ひろば 2016年5月

 「原発と人権」全国研究・交流集会──第1回〜第3回に関わって思う


 「第3回『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」は、400名を超える参加者を得、内容的にも高い評価を頂いて、第1回、第2回に続き大きな成功を収めることが出来て、本当にほっとしている。
 これまでの第1〜第3回を振り返ってみると、この企画は2年ごとの開催であるので、それぞれの2年間の経過の中で、原発と原発事故被害を巡る状況が大きく変わってきたこと、「全国研究・交流集会」にもそれが反映されてきたことを、改めて感じさせられる。
 5年前の福島原発事故は、まさにこれまで私たちが経験をしたことのない未曾有の被害(質の上でも、その広がりと深刻さの上でも)をもたらした。これを受けて、事故の翌年(2012年)4月に開催された第1回の「全国研究・交流集会」は、企画の趣旨を次のように述べていた。第1に、福島第一原発事故の原因と責任、その未曾有の被害を出来るだけ明らかにすること、第2に、人権侵害・コミュニティ破壊からの回復、完全賠償、そして原発のない社会を目指すこと、第3にその為に、全国の法律家、社会科学者、自然科学者、医者、ジャーナリストをはじめ支援の市民が一堂に会して分野を超えた連携を強めること。これは、第2回、第3回でも一貫したものであったと言える。
 第1回から2年間を経過した第2回開催段階での状況は、事故は(安倍首相が言うような)「収束」にはほど遠く原発は汚染を拡大しつづけ、当時なお避難者は約14万人を数え、被害の回復・補償・賠償は遅々として進まず、被害者達は避難の長期化の中で様々な新たな困難に直面していた。他方、事故原因の究明は不十分なまま放置され、東京電力も政府も責任逃れに終始し、政府は原発の再稼働に前のめりになり、原発の輸出まで推し進めるようになっていた。そこで、第2回では、企画の目標を、この事故の風化を許さず、現在の被害の状況と全体像をしっかりと把握し、運動の課題を明らかにし、全国に広がっている「被害回復」「脱原発」の運動の連携を進めること、さらには原発輸出を阻止する為にも国際連帯を目指す、としている。
 そして更に2年後、そして事故からは5年を経過した今年の状況は、事故の収束の見通しも未だ立たない中、そして事故原因の究明も中途で放り出され、依然として国や東電は責任逃れに終始する中、原発の再稼働が強行され新たな「安全神話」が造り出されようとしている。被害者に対しては補償の打ち切り、帰還の強制の圧力がかけられて来ている。賠償も遅々として進まない中、被害者の皆さんの被害と困難の状況も、2年前とは又更に大きく変化しつつある。他方、脱原発訴訟も、損害賠償訴訟も、更に全国に大きく広がると共に、それぞれの「原告団連絡会」も結成されて大きな連帯が生まれ、画期的判決も一部で勝ち取られている。こうした中で、第3回企画の目標は、「福島原発事故から丸5年の推移と現状について多面的かつ多角的な観点から総括を行い、今後における課題と展望を明らかにする」とされた。その目標がどの程度達成されているかは、本報告書をご参照いただきたい。
 冒頭に述べた、「全国研究・交流集会」の3つの趣旨に照らして改めて思うのは、原発事故という事態の収束の超困難、原発事故被害者の皆さんの被害の様相の多様な困難性と時の経過によるその変化、それだけに、まずそうした被害内容をその都度きちんと知ること、少しでも深く理解することの大切さである。
 また、この間反原発運動は訴訟も含めて全国で広がり、「全国脱原発原告団連絡会」および「原発被害者訴訟原告団全国連絡会」の結成に象徴されるように運動の連帯は大きく前進してきた。さらに、今回の第1分科会等に見られるように、様々な分野の連携も大きく前進してきている。「『原発と人権』全国研究・交流集会」は、第1回から第3回まで、それぞれ節目において、こうした運動の連帯、諸分野の連携の前進に多少なりともスプリングボード的役割を果たしてきたと思う。
 また、こうした役割を果たしていく上でも、象徴的にも、実際的にも、この企画を現地福島で行うことの意義は大変大きい。福島大学の全面的なご協力、地元福島の皆さんの献身的ご協力には、毎回大きなご負担をおかけすることに、申し訳なく思いつつ、改めて心から感謝を申し上げたい。

(弁護士 海部幸造)


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