「法と民主主義」のご注文は注文フォームからお願いします

 法と民主主義2016年8・9月号【511号】(目次と記事)


法と民主主義2016年8・9月号表紙
特集★市民と野党の共同
特集にあたって………編集委員会・南 典男
◆安倍政権ヘのオルタナティブを──個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指す………広渡清吾
◆市民が創出した新しい政治──「市民連合」の挑戦──………佐藤 学
◆東京都知事選挙における「市民と野党の共同」………南 典男

●共闘はこう闘われた──全国の状況
◆市民が主役、津軽の「リンゴ革命」………大竹 進
◆弁護士グループ勝手連で応援………新里宏二
◆市民の後押しで実現した山形の野党共闘………外塚 功
◆現職法務大臣を破っての勝利………坂本 恵
◆「声をあげれば政治は変わる」の実感を………河村厚夫
◆投票率全国トップ、攻撃にひるむことなく熱い闘いを………毛利正道
◆次に繋げる検証を──山口選挙区からの報告………纐纈 厚
◆志を同じくする市民と力を合わせて──徳島・高知合区選挙区の闘い………大西 聡
◆今後の熊本の民主主義を支える大きな力に………阿部広美
◆「大分方式」の復活と「戦争法廃止運動」の融合………岡部勝也
◆沖縄の統一戦線「オール沖縄」の圧勝………小林 武

●その外21選挙区の状況
◆岩手/秋田/栃木/群馬/新潟/富山/石川/福井/岐阜/三重/滋賀/奈良/和歌山/鳥取・島根/岡山/香川/愛媛/佐賀/長崎/宮崎/鹿児島………丸山重威


 
市民と野党の共同

◆特集にあたって
 二〇一六年参議院選挙は、市民が政党を動かし深く関わる歴史的選挙となった。日本の憲政史上初めてのことであろう。
 市民と野党は、このわずか二年の間に参議院選挙という「政治選」を共闘するまでになった。二〇一四年の終わりに秘密保護法反対運動の高まりのなかで、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会という立場を超えた市民の共同が始まり、二〇一五年の安保関連法案反対運動のなかで、それまで市民運動に関わらなかった多くの個人が参画する広がりをつくった。そして、こうした市民の共同と広がりが野党を動かし共闘を実現させ、さらには市民と野党の共同の選挙をもつくり出したのである。
 参議院選挙は、議席数では改憲勢力が三分の二の議席を得る結果となり、歴史上初めて国会の改憲決議が可能となった。暴走する安倍政権は明文改憲を目指しており、今、日本は、平和主義、立憲主義、民主主義の戦後最大の危機に直面している。しかし、同参院選は、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」などの広範な市民と野党四党(民進党、共産党、社民党、生活の党)の共同により、全国三二の一人区すべてで統一候補が立候補し、一一人の当選者を生み出した。当選した選挙区はもちろん、当選しなかった選挙区でもほとんどの一人区で四野党の比例票を大幅に超える得票を獲得し、原発と米軍基地による被害に苦しむ福島と沖縄では現職大臣が落選し統一候補が当選した。
 戦後最大の危機は、これに対抗する市民と野党の共同が生まれ成長しているという希望を生み出した。参院選では、改憲勢力の膨張を阻止することは出来なかったが、市民と立憲野党の共同する新しい政治の模索が始まったのである。日本政治史上初めて、市民が主権者として連帯して野党の統一を促し、市民が政治を変える試みが実現したことの意義は大きい。こうした「市民と野党の共同」は発展途上にあり、その道のりには様々な試練があるだろう。
 本特集は、「市民と野党の共同」が三二の一人区で実際にどのように取り組まれたのか実相に迫るとともに、「市民と野党の共同」の到達点と課題・展望を探り、新しい日本の政治を切りひらく展望を見いだそうとするものである。市民連合の呼びかけ人である広渡清吾氏と佐藤学氏に、市民と野党が現政権に対するオルタナティブを目指す共同行動の歴史的意義と課題・展望について、実際に共闘の一翼を担われた体験を踏まえて論考を寄せていただいた。また、一一の一人区の選挙戦の実相について候補者を始め実際に携わった方々に執筆していただき、そのほか二一の一人区の選挙の実相と一人区の選挙全体について丸山重威編集委員が総括した。
 「市民と野党の共同」が一層深化し、来るべき政権選択の衆議院選挙においても共同の力が発揮され、安倍政権に代わる新しい政治が切りひらかれること、そのために本特集が少しでも役立つことを願って読者にお届けする。


「法と民主主義」編集委員会 南 典男(弁護士)


 
時評●司法反動期の不当判決群の遺物

(弁護士)徳住堅治

 青法協攻撃(宮本裁判官再任拒否・阪口修習生罷免・裁判官新任拒否など)真っ盛りの昭和46年、司法研修所に入所した。弁護士登録した昭和48年から司法反動化の影響を受けた判決が続々誕生した。公務員の全面スト禁止法制を合憲とする「全農林警職法事件」最判(昭48.4.25)がその嚆矢である。公務員のスト禁止法制を違憲とした「全逓中郵事件」最判(昭41.10.26)、「東京都教組事件」最判(昭44.4.2)を覆えそうと、政府自民党は最高裁判官を露骨に入替え、その野望を達成した。
 司法反動化の影響を受け、労働事件に関する不当判決群が形成された。「三菱樹脂事件」最判(昭48.12.12)は、思想信条による採用差別や興信所を使った思想調査を容認した。「猿払郵便局事件」最判(昭49.11.6)は、公務員の政治活動全面禁止を合憲とした。いずれも最高裁での逆転判決であった。職場の組合活動権を否定する不当判決も続いた。
 「目黒電報電話局事件」最判(昭52.12.13)は、職場でのビラ配布を企業秩序違反とし、精神的・肉体的全注意力を職務に注ぐことを求める職務専念義務論に基づきプレート着用を違法とした。
 「大成観光(ホテルオークラ)事件」最判(昭57.4.13)も同様な職務専念義務論から、リボン着用を違法とした。この事件の一審判決は、リボン闘争を“他人の褌で相撲を取る”との露骨に揶揄して違法争議と決めつけた。
「国労札幌地本事件」最判(昭54.10.30)は、施設管理権万能の思想から自分のロッカーにビラ1枚貼ったことを理由とする懲戒処分を有効とした。
 その他、仮処分の保全の必要性の厳格化・地位保全命令の否定、労働委員会命令の相次ぐ取消・緊急命令の厳格審査、可罰的違法性を否定する判決(「大槌郵便局事件」最判(昭58.4.8))など、裁判所の労働組合を敵視する厳しい姿勢が続いた。
 司法反動期に形成されたこれらの不当判決群により、組合活動権否定の思想(公務員のストライキ・政治活動禁止合憲、思想信条差別の容認、施設管理権万能思想、極端な職務専念義務論など)が確立し、活発だった職場の組合活動は抑圧されていった。爾後、「組合活動は勤務時間外・職場外で行うべき」との思想攻撃を受け、職場の組合活動は窒息していった。
 労働争議・不当労働行為救済申立件数が最も多い年は、昭和49年である。日本の労働運動は、昭和50年のスト権スト敗北を境に、次第に労使協調路線が勢いをましていった。平成元年総評・同盟が解体され、連合・全労連・全労協が誕生した。労働争議は極端に減少し、集団労使紛争から個別労使紛争の時代に移行した。
 平成5年正月朝日新聞がパイオニア管理職38名のリストラを1面記事で報道し、社会に衝撃を与えた。同年2月日本労働弁護団が開設した雇用調整ホットラインには、労働相談が殺到した。バブル崩壊とともに減速経済に陥り、これまでわが国の社会・企業を支えてきた正社員・管理職・高年齢者へのリストラ攻撃が続いた。労働裁判件数は、平成2年ピッタシ1000件(訴訟・仮処分)だったが、昨今は7500件(労働審判を含む。)に増加した。平成期だけで7.5倍増加した。
 平成18年に導入された労働審判制度は迅速性・専門性があり解決能力も高く、労働事件増加にはその導入の影響も大きい。ただ、先進国ではわが国の数十倍の労働裁判が提起されており(ドイツ48万件、イギリス24万件)、わが国の労働裁判件数はもっと増加すると予想される。昨今の労働裁判は、解雇・雇止め、残業代請求、マタハラ・パワハラ・セクハラなど労働者個人の紛争であり、労働組合に関する紛争は見られなくなった。
 私は、平成9年日本労働弁護団発表の「現代企業社会と労働者の権利」の中で、司法反動期が終わりを告げ、労働者の権利確立のため積極的に労働裁判に取組むことを訴えた。ところが、司法反動期に形成された集団的労使関係に関する不当判決群が遺物として残り、手つかずのままである。労働組合運動が再生し、これらの不当判決を打破する日の訪れを願っている。
(とくずみ けんじ)



©日本民主法律家協会