「憲法改正・教育再生」を掲げる安倍晋三氏(元首相)が、自民党総裁選で勝利した。世論調査を見る限り、今のところ自民党支持率は相対的に高いので、同氏が次期首相に選出される懸念を杞憂とは言い切れない。かつて教育基本法改定を、世論の過半の反対を押し切り短期間で強行採決した経歴に照らせば、強い警戒が必要である。
その自民党が四月に発表した「日本国憲法改正草案」は、憲法を権利の体系から義務の体系へと書き換えており、あたかも憲法が人権制限のために存在するかのごとき倒錯ぶりを露呈した。清水雅彦准教授は、草案に登場する「新しい権利」たちが、一見して「権利」のようでありながら、実は「権利」とは似て非なるものであることを見抜き、「権利もどき」と名付けている(憲法運動二〇一二年六月号)。言い得て妙である。今後この草案自体を「憲法もどき」と呼ぼうではないか。
とはいえ、子どものころから「憲法もどき」を指して「これが憲法だよ」と教えられれば、これを嘘と見抜くのは容易でない。実は、育鵬社版の中学校「公民」教科書で、その地ならしが始められている(本誌一月号参照)。すなわち、同教科書での憲法の解説は、憲法を学んだ法律家が読むと、首を傾げるばかりのものである。しかし、「憲法もどき」の解説なのだと思って読むと、案外に理解が進む。その教科書の出版記念行事に、安倍氏が登壇して講演をしたと聞いて、なるほど合点がいく。それで「憲法改正・教育再生」なのかと。
これへの対抗言論を、どう打ち出すか。私は、政治教育がカギを握るように思う。もちろんそれは、党派的なものとは異なる、現実の政治に対する理解力、批判力を養う主権者教育としての政治教育である。
教育基本法一四条一項は、教育における政治的教養の尊重を定める。ところが、学校での党派的政治教育を禁じた同条二項が強調される余り、これまで政治教育は過度に萎縮して展開してきた。しかし、教育に対する政治の権力的介入という時局を迎えて、本来の政治教育はいよいよ重要さを増す。田中伸尚氏の新著「ルポ・良心と義務」(岩波新書)で紹介されている日の丸・君が代を巡る「両面教育」の実践は、一つの方向性を示唆している。その際、@教師は生徒を圧倒しない、A議論のある事柄は授業においても議論のある事柄として扱う、B生徒は自身の利害に基づいて行動できるようにする、この三点を政治教育における事実上の合意としたドイツの実践(近藤孝弘「ドイツの政治教育」岩波書店)にも学ぶべきであろう。
もちろん、これは学校教育だけの問題ではない。社会教育や家庭教育はもちろん、社会生活のあらゆる場面で、市民・生徒・保護者・教師・専門家・中間団体が協働する必要がある。日民協も、その一翼を担わねばならない。