日民協事務局通信KAZE 2012年1月

 脱原発に向け、何が必要か──改めてドイツに学ぶ


 復旧・復興の掛け声とともに、二〇一二年が明けた。昨年の大変な事故・事件を重く受け止め、日本の第二の敗戦だという論者も多い。近隣諸国に多大な迷惑をかけたにもかかわらず全くといってよいほど反省せず、ひたすら経済成長を追い求めて増長したばかりか、被爆国でありながら原発政策を推し進めたために、再び多くの国民を不幸のどん底に陥れ、世界中に放射性物質を撒き散らしているのだから、そういわれても仕方ないであろう。
 それにしても、福島原発事故の後、ドイツは政権党もすかさず政策を改め、原発からの撤退を決めることができたのはなぜであろうか。一〇年ほど前に一ヶ月近く、映画「日独裁判官物語」の撮影でドイツを取材して廻り、同じ官僚制をとりながら、日本とドイツの裁判官が全く違うことを映像にすることができた。同じ資源のない敗戦国でありながら、脱原発に早急に取り組むようになったかを直接知りたいと考えて、懸案の三鷹再審請求を出し終えて直ぐにドイツを尋ねた。
 ドイツ語はろくすっぽ出来ないのだが、中学校の同級会を呼びかけてくれた旧友が、同級生がドイツにいることを突き止めてくれた。メールのやり取りをするうちに、会ってみようということになり、短時日であったが、かみさんと一緒に、気晴らしを兼ねてクリスマス祭マーケットでにぎわうドイツを訪れた次第である。
 彼女はすでにドイツに四〇年間も滞在し、日本人の連れ合いを早くに亡くした後、働きながら子どもを三人も立派に育てたということも始めて知った。ドイツでは労働組合が強く、勤務時間も厳密に守られ、バカンスも豊かにとれるなど基本権が確立していることや、けばけばしいネオンも、コンビニも自動販売機もない中で、自然エネルギーを大切に使って、庶民が本当に豊かに暮らしているドイツの実情を垣間見ることができた。
 ドイツ人が自然に対する思いが強いことは、日本のグリーンピースの会員が五〇〇〇人程度なのに対して、三〇万人もいることだけ比べても分かる。
 そうした話の中で、ドイツと日本が最も違うのは、生活態度もさることながら、マスコミの問題と教育、とくに現代史についての取組みが全く違うことが分かった。マスコミについては、集中が排除され、民放でもスポンサーなど外部からはもちろん、放送委員会などによって内部からの圧力を防ぐ仕組みが確立しており、市民の意見が反映する番組作りが行なわれている。さらに、決定的なのは教育で、ギムナジウムで使われている教科書も比べただけでその違いが分かる。
 帰国後、日本語で出版されていることを脱原発の弁護団合宿の帰りの列車の中で海渡雄一氏から聞き(勉強家ですね氏j、『高校歴史教科書 ドイツの歴史』を早速、手に入れた。現代史の部分だけで、実に六九〇頁、そのほとんどがワイマール共和国からナチスによる国家社会主義の独裁政治、それに一九四五年以降の政治と社会などが占めている。そこに掲載されている「模擬筆記試験」の一つに、「一九三三年以降の歳月にあって、何ゆえに、ドイツ人の多数の支持が国家社会主義体制に向けられたかを説明しなさい」とあることからも分るように、ワイマール体制が崩壊した原因として、近隣諸国に迷惑をかけたことに対する反省のなさと、経済不況とそれがもたらす生活苦を逆手に、軍備増強とユダヤ人に対する敵視政策に一挙に雪崩れ込んだことなどが詳細に指摘されている。最近の教育に対する統制や中国・北朝鮮への警戒態勢をあおる日本の状況をみると、まさに同じような誤りを繰り返さないか心配になる。
 日本を本当に復興するには、マスコミも教育も、そして司法も根本的に変えないとだめだということを、改めて考えさせられた旅であった。


(弁護士 高見澤昭治)


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