ひろば 2016年2・3月

 立憲主義を守るとはどんなことか


昨年は憲法99条によって憲法尊重擁護の義務を負っている安倍内閣が、通常国会を九五日も延長して、むりやりに憲法九条に反する戦争法(安保法と称して)を成立させました。この強引な政治に危機感をもった国民が自発的に、国会や首相官邸を取り巻く大衆行動を多彩に展開し、日本の民主主義運動としては初めてといわれる、市民革命的な様相を展開し、いまそれが2000万をめざす「戦争法の廃止を求める統一署名」として、全国で展開されていることはすばらしいことだと思います。
 日本の民主勢力は国会のなかではしばしば負けてきました。しかし、戦後70年間支配階級による憲法改悪の策動を許さず、一度も海外での武力行使を許しませんでした。これは憲法を守る闘いで勝利してきたといってもよいでしょう。この歴史に確信をもつ必要があると思います。しかし安倍内閣は戦争法によって武力行使をするためには、憲法9条を改めなければならないところまで追い詰められているのです。今後あらゆる姑息な手段を使って明文改憲を行おうとするでしょうから、私たちは絶対に改憲を許さず、立憲主義の政治をまもらなければならないと思います。
立憲主義を守るということは憲法の明文改憲を許さないことは当然ですが、それだけではたりません。身のまわりにある憲法違反の事実と闘って改めさせる闘いが必要です。文章だけではなく、実態の闘いを考えることが必要だということです。
沖縄だけでなく全国に米軍基地がたくさんあります。自衛隊も巨大な戦力を持っています。砂川事件の伊達判決を思いだすまでもなく、米軍基地や自衛隊が戦力の保持を禁止した9条に違反することは明らかです。でも生まれた時から存在するので無関心となったり、怒りを忘れたりしていないでしょうか。沖縄県民の辺野古新基地建設に反対の闘いに学びながら、米軍基地撤去と歴代の内閣が自衛隊の戦力強化に、奔走してきたことへの闘いを全国で起こさなければならないと思います。
公務員の争議権奪還の闘いも必要です。憲法28条の規定は公務員にも争議権を保障していることにぎもんはありません。戦後一時期スト権奪還の闘いが華々しく闘われたことがありましたが、最近は寂として静かになっています。労働基本権の存在を忘れているように思います。争議権を剥奪した公務員法への怒りを、もう一度もり上げる必要があるのではないでしょうか。
自殺者が後を断ちません。万引事件も同じです。毎日のように新しい殺人事件が報道されています。全部ではないでしょうがその大部分が、生活の苦しさから来ていることは明らかです。社会保障政策が年々削られていることも事実です。憲法25条の国民の生存権保障はどうなっているのでしょうか・「国は社会福祉、社会保障の増進に努めなければならない」の文章は空文になっていないでしょうか。
 いま、職場では非正規職員が半分近くを占め、正職員と同じ仕事をしながら給与は大幅に少ないといわれています。昔私たちは臨時職員をやめて正職員に切り替えろ!という闘いをして、臨時職員を一掃したことがありました。憲法27条や労働基準法はどこへ行っているのでしょうか。
憲法は読んで知るだけではなく、私たちのまわりにある問題と憲法を照らし合わせてみて、憲法の趣旨に反する問題をみつけ出し、国民や労働者の立場にたって、憲法の趣旨を生かすように変える闘いを、広範に進めることが本当の立憲主義を守るということではないかと思うのです。
権力者がその政治のなかで貧富の差がどんどん拡大しても、血も涙もない政策を平気で打ち出している例は世界史のなかで多く見られますが、大衆闘争の盛り上がりでそれを改善させている事実もまた、世界史の教えるところだと思います。

(日民協理事(元全司法) 吉田博徳)


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