清水雅彦の映画評
第0012回 (2005/06/22)
『電車男』〜「オタク」たちよ、「普通の社会」に取り込まれていいのか?
【ストーリー】
年齢=彼女いない歴22年のアキバ系「オタク」青年・電車男(山田孝之)が、電車内の酔っぱらい中年からお嬢様系美女・エルメス(中谷美紀)を助けたことから、恋が始まる。女性にどう接していいかわからない電車男。そこで、ネット掲示板に救いを求め、ネット上では「名無しさん」の看護士のりか、「ひきこもり」青年のひろふみ、倦怠期夫婦のひさしとみちこ、戦争ゲーム「オタク」3人組のよしが・たむら・むとうから、応援の投稿を受ける。電車男は、彼・彼女ら「名無しさん」たちからの色々な助言・情報・激励を受けながら、眼鏡をコンタクトに変え、髪型・服装を秋葉原系カジュアルから今風に変え、デートを重ねていく。そして、ついに電車男はエルメスへの告白を決意し……。
【コメント】本作品は、インターネット掲示板の「2ちゃんねる」で展開された書き込みをまとめた中野独人『電車男』(新潮社)の映画版です。映画版は364頁の原作を手際よくまとめ、最後の方は原作の内容を変えて、いかにもという「ドラマ」仕立てに変わっています。これまでテレビの仕事をしてきた監督・脚本家による作品であり、制作会社の特性からしてもしようがないでしょうが、制作費もさほどかけていないようで、セットや俳優の演技力など正直言って映画としての質はあまり高くありません。
私自身、偏見もあるのでしょうが、同じ時間をかけるなら別のことをした方がいいと考えているので、ネット掲示板への書き込みをしないし、そもそも興味がありません。この映画を見て、知り合いでもない人間が他人の恋に親身になって応援するという点で、日本もまだ捨てたものではないと思う人もいれば、そこまで他人の恋に親身になって関心と時間を費やすなら、もっと日本や世界の問題に取り組んだらどうかと思う人もいるでしょう。私自身は、最初の内はこの二つの考え方がごっちゃになりながら見ていました。
しかし、見ている内に映画のメッセージ効果に気がつきました。映画では脚本家(金子ありさ)の意向で、原作とは異なり「名無しさん」の個人像が明確になります。そして、「ひきこもり」のひろふみは自宅を出ることで新しい出会いを予感させ、「オタク」3人組は髪型・服装を変えて街に出る。電車男自身、「オタク」の世界から「普通」に近づくことで、女性とつきあえるようになります。すなわち、この映画は、「オタク」に対して(さらには、「ひきこもり」に対しても)、「自分(たち)だけの世界から抜け出して『普通の社会』に交われ」「生身の人間を愛せ」というメッセージを発しているのです(実際の電車男の投稿が始まった2004年3月14日の書き込みには、「おまいら外に出てみろ」と書かれています)。「普通の社会」とは、「生産」(「きちんと働け」「異性と付き合い、子どもを作れ」など)と「消費」(「オタク文化以外に髪型や服装で余計なお金を使え」「付加価値の高いブランド物に手を出せ」など)が「奨励」される今の資本主義社会のことです。
恐いのは、『電車男』現象の広がり。「群衆恋愛劇」ともてはやされ、原作本は100万部を突破。そして、この映画化、少年・青年・女性誌5誌でのマンガ化、7月からのテレビドラマ化、8月からの演劇化。私はいわゆる「オタク文化」は理解できない立場ですが、「オタク」も一つの生き方です。だから、「オタク」たちに言いたい。「『普通の社会』に取り込まれていいのか?」「甘い誘惑に気をつけろ!」。
なお、ムネオ問題で公判中の佐藤優外務省元主任分析官は、「インテリジェンスの世界の人は今、『電車男』を詳しく分析しているんです。……今の日本人の情報操作をする場合には、電車男の構造を分析すれば十分できるわけです」「負け犬からはファナチックな排外主義は出てこないけど、電車男からは出てくる」(アエラ2005年6月13日号)と語っています。これはこれで、『電車男』の原作を読むとうなずける部分もあります。
2005年日本映画
監督:村上正典
制作:東宝テレビ部、共同テレビジョン
上映時間:1時間41分
全国各地で上映中
http://www.nifty.com/denshaotoko/
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