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家裁からの通信

(井上博道)
第0016回 (2004/06/05)
仙台で非行問題の親子会をつくる話6(理屈編)

長い話もいよいよ終わりに近づきました。
家裁の流れが変わったと感じたのは,1990年代後半から始まった司法制度改革以降ではなかったかと思います。
 司法制度改革については評価は分かれると思いますが,裁判所の中にいて,確実に裁判所が変わるきっかけになったことは間違いありません。もちろん判決の内容や裁判所の基本的なスタンスが劇的に変わったという意味ではなく,全体的な流れ方向性のようなものが変わったということです。
 具体的には,裁判所が社会全体の評価や常識に対して門戸を開き始めたということです。裁判所が一人孤立した孤高の存在,裁判所の判断と社会の指向の解離に無関心だったシステムが,司法制度改革の中で逆方向に流れ始めた。社会とのリンクを意識せざるをえなくなったということです。
 これは全く驚きでした。それまでの家庭裁判所の中で感じていたことですが,調査官の世界は,ケースワークからカウンセリング指向に移った段階で,主に1980年代を中心に,急速に社会への関心を失い,閉じられた面接室での個別の面接関係の中に世界を閉じこめてしまった感がありました。
 カウンセリングや精神分析的な手法が,本質的にそのような性格をもっているということではありません。社会的な存在としての調査官から,裁判所という閉じられた組織の中での統制された活動への指向性を強めた調査官への転換に,こうした技法が便利だったからこそ,急速に導入されていったのでしょう。
 余談ですが,この方向性の流れは,調査官という組織を,他業種の専門職集団から切り離してしまいました。1980年代にはこうした傾向を受けて,調査官職種の中だけで名人・上手と評価され,賞賛される人々がいました。同人誌作家がサークルの中だけで作品を褒め合っているようなもので,他者から見ればむなしいのですが,自分たちはまじめに褒め合うようなものです。「文学部唯野教授」(筒井康隆著)で描がかれているような世界があったように思います。
 このような現象は,調査官から2つの大きなものを奪い取ったといえます。第一に調査官が市場性を失ったことです。そもそも専門職は,専門性というコアをもとに社会的な流動性をもっています。家裁であろうと,児童相談所であろうと,病院であろうと専門職は流動できうる。そのためには共通した専門職の力量を評価するための指標が必要なわけです。これを市場性と呼んでもいいかもしれません。調査官職種が組織内に特化するにつれて,調査官は専門職としての市場性を失っていきました。とはいえ,中には市場性を残している調査官もおりますから,そんな人は他からリクルートされて調査官という組織から流出していく,いわば人材の流出現象が1980年代から90年代にかけては起こったわけです。第二に,これは第一と共通の問題かもしれませんが,調査官の市場性の欠落の結果,流失できない人材に専門職否定,組織へのぶら下がりという現象が生まれたのではないかということです。専門職というのは厳しいもので,常に社会に開かれている存在でなければならないし,かつ社会にとっての有用性,有効性を評価される存在といえます。もし専門職が閉じられた組織内で社会的な評価を受けないままでいたら,専門職であることを放棄したとしても専門職を名乗ることは可能です。特に公務員ですからより容易かもしれません。研究や自主的研究会が急速に低調になるのもこの頃でした。まさしく「文学部唯野教授」的な世界です。
 1990年代後半の司法制度改革は,社会との関係性を厳しく裁判所というシステムに問いかけたものといえます。おもしろいのは,そもそも家庭裁判所が本質的にもっていた市民社会との強固な連帯の仕組み(それが形骸化していたとしてもです)である「家裁委員会」や「参与員制度」などが大幅に再評価されていったことです。これはこれまでの裁判所全体の「脱市民化」の流れとは正反対な方向です。
家裁のたたかいの歴史は「脱市民化」とのたたかいだったわけですから,これはもう「昨日の敵は今日の友」といってもよいでしょう。
 そして同時にこの現象は,調査官の市場性すなわち専門職として社会にどのようにリンクしていくかというテーマの再評価でもありました。司法制度改革の嵐が,既存の裁判所システムの「生き残り戦略」を生んだわけです。
 2000年以降,司法制度改革の実施段階に入り,家裁の市民参加システムは他の裁判所に波及していったわけです。同時に調査官に対しては,閉じられた調査室から出て,社会とリンクした活動が求められるようになりました。
 全国各地で保護者会などが開催されることにゴーサインが出たのはここ数年の事です。保護者会や社会奉仕活動の他に,かつての合宿講習的なものなどの復活も可能になったと聞きます。
 これは家裁におけるケースワークの再評価ともいえるのかもしれません。
ただ,1980年代から1990年代前までの長い停滞は,過去のケースワークの蓄積そのものの喪失過程であったともいえますので,とつぜん「上の事情で」ケースワークが復活できるはじもなく,地域によっては比較的容易にできたことが別な地域ではきわめて困難であるといった不均等な状態を生んでしまいました。
 ともあれ,調査官にとっては長い失われた日々から抜け出て,市場性を回復する好機にはなったわけですから,大事にしなければなりません。
 問題はどうやって大事にするかです。
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