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小泉靖国参拝に抗議する

日本民主法律家協会 理事長 中田直人

 本日、8月15日は日本の歴史に深く刻まれた敗戦の日。今年は公布60年を迎える日本国憲法のもと加害被害の体験を承継し、戦争の惨禍をもたらした歴史の教訓を想起して、不再戦と平和を誓うべき日である。
 その日に、小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した。歴史に逆行し、アジアの人々の心を逆撫でする愚行に、怒りをもって抗議する。
 日本は、過ぐるアジア・太平洋戦争の敗戦から「再び政府の行為によって戦争の惨禍がおこることのないやうにすることを決意して」再生した。日本国憲法は、戦争の惨禍をもたらした旧体制への真摯な反省の誓約である。
 その重要な原則の一つとして政教分離がある。国家神道が国民の精神生活の内奥にまで立ち入り、国民の思想良心信仰までを支配して、国民精神を聖戦遂行に総動員した。旧体制のその苦い歴史の教訓から、日本国憲法は厳格な政教分離規定を置いた。それが憲法20条3項である。
 靖国神社は、かつて戦意高揚の国策のもと創建された陸海軍共管の特殊な軍国神社であった。天皇の意思によって創設され、天皇のための忠死を美化する軍事的宗教施設であり、宗教的軍事施設でもあった。戦後一宗教法人となったとはいえ、その教義は戦前と変わるところがなく、神社の意思によるA級戦犯合祀はその象徴である。国や自治体との関わりも断ち切れてはいない。
 日本国憲法の政教分離規定は、かつて聖戦完遂を鼓吹した靖国神社の復活を許さず、国と靖国神社とのいささかの結びつきも許さぬことを主眼として制定されたと言っても、過言ではない。
 首相の靖国神社参拝が許されないのは外国の批判があるからではない。再び戦争の惨禍を繰り返さない決意から、日本国が自ら定めた最高規範すなわち憲法が禁じているからである。
 小泉首相が、批判の矛先をかわそうと、「内心の自由」を参拝合理化の根拠としていることは不見識も甚だしい。憲法は、権力に圧迫されかねない国民の内心の自由や信仰を擁護するために、権力者の特定宗教団体との結びつきを禁止しているのである。
 憲法を踏みにじる首相をいだく国家は危うい。国が過去に犯した歴史の誤りについて、認識を欠く首相をもつ国民は不幸である。
 日本民主法律家協会は、法律家として日本国憲法にもとづいて小泉純一郎首相の靖国神社参拝に強く抗議の意を表明する。
 2006年8月15日



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