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家裁からの通信

(井上博道)
第0003回 (2004/02/15)
子どもの権利条約ジュネーブ会議報告、その2

スイスといえばヨーロッパにあります。日本から本当に遠い印象で、飛行機嫌いの自分は(本当に嫌いです)行く前から、わがままを言い続けていました。最初はイギリスの航空会社を使用するという話。「えー、イギリスの航空会社、いやだいやだ。テロもある」とかいいながら、何とか行くのをやめれないかとさえおもったのですが、航空会社がルフトハンザに変わり、拒否する理由を失いました。「テロの目標にはならないと思うよ」某女史の最後の引導の言葉です。
 それから、重い腰を妻にたたかれ、たたかれ、わらわらと準備をして、ますます気持ちがブルーになったわけです。ガイドによれば15時間はかかるとのこと、好きで通っている北京が3時間、時差なしなのに、「16時間、時差8時間とは。火星に行くのも同じだ」思わず愚痴ってもだれからも相手にされません。
 職場でも「子どもの権利条約の国際会議の傍聴?なにそれ」という感じ。いまさらながら「子どもの権利条約」がこの国でほとんど影響をもっていないことを感じました。
 出発は2004年1月24日(月曜日)です。つまり仕事はまるまる5日休み、有給休暇を1月に5日もとるのは「痛い」とおもいつつも、ままよと仙台を出発しました。
 傍聴ツアーのメンバーは、成田付近のホテルに前泊しています。前の夜には何も行事がありませんので、結局はたった一人で前の夜を過ごしました(あたりまえですが)。「孤独だな」とおもいつつも、成田の夜はそれはそれで飛行機の電飾が少し情緒があります。
 翌日集合したメンバーは、いずれもこの国で「子どもの権利条約」に興味のある方々、意気込みがちがった感じがあしました。一行はスイスコース(つまり会議に出て帰る人たち)、フランスコース(会議後、フランスを訪問)、ポーランドコース(会議後、ポーランド国内、ワルシャワやアウシュビッツなどを訪問)する三コースに別れています。「ふん、こっちは忙しくて、別な国なんか回れない」と虚勢をはりながらも、フランスもポーランドもいいなと内心では思っていました。24日10字40分一行はジュネーブに飛び立ちました。
ルフトハンザの畿内は古い感じがしてのですが、客室乗務員の方々はいかにも手堅いといった感じ。一番驚いたのは、食事前に手拭きが配られるのですが、それが金属のお盆に入っている手拭きを一枚一枚ピンセットでつまんで各人に渡す方式だったことです。「さすがはドイツ」わけがわからないながら、その衛生観念に驚き、尊敬すらいだいていました。手拭きは、ひどく熱い、そして強烈な消毒薬の臭いがします。全体としては快適でしたが、消毒薬の臭いは「きっと思いでにのこるよね」と思いました。
 中継地はフランクフルトで、日本時間では夜の10時をまわった頃、眠くはないのですが身体にどんよりと重しがかかったようでした。フランクフルト空港は、地味なたたずまい。「これからヨーロッパ線に乗り換えです」添乗員の人はあくまでも明るい。
 それから、さらに空路をジュネーブへ。ジュネーブには夕方ついたのですが、すでに暗く、寒むざむとした光景が眼下にありました。
 雪また雪の光景に、寒い仙台から出てきたのに「寒そう」と思ったのは、気分だけでしょうか。国際会議の舞台になるジュネーブは人口15万の地方都市(おもちゃのようなたたずまいのマンションのたちならぶ)です。ここで、「子どもの権利条約」の国際会議がひらかれるなんて、嘘のような感じがしました。
 ジュネーブについて、すぐに傍聴会議のメンバー全員(ほぼ全員)の食事会が開催されました。80人に若干欠けるメンバーでした。メンバーの中には日本からきた子どもたちがいました。25日には会議に先立って、子どもの立場から委員にプレゼンテーションをするといいます。「ただいま英語の特訓中」という子どもたちの笑顔、笑顔。時差8時間、すでに日本では御前五時頃。子どもたちはどこでも生き生きとしています。話を聞いていると、夜間学校の廃止反対や戦争反対の運動をしている子どもたち、いじめや虐待などの問題をかかえる子どもたちなどさまざまな立場の子どもたちでした。前の会議の時は、公開の会議で話をしたといいますが、今回は別な時間をもうけての意見聴取となるとのこと、理由は前の会議で発言した子どもたちに猛烈なバッシングをマスコミ、週刊誌が加えたことにあるといいます。何とおとなげないことでしょうか。
 ずいぶん傷ついた子どもたちもいたようです。今回はマスコミもシャットアウト。委員会の配慮とのことでした。
 このツアーの参加者一人一人が発言。その話を聞いて、大人たちの中でもたくさんの思いをかかえながら生きていること、そしてそのことで、多くの「生きづらさ」が大人たちの中でも生まれていることを感じています。
 進軍ラッパのような発言が横行する世の中で、それでもかたくなに生き方を守ろうとする大人たちがいて、そんな大人たちは子どもたちの未来に何かを託そうとしています。そんな印象を持ちました。
 ホテルの部屋に戻るやいなや、そんな思いもけしとんで、気絶するように眠ってしまいました。なにせ、徹夜に等しい時間だったからです。














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