝日新聞バッシング、沖縄二紙への攻撃、NHKへの露骨な介入と支配、TBS、テレビ朝日への攻撃、ニュースへの干渉……。挙げ句の果てに、政治的公平を理由に電波停止もありうるという恫喝まで飛び出した。
 いま何が起きているのか、国民はどんなことを考え、行動しなければいけないか。その真実を国民に素早く知らせ、問題を指摘するのが、民主主義社会におけるメディアの役割だが、そのメディアが、いま、危機に瀕している。
 参院選敗北と、相次ぐ閣僚の不祥事、首相自身の体調不良から政権を投げ出し、再登場を果たした第二次・第三次安倍政権は、前回の「反省」の上に、極めて総合的かつ戦略的なメディア政策を打ち出し、メディアが対応できない状況の下で、貫徹を図っている。

▼総合的・戦略的なメディア攻勢
 安倍メディア戦略の第一の特徴は、首相官邸を主導とし、首相自身の売り込みとセットにしながら、対策は戦略的に、きめ細かく進められていることだ。
 安倍政権になって、陣容的にも強化された首相官邸には、菅義偉内閣官房長官、三人の副長官、三人の副長官補、五人の首相補佐官、危機管理官、広報官、情報官、総務官、それらを補佐する審議官、参事官などが詰めている。メンバーは、日米安保を第一とし対米従属と日本の大国化を志向する外務省、新自由主義の推進と経済成長を目指す財務省、経済産業省、治安強化と国防を主張する警察や防衛省出身者、そして、右翼団体にもつながる首相の盟友など。田崎史郎「安倍官邸の正体」(講談社現代新書、二〇一四年一二月)によると、非常に組織的、機能的な運営が行われているという。
 同書によると、官邸では、ほぼ毎日、官房長官の菅、副長官の加藤勝信(当時)、世耕弘成、杉田和博の四副長官と今井尚哉首相首席秘書官が加わった「正副官房長官会議」が開かれ、重要な政策判断がここで行われている。また毎週月曜日には、菅、加藤、世耕の三人が朝会でメディアの世論調査などの動向を分析し対応する、という。加藤勝信官房副長官は昨年一〇月の内閣改造で入閣し、後任は萩生田光一が就任したが、田崎は「要するに正副長官会議は安倍官邸における『最高意思決定機関』といえる」と書く。
 こうした中で、第二の特徴としてあげられるのは、首相が自らテレビ出演して政策を語り、メディア幹部との懇談に出席し、売り込みを図るという「大統領型」政治を進めていることだ。「大統領型」と言えば聞こえが良いが、言い換えれば「独裁型」。
 安倍政権は、それまで首相官邸とメディアの間にあった、首相インタビューについての慣例を破棄させ、いつでも、どのメディアにでも出演することを可能にした。それまでは、在任中のインタビューは、メディアの公平性を確保し、順番に回したり、他社にも立ち会わせるなどのルールがあったが、この制約はなくなり、首相インタービューの自由化が図られた。産経新聞の特定の編集委員のインタビューが紙面に載り、テレビで特定のコメンテーターによる解説が幅を利かすのは、そういった事情による。
 第三の特徴としてあげなければならないのは、特にマスメディアに対して、新聞ではアメとムチによる選別、放送ではNHKから民放へと系統的な介入、支配が戦略的に行われていることだ。
 まず、新聞では、「軽減税率」の対象に新聞を加えることで、アメをしゃぶらせながら、在京紙を選別し、親政権派の読売、産経、これに近い日経と、政権批判派の朝日、毎日、東京という「分断」に成功した。政治的意見は異なっていても、こと言論の自由、出版の自由、報道の自由といった問題では、一致して行動できるはずのメディアが、朝日叩きの出版を産経が積極的に進め、読売が自社の販売拡張の材料にする、という状況も生み出した。
 また、地方紙にも、「首相側近」とも言うべき人物が沖縄二紙を廃刊させようと発言し、他の地方紙をも萎縮させることを狙った。
 次に、放送に対しては、NHKから民放、それも特定の番組を狙って極めて系統的な攻撃がかけられている。
 そして第四に、言葉の「言い換え」「すり替え」、「断定」と「ウソ」による思想攻撃とごまかし、問題回避の手法だ。
 「戦争法」という呼称にむきになって反論し、都合のいい数字だけを拾って「アベノミクスは失敗していない」と言い張る。「首相である私の答弁に間違いはない」と繰り返す。これは既に「嘘も一〇〇回言えば本当になる」というレベルを超えて、「思想攻撃」の域に達している。
 「武器禁輸」を言い換えて「防衛装備移転」はまだかわいい方かもしれない。「積極的平和主義」についての発言は、日本国憲法の平和主義の理念を歪めるものである。
 つまり、戦後の日本は、平和とは決して、単に戦争がない状況を言うのではなく、「専制と隷従、圧迫と偏狭」をなくしていくことだ、と考え、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」と考えた。憲法はそのうえで、「不戦、非武装」を決めたのだが、この本来の「積極的平和主義」(positive peace)を歪め、武力も持ってでも紛争を解決する「積極的平和主義」(proactive contribution to peace)を声高に唱えたのが安倍首相だ。首相は外国で発言し、二〇一四年の「国家安全保障戦略」に据えた。
 言葉によるごまかしだった。

▼「受け手」を意識した政治
 そして最後に、これが最も重要なことかも知れないが、安倍政権の政治は、常に「国民・世論」を意識するのではなく、むしろ「ニュースの受け手」を意識し、いつ、何を問題にするか、何をニュースにするか、が周到に計算され、次々とテーマが繰り出されているのではないか、ということだ。
 京都大学の佐藤卓己教授は、毎日新聞二月一一日付で、「政治のメディア化」を指摘し、「『政治のメディア化』とは、政治がオーディエンス(受け手)への効果をいつも念頭において展開される傾向である。政治家について言えば、メディアでの注目度を最大化するパフォーマンスが採用される」「メディア人間にとって必要なのはコミュニケーション(内容伝達)ではなく、エクスプレッション(印象表現)なのだ。こうした「政治家としての美学」に基づく作劇法は、政治に不可欠な結果責任を背後に押しやってしまう」と述べている。
 かつて、米国では、ベトナム戦争で自由な報道が、残虐な戦争の実態を国民に伝えることになったという「反省」から、視聴率を求めるテレビの本性を利用し、メディアが十分な取材・検討をしなくても放映できるように、政府・軍の側が、うまく構成した情報をパッケージし、これを「洪水」のように流してニュース番組の時間を埋めていこうという戦略を採用した。メディアが飛びつきやすいニュースを、むしろ積極的に提供することで、世論づくりをリードしていこうという政策で、「ディーバー・システム」といわれている。(武田徹「戦争報道」ちくま新書)
 レーガン大統領の補佐官だったマイケル・ディーバーの名前を取って、こう呼ばれるようになったというが、現政権ではどうだろうか。島尻安伊子沖縄・北方相のカレンダー配布問題や歯舞が読めなかった問題、高木毅復興相の「下着泥棒」疑惑が続く中、国が原発周辺の除染作業で、基準の年間被曝量が一ミリシーベルトとされていることについて「『反放射能派』と言うと変ですが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」などと全く事実に反する発言をした丸川珠代環境相の問題が、いつの間にか消えていった。
 丸川発言が問題になるころ、大きく報道されたのは自民党・宮崎俊介衆院議員の不倫問題だった。
 そして、当然、捜査当局が動くのではないか、と言われた甘利正前経産相の「口利き疑惑」に特捜部は動かず、代わりに特捜部の捜査の手が入ったのは、田母神俊雄氏の政治資金問題。もちろん、どのニュースもすべて仕組まれたものだということはできない。しかし、メディアを意識し、分析し、先手先手に物事に対応しようとしている安倍政権にとって、「ニュースの置き換え」が成功した例、とは言えないのだろうか。

 安倍首相は、今年初めから、「憲法改正は現実的な課題になった」「私の任期中に改正を成し遂げたい」「憲法改正の考え方は既にお示ししてある」と繰り返している。
 そして、では、何を変えようとしているか、と聞かれると、「大規模な災害が発生したような緊急時において、国家、そして国民みずからどのような役割を果たすべきかを憲法にどう位置づけるかは重く大切な課題だ」とか、「実力組織である自衛隊の存在を憲法にしっかり明記すべきだ」などと口走りながら、何をテーマに改憲に取り組むかは、「国会や国民的議論、理解の深まりの中でおのずと定まってくる。どの条項についてやるか、だんだん収斂していく」などとあいまいにし、争点化を避けている。
 そして、「国会は国民に判断を委ねる発議をするだけだ。国民に決めてもらうことすらしないのは、責任放棄だ」と、とにかく改憲発議ができる三分の二の獲得を目指す。
 「まず改憲ありき」──安倍政権は、その方向を守って、問題が大きくなることは避けつつ、メディア対策を進めている。
×××
 編集委員会では、今回の特集で言論・報道の自由と、放送と新聞のメディアの現場の状況を、できるだけタイムリーに描き出していただくことを考えました。この特集が、これからの運動に役立つことを願っています。

「法と民主主義」編集委員会 丸山重威


 
時評●原発規制の無責任体制は続く

(弁護士)高橋利明

1 東日本壊滅のおそれが目前に迫っていた
 この3月は「震災5周年」に当たり、新聞・テレビは競うように東北太平洋岸での津波被害や福島第一原発の事故を振り返った。原発事故の再現報道では、13日?午後9時からの「NHKスペシャル 原発メルトダウン」が圧巻だったのではないか。
 11日の事故から4日目の15日の早暁には、あのテレビ報道のように、吉田昌郎所長らの現場や、そこから情報を得ていた政府高官は、太平洋沿岸の東北・関東の原発が連鎖爆発を起こし、東京以北の東日本全域が高濃度の放射能で汚染され国土喪失に至る事態が頭をよぎっていたのである。結果として、もっとも心配されていた2号機の「格納容器爆発」という東日本壊滅につながる最悪の事態が起こらなかったのは、同容器の本体部分と蓋の部分をつなぐ、いわばゴムパッキンから高圧放射能ガスが漏れて圧力が解放されたというのが事実だった。筆者が担当している浪江町津島地区(帰還困難地区)の被災者らを原告とする、「ふるさとを返せ、津島原状回復等請求訴訟」では、後発で提訴が昨年9月であったこともあり、吉田聴取結果書に基づいて上述の事故経緯を訴状で指摘した。

2 事故後、何も解決はされていない
 この原発事故では、十数万人の人々が着のみ着のままで全国各地に避難した。この避難過程では多くの重篤な患者たちが亡くなっている。そして、今日までに全国各地の裁判所で、原発の被災者らが、東京電力や国を被告として慰謝料等の損害賠償請求を行っているが、東電も国も、「このような巨大津波襲来の予見は不可能であった」と抗弁して、その責任を争っている。これまで、原発事業者や国は、あらゆる機会に「日本の原発は安全です」と、安全神話を振りまいてきたのに、東日本壊滅が目前に迫った事故を起こすと、「責任はない」と言葉を翻す。その一方で、まだ事故原因の解明も不十分、汚染処理の目途も立たない、汚染地区の住民の帰還はほったらかされて目途もない。そうであるのに、「新基準で安全は確保された」として、全国で再稼働をはじめている。そんなことが許されるのか。このような状況の中で、大津地裁において高浜原発3号機、4号機の再稼働を止める仮処分決定(3月9日)が出された。常識的で尤もな決定である。

3 国と事業者が意を通じて無為無策を重ねた
 3・11の事故原因は、原発の創業以来の津波に対する無為無策である。原発プラントをコントロールする電源装置が地下階に設置されている状態で津波が襲えば、配電盤などが被水して機能不全になることは常識でわかる。しかし、日本の安全基準では、「長時間にわたって全電源が喪失する」という事態が全く想定されていなかったのである。それでも一時期、原子力安全委員会の下でも、「全交流電源喪失事象について、審査指針への反映等、我が国の安全確保対策に反映すべき事項がないか否かを検討する」という時期があった。しかし、関西電力からは、翌年の1992年6月付で、「全交流電源喪失事象報告書骨子案に対するコメント」が出され、そこには、「交流電源喪失を設計基準事象とするという方向であれば、従来の安全設計の思想の根本的変更となる」として反対。東京電力も、「シビアアクシデント対策全般からバランスのとれないものとなっている」と反対。結局、この検討結果においては何らの進展も見られなかった。
 こうなる理由は、こうした対策の必要性が明らかになるとそれまでの安全神話が壊れる、各地の原発訴訟に影響する、原発の運転停止が必要となるからと、事業者と国の規制機関が意を通じて危険に目をつむってきたからである。
 そして、通商産業省(当時)は、同年7月、「アクシデントマネジメントの今後の進め方について」を発し、そこでは、「厳格な安全規制により、我が国の原子力発電所の安全性は確保され、シビアアクシデントの発生の可能性は工学的には考えられないほど小さい」として、以後、津波対策が進むことはなく、3・11を迎えるのである。
 電力事業者の無責任・怠慢と、行政の無責任体制は変わるところがないのである。これで黙っていられるか、と多くの人は思うのではないか。



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