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◆特集にあたって
一 「憲法くん」は七〇歳
「憲法くん」は、日本国憲法をモチーフにした松元ヒロさんの一人芝居の演目です。その「憲法くん」は、五月三日で七〇歳、古稀を迎えます。人間でいえば古稀は、「来し方」を振り返り、「行く末」を想う「充実の期(とき)」でしょう。この人は、今、何を想っているでしょうか。生まれて早々から再軍備と「憲法改正」の企みという災厄に見舞われ続け、なお踏みとどまっていることに、「よくぞここまで…」という感慨が一方ならずあるでしょう。七〇年目の今日もなお引き続く国内外での人権抑圧や貧困と経済格差、戦乱などにさぞかし胸を痛めていることでしょう。そして、何よりも、ことあるごとに「戦後レジームからの脱却」、すなわち日本国憲法の否定を声高に叫ぶ人物が首相として、今年の施政方針演説で「次なる七〇年に向かって改憲論議を」と言い放ったことについて、深刻な「将来不安」を感じていることでしょう。そんな日本国憲法施行七〇年に際して、その歩みと展望を論じていただくのが、今回の企画です。
二 本特集の位置??「公布」&「施行」70年
昨年一一月の513号の特集「日本国憲法公布70年──原点から今を問う」では、「少国民」世代として「日本国憲法と共に」歩んできた杉原泰雄氏の論文を筆頭にして(なお、同『日本国憲法と共に生きる』勁草書房・二〇一六年をぜひご参照を)、戦前・戦中も生きてこられた方を多く配した企画を組みました。七〇年目の日本国憲法を「原点」から問うには、それが必要かつ適切と判断しました。本特集は、その時「宣言」した続編です。今回は、日本国憲法とほぼ同じ時期に生を受けた和田進氏、浦田一郎氏の論稿を最初に配して、比較的若い世代にお願いしています。前企画と今企画との間で、世代間の継承も意識してのことです。みなさんに健筆をふるっていただきました。
三 岐路に立つ日本国憲法
人に書かせてばかりで、特集企画者としての憲法情勢についての認識を示さないのは、少々心苦しいので、簡単に書いておきましょう。集団的自衛権の行使を容認した安保法制(戦争法)の制定により、日本国憲法は「七〇歳」にして最大の危機、岐路に立っているといえるでしょう。ここで大切なことは、一路「危機」が深化しているというのではなく、よりよき未来に向けての曙光が差している「分かれ道」にいることを認識すべきであるという点です。安保法制は成立・施行しましたが、その発動の実績を何としてもかち取ろうとした南スーダンPKO活動への自衛隊派遣は、新設の「駆付け警護」の任務を付与した
第一一次派遣で施設部隊は撤収するという結果になりました。折しも、自衛隊の「日報」隠ぺい疑惑が浮上し、大阪豊中市の「森友学園」の問題で、安倍晋三首相と稲田朋美防衛大臣が窮地に立たされるさなかの三月一〇日、早々に五月末での撤収を決めたのです。彼らにしてみれば、さぞ悔しかったことでしょう。
いま、戦争法の施行・発動を受けてすぐに「九条の明文改憲へ」という動きにはなっていません。国会の憲法審査会では、九条改憲という「本丸」を攻めあぐねて、周辺の「出城」から手を付けようか、どうしようかというように自民・公明・維新の与野党とも「様子見」格好が目立ちます。それも、二〇一六年の参議院選挙での「市民連合」の力強い押上げの下、すべての一人区で「野党共闘」を実現させた民進・共産・社民・自由などの諸政党・会派(「立憲野党」という呼び方もされる)が、「戦争法の廃止と立憲主義の回復、安倍政権の改憲に反対」で強く結束しているからです。日本国憲法とそれを守ろうという勢力の力が明確に示された日々、「憲法の日々」を、私たちはいま過ごしていると言えるでしょう。
改憲勢力は、いま共謀罪法案の成立にその策動の「突破口」を得ようと、躍起になっています。共謀罪がもたらす警察による監視社会・監視国家は、改憲策動を成就させるうえで格好の下地です。彼らが本気であるなら、私たちはこれを本気を出して止めるまでです。
四 本特集のあらまし??憲法の真価を問う
さて、そのためにも、七〇歳を迎えた日本国憲法の価値を、しっかり私たちが身につけましょう。憲法が「危ない」情勢であればあるほど、その大切さ、それを守ることの意義をつかむことが大切です。「もう十分わかっている」では済まされないはずです。というのも、七〇年の歴史の中で、日本国憲法は鍛えられ、そして今でもまた、そうであり続けています。
そのことを認識し理解するための論稿を、六人の方にお願いしました。
和田氏には、日本国憲法の七〇年の歩みを憲法九条とそれをめぐる対決点を中心に論じていただきました。浦田氏には、最近情報公開された内閣法制局の「想定問答」を含めて、政府の集団的自衛権解釈とその問題点について取り上げていただきました。梶原渉氏の論稿は、国際社会で広がる核兵器禁止条約締結に向けての世論と核軍備・核抑止力論に固執する勢力との対決についてのものです。志田陽子氏には、トランプ米大統領の誕生とその政策などに特徴的な「差別と分断」の動向を踏まえ、その克服と市民的自由の実現について語っていただきました。中里見博氏は、野党共闘を促進した市民連合が掲げる「個人の尊厳を実現する政治」の意義について、この言葉を盛り込む憲法二四条の視座から論ずるものです。小松浩氏には、この間の選挙、議会政治の動向を踏まえて、民主的な選挙制度と議会制のあるべき方向性について論ずることをお願いしました。
どうぞ、「憲法くん」の真価に触れてみてください。
2015年6月23日、霞ヶ関司法記者クラブで、5人の元事件弁護団の弁護士が安倍首相らが砂川事件最高裁判決を、戦争立法合憲の根拠としていることを厳しく批判する意見書を発表して、記者会見を行なった。事件の最年少弁護団であった82歳の私も出席し、席上、つぎのように話した。
「私は怖いんです。もちろん怒りもあるし、批判もあります。怖いというのは、おそらく最も重い憲法遵守義務を持つ総理大臣が、外国でもこの国内でも、こんなとんでもないことを平気でいつている。そんなことが放置されているという事態が怖いんです。(中略)私は戦後の歴史のなかで、今、決定的な局面だとみなければならない時期がきているのだと思います。(中略)私たちは人紘一宇で正しい戦争をするんだと思っていました。二度と同じことをしたくない。若い人を殺したくない。殺人者にしたくない。(中略)戦争をする国になり、立憲主義を完全に失うということは、取り返しのつかない被害になると思います。だから自分の持てる限りの力をつくして、皆さんと力をあわせて、この法案を止めたいと思います」(以上、録音転記)。
何人もの若い記者がうなづいており、翌日の東京新聞は、私たちの発言を大きく掲載していた。
とんでもない嘘を見抜いて、法案反対の声は国会内外から巻き起こった。だが、小選挙区制での「虚構の議席」・3分の2以上という多数の力で、法案は強行制定され、戦争参加可能の「新任務」を与えられた自衛隊は、南スーダンに出兵した。安倍政権はさらに、立法改憲の策動を続け、今国会に共謀罪の制定をたくらみ、明文改憲にふみきる姿勢を安倍首相は国会で鮮明にしている。
嘘偽りを重ね、大マスコミを多様にコントロールして、安倍政権は暴政をつづけているが、真実は、日々あきらかになってきている。「森友学園」事件は極右集団と政権の危険でおぞましい癒着を明らかにし、国民の不信と怒りをかっている。だが、にもかかわらず、マスコミの世論調査では、安倍内閣の支持率は、なお、5割前後を保っている。この一見矛盾した入りこんだ局面を打破しどう前進するかが私たちに問われている。
自由法曹団は、松川事件をはじめとする謀略事件、様々なえん罪事件、国家秘密法など悪法反対闘争で、つねに「真実は勝利する」と国民に訴え、ともに、語り合って勝利をかちとってきた。憲法をめぐる“せめぎあい”の勝利のための不可欠のカギは、広く国民と語り合い真実をあきらかにしつくすことだと思う。
真実の最大の語り手は、国民であり、「一人ひとりがともす無数の灯は“闇”を照らし出す」と私は確信する。
本誌1月号「巻頭言」の結びで、70年前の憲法施行の年に生まれた右崎正博教授は「将来の世代に対する責任として、そして、過ちを再び繰り返さないために、たとえちいさくとも一人ひとりが声をあげなければと、心底そう思う」と記している。
同氏より14年前に生まれ、骨の髄まで軍国少年として育ち、憲法が“宝”であることをつかみとるのにかなりの年月を要した私であるが、右崎教授と思いを共にする。
私もまた小さくても声をあげたい。私は3年余前、2度脳梗塞で緊急搬入された。幸いにして後遺症は全くなかったが、2本の椎骨動脈の1本が生まれつき形成不全で事実上ないに等しいと診断され、弱虫の私は、せめぎあいの現場を去ってしまっていた。前のように、各地で1時間、2時間と話し歩くことはできない。「現場」で話し合うことで学んできた私は今話すに足りる知識をもっていない。初心はかわらず、憲法が“宝”であり、行手を示す道標であるとの思いはいっそうつのつているが、語る言葉は乏しい。でも、84年生きて証言できることはある。「講師」としてて゜はなく一市民として小さな声をあげ、そろりと一歩を踏み出したいと「心底」思っている。
まだなんの声もあげず、その半歩も踏み出していないのに「時評」を書く資格も力もにいと固辞したが、書くにいたったのは、自分にけじめをつけようと思ってのことである。いたらぬ一文であるが、これがいまの私の小さな声であると申し添えて、筆をおくことにする。
©日本民主法律家協会