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■特集にあたって
人々の生活基盤を奪い、コミュニティを破壊し、ふるさとを傷つけ、今なお不安を与え続けている福島第一原発事故から一年を経た本年四月七日?八日、福島大学を舞台に『「原発と人権」全国研究・交流集会in福島』が開催された。集会は一日目に全体集会を開き、実行委員長の豊田誠弁護士による開会挨拶。海渡一雄弁護士の基調報告。そして、被災地の住民や首長からの生々しい被害実態の報告。「原爆被爆者の闘いをどう生かすか」と題する田中煕巳(日本被団協事務局長)氏からの特別報告、「福島の再生に向けた課題」について清水修二福島大学副学長からの講演が行われた。二日目は、六つのテーマに分かれて分科会が開かれ、全体会では各分科会の報告と、実行委員長代行の小野寺利孝弁護士による「まとめ」の発言に続き、集会アピールを採択して二日間にわたる全国研究・交流集会の幕を閉じた。集会には各方面から約五四〇人が参加、青年学生の集いも行われた。
本特集は、実行委員会からの要請を受け、集会の全体集会と分科会報告の要約を掲載することにした。実行委員会では、分科会の詳細な報告集ならびに会場の様子を収めたDVDを発行する。なお、基調報告については、集会後の情勢を補い、改めて書き下ろしていただいた。被害と人権侵害の救済、コミュニティの回復、そして原発のない社会を目指して、研究と交流を深めた集会の全容をお届けする。
古希を過ぎて、あらためて認識させられたことがある。それは、わが国がアジア太平洋戦争を仕掛けて負け、ポツダム宣言を受諾し、日本国憲法の制定により、天皇制国家から国民主権の民主主義国家に変革されたはずであるが、実態はそう単純ではないということである。
本年四月、自民党が「日本国憲法改正草案」を発表するに至った。それによると、天皇を「日本国の元首」とし、国旗を日章旗、国歌を君が代とし、「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければない。」とされている。自民党は長年政権を担当してきた政党であり、その中枢部が、天皇を元首とする君主制を信奉してきたと考えられる。これは単なる時代錯誤ではなく、わが国の現実を反映した政治意識と見るべきであろう。
日本国憲法が施行されて六五年が経過した。その基本原理である国民主権主義も、平和主義も、そして、基本的人権尊重主義も、実現されないままである。
わが国では、国民が国家の主体となっていない。一般国民は、いつも二の次三の次である。原子力発電にしても、国益優先、産業優先であり、一般国民の利益は眼中にない。事故が起きれば、「元も子もない」のに、安全神話を吹聴し、地元住民を目先の利益で釣ってきたのであり、主権者として扱ってはいない。
国会の福島第一原発事故調査委員会は七月五日、最終報告書を決定し、東電や規制当局が地震・津波対策を先送りしたことを事故の根源的原因と指摘し、「自然災害ではなく人災」と断定した。
しかし、政府は、既に六月一六日に関西電力大飯原発3・4号機の再稼働を決定し、七月一日には3号機を、同月一八日には4号機を再起動させてしまった。
八月一〇日に成立した消費税増税の問題も、一般国民を道具に使っているだけである。徳川幕府の手法と共通していると思えてならない。社会保障と税の一体改革などというが、誤魔化しである。渡辺治先生は、「実は日本では戦後、福祉国家は実現せず、企業社会と公共事業・利益誘導政治がそれを代替した」(「法と民主主義」四六七号一八頁)と言われる。そのとおりと思わざるを得ない。戦後、わが国は福祉国家に向かって前進したと思っていたが、認識違いであった。
沖縄の米軍基地問題にしても、わが国が米国に占領されたままであることが明らかになった。日米同盟というが、対等ではない。新型輸送機オスプレイの沖縄配備の問題もこれを象徴している。米軍に占領されたままのわが国が真の平和国家とはなり得ない。
私は、二〇〇七年から東京大空襲訴訟の弁護団の一員に加わっている。東京地裁と高裁ではいずれも敗訴、最高裁に上告中である。この事件を通じて、わが国の体質がわかったように思う。また、司法官僚制の問題状況も思い知らされた。
太平洋戦争による死没者は、旧軍人軍属約二三〇万人、一般人約八〇万人(沖縄を含めた在外邦人三〇万人、国内での戦災死者五〇万人)といわれている。
日本政府は、旧軍人軍属等とその遺族には一九五三年以来累計五〇兆円を超える援護(補償)を行ってきた。一方、一般戦災者に対しては、死傷者数を調査したことさえなく、何の援護もしてこなかった。これが、わが国の戦後処理の実態であり、「軍人国家」体質が温存されたままといわれる所以である。
東京大空襲訴訟の原告らは、自ら重傷を負った者と父母の双方又は一方を含む親族を失った者が中心である。一審は一三一名、控訴審は一一三名、上告審は七七名(うち三〇名が戦争孤児)である。
立法不作為の遵法を理由とする国賠請求が柱であるが、戦争被害受忍論が壁となっている。この戦争被害受忍論こそ日本国憲法の基本原理に反する政治論である。裁判所が戦争被害受忍論を改めない限り、日本国憲法の平和主義と基本的人権尊重主義がわが国に根を下ろしたことにはならない。
今こそ、人権(人間)と平和を大切に思う一般国民が本気で立ち上がらなければないない時である。その兆しはある。
©日本民主法律家協会