二〇一三年一二月六日夜、国会を包囲する数万の人びとの声が響くなか、強行採決によって、特定秘密保護法が成立しました。敗戦後、「戦争をしない」国づくりを支えてきた平和憲法のあしもとが、またひとつ崩されていった瞬間でした。
一二年総選挙で安倍政権が復活した後、しゃにむに改憲へと突き進む政権の姿勢に危機感をもった人たちを中心に、きわめて短期間の間に秘密保護法の危険性を広げる世論が作られて行きました。その意味では、国会上程後四〇日間でここまでたたかいを進められてきたことは、賞賛に値するのだろうと思います。
でも、やはり法律は成立してしまいました。
一九八〇年代に「国家機密法」が上程されたとき、まだ世論の力で成立を阻止できたことが、今回はできませんでした。私たちはこの間、国家の企てに抗う力を、少しずつ失ってきているのです。
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秘密保護法成立から、三カ月が経ちました。
この間、次々と出てくるニュースにかき消され、成立した秘密保護法のことなど、マスコミで取り上げられることがほとんどなくなりました。日々の生活に直結しないニュースならなおさらです。
しかし、それでも今回は少し様相が異なっています。
法律の施行まであきらめず批判を繰り返そう、廃案のための法案を成立させようという運動が、全国で粘り強く続いています。そして、これまで従来型の平和運動にかかわってこなかった人たちの層に、抵抗の声をあげている人たちの姿を見ることができます。特に、毎週原発反対の官邸前行動をしている若者たちのエネルギーのようなものが、この国を間違った方向へすすめる政権への抵抗力として、少しずつですが育ってきていることも確かです。
三月五日、激しい雨風の中、秘密保護法廃止を求める集会が、日民協を含む法律家七団体(社会文化法律センター/自由法曹団/青年法律家協会弁護士学者合同部会/日本国際法律家協会/日本反核法律家協会/日本民主法律家協会/日本労働弁護団)の主催で開催されました。
集会では、憲法、情報法、労働分野の専門家が、この法律の危険性を報告しました。しかし、この集会でもっとも目を引いたのは、昔の学生運動とは無縁そうな若い学生が、自らの言葉で秘密保護法への違和感と反対運動に参加した思いを語っていたことです。こういう人たちの平和や人権に対する率直な感覚に、もっと働きかけることができたなら、改憲反対運動の裾野はこれまでになく広がるのではないかと感じました。
その意味で、残念ながら秘密保護法の成立を阻止することはできませんでしたが、これからの秘密保護法反対・撤回運動は、平和憲法の価値観を広げるための、新しい共闘のきっかけになり得るかもしれません。