「とっておきの一枚」はこのところお休みである。少し息切れしているのとインタビュー企画に追われて右往左往しているからである。どちらの企画も人の話を聞くもの。面白くて心に染み、そして励まされる。その後わが身を振り返り反省。いつも役得を満喫していることになる。
今夏の日民協合宿で高田健さんの話をしみじみと聞いた。「高田さんは、政党・文化人・労働運動・市民団体の統一戦線を作る実践を重ねている。それだけでなく、旧来の運動と、極めて新しい若者の運動とのまとめ役。歴史を動かすかも知れない」澤藤事務局長の紹介である。現代の「坂本龍馬」と称した。
イラク戦争反戦運動、イラク拘束事件で高田さんがいつも運動の中にすっくと立ち続けていた。居るだけで要になる。集まってくる人を心から信頼し、連帯する。状況の全体を見失わず、局面の困難さも認識しつつ粘り強く戦い抜く。強靱な精神とたゆまない実践。鍛えられた高田さんでも統一戦線を作る労苦は並大抵ではない。
「若い人はボクなんか思いつかないようなことを考えて実行する」とうれしそうに話す健さん。健さんは福島県の山奥で育った。分教場の宿直室でいつもみんなの分も宿直をしていた若い教師から「戦後民主主義」を学んだ。刷り込みである。健少年に刷り込まれた民主主義の思想は高田さんの原点である。清貧の永い日々を過ごし、側で端然と話す高田さんを見ていると、分教場の若い先生が年を重ねてそこに居るようである。高田先生のやさしくて強い目が若者に注がれるのが良くわかる。高田分教場で人は育つ。そこは学校なのである。高田先生はどんな子でも受け入れ、大人の中にも善きもの原点を呼び起こす。まるで子どもの心に帰るようにみんなが繋がるのである。
夕食の席で維新の民衆史を研究している高田さんから「坂本龍馬」にクレームがついた。薩長同盟の企画実践をしたのは「中岡慎太郎」だという。高田さんが本当に言いたかったのは実は「自分は何者でもない」ということだったのではないだろうか。「歴史を進めるのは民衆なんです」それを言わないで静かに食事をする高田さん。
台風の影響で不穏な天気の熱海で昔の小学校の宿直室を思い出しました。先生はなぜかランニング姿でした。
その夜、熱海では好例の花火が打ち上げられた。林さんと二人コテージのベランダから花火見学。音はすばらしい。残念ながら姿が見えない。花火の煙がとどまって、その煙幕の間からちらりちらりと見えるだけ。
あーあ、これだもんね。
ぱっと はなび とびなは とっぱ
©日本民主法律家協会