日民協事務局通信KAZE 2006年9月

 「力への依存」がむしばむもの


 一 六月に閉会した第一六四国会は、閣法の成立率が極めて低い国会だったという。従前であれば強引な立法提起は、政治的な不安定さをも招きかねないことから、時期や内容を含めて法案の上程は重要な政治判断であった。しかし今回は、そうした政治的不安定さを考慮せずとも立法提起ができると踏んでのことなのだろう。

 刑事司法関連では、罰金刑等重罰化の刑法改正、未決拘禁に関する代用監獄の存置を認めた受刑者処遇法の改正、入国者の指紋採取を規定した入管法改正等々、実態をふまえた議論が必要だったにもかかわらず、いずれも治安強化・監視的色彩が強いものが成立した。秋の臨時国会には共謀罪、少年法第二次改正、教育基本法改正案といずれも法原則や理念を覆す問題法案が目白押しである。乱暴な刑事立法提起には、多少の問題があっても社会は目をつぶって法案に賛意を示すだろうとの読みが透けて見える。実際、立法に限らず、司法等を含めて厳罰化が加速している。

 二 近年の「厳罰」化は、何をもたらしているのだろうか。威嚇、制裁等「強い力」で問題を解決しようとする発想は、まず、教育的な観点から子どもにアプローチをしようとする社会の力を衰退させてきている。やったことに対する責任を取れ、ガキでもおなじだというが、しかしそこでは、「個人=人間に対する関心」が薄らいでいく。何をしたかだけが注目され、人間に目を向けなくなる。「力(権威・刑罰等)への依存と期待」によって、とりわけ地域社会の問題解決力は弱まり、その丸投げもおきやすい。非行少年等の立ち直りを支える人と組織が減少している理由がわかる。

 こうした構図の中で、少年法は厳罰化を進め、現在、一四歳未満の子どもの非行に対する原則を変える少年法第二次改正法案が継続審議となった。

 従来は、福祉機関である児童相談所が対処してきたが、警察が補導の権限を含めて第一次調査権を持つように法改正が提案される。

 問題は見えにくいが、一四歳未満の子どもの非行や取り調べの実態が社会には充分伝えられないままの改正だ。子どもの犯罪に対して厳しくあるべきだという議論は、重罰化と密接で、その厳しさというのは人間に対する厳しさではなく、やった行為に対する厳しさゆえに「制裁」だけになりがちだ。

 厳罰化は、法の理念の希薄化をまねき、それは法の運用に携わる者の意欲をうばう。この厳罰化は、日常生活に大きな影響を及ぼしてきていて、自転車の放置、車内の大声での電話や化粧等の社会的迷惑行為も刑罰で規制していこうという、生活安全条例などの制定が進みつつある。

 犯罪化と厳罰化が一体となったこの一連の動きは、@罪刑法定主義や責任原則などの刑事法の基本原則をなし崩しにしていること、そしてA日常生活のレベルで困った時には「力で解決をする」、「権威で黙らせる」といった社会意識が創られてきていることだろう。厳罰化の誘因のひとつは「不安」をあおるイメージだ。それを変えるには、「事実・実態」を伝えていくことが重要だ。法民もその役割を担う。

(神戸学院大学 佐々木光明)


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