日民協事務局通信KAZE 2007年1月

 さらに広く、深く、強く草の根をはりめぐらせよう


 昨年末には教育基本法が改悪され、防衛庁の省昇格法が制定された。
 今年は冒頭から安倍首相が憲法改悪に向けての決意を声高に叫び、そのための国民投票法が通常国会の大きな争点となる。
 一〇年、二〇年前には考えられなかったような状況であり、歴史はますます加速度を増して、坂を転がり落ちようとしているかにみえる。こうしたことだけを見ていると、憲法改悪の動きをはね返した一九五〇年代後半からの時代に比べて歴史は後退しているようにもみえるが、しかし、そのように単純に見てはならないのだろう。
 こうした社会状況の変化の要因の一つに、この時代に大きな役割を果たしていた労働組合運動が今日では後退を余儀なくされていることがあるだろう。しかし、他方、その当時には現在のような市民運動の多様で大きな広がりは存在していなかった。市民運動は労働組合運動の動員型の運動によることなく、その活動分野も市民の身近な生活に根ざした様々な分野に大きく拡がり、各種NPOがあちこちに生まれて活動を繰り広げてきている。
 消費者運動、障害者運動、患者の権利運動、市民オンブズマン活動等々。労働運動自身も、再生の兆しを見せつつある。
 また、女性の権利をはじめ各種の人権分野で、一進一退はあるものの歴史的に前進を積み上げてきている。
 こうした運動・状況は、その全てが直接に憲法改悪の動きに対抗する力になるものではないにしても、それらが国民の中に分厚い民主主義の層を形成してゆく上での基礎であることに違いない。そして、それは憲法あるいは日本社会の改変をめぐるせめぎ合いにおいて、基本的な条件となるはずのものである。
 かつて大正デモクラシーが、日本社会が日中戦争へと転落してゆくなかで終焉していったが、その成果は歴史の中で伏流水のように命脈を保って戦後の民主化の中で実を結んできたことを考えれば、結局私たちは、それぞれの持ち場で、平和と人権と民主主義についてのたたかいの成果をどれほど積み上げられるか、それらを目指す草の根をどれだけ深く、広く、強く張ることが出来るか、に尽きるのであろう。
 昨年末に「憲法フェスティバル」の仲間たちと語り合っている中でそんなことを考えさせられた。
 教育基本法改悪反対の運動は終盤大きな広がりを見せ、改悪阻止は出来なかったが、今後の教育基本法の実質化(教育関連諸法案の成立等)の阻止、憲法改悪阻止の運動の展望を切り開いたといえよう。一喜はしても一憂などせずに、がんばれる範囲ではがんばって楽しく活動をし、この一年の歴史を刻んでゆきたい。

(弁護士・日民協事務局長 海部幸造)


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