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家裁からの通信

(井上博道)
第0010回 (2004/03/29)
仙台で非行問題の親子会をつくる話2(理屈編)

ふたたび理屈編です。これまたがまんしてください。

  前回は,ケースワーク,カウンセリング,心理療法という言葉の役者に登場していた  だきましたので,ここからは舞台である家裁を用意しましょう。

 さて,少年法の創業当時には,家裁のコンセプトは家裁調査官にケースワークをさせる  ことを予定していたという話をしました。

  理想や高いものの,創業期には家裁調査官の活動は,非行少年の預け先と仕事捜しだ  ったといいます。高度な学問的知見の入り込む余地のない,地道で,それでいて現実に頼れ る「歩くワーカー」であったわけです。
  当時の混乱した社会情勢(戦後直後から1950年代中盤まで)の反映でしょうか。  生きる,生かすというテーマがこの家裁調査官のケースワークの最大の課題だったのかもし れません。

  家裁におけるケースワークのテーマが転換を見せるのは,高度経済成長前後からです。  それまでの家裁のケースワークが,人間の生存そのものを課題にするようなの,ある    いは社会の混乱に原因を発する社会問題をかかえた少年への現実的な対応であったのに
  対して,高度経済成長後の家裁におけるケースワークは,整備されつつあった社会資源    を活用し,個人や家族と社会環境の調整をはかりながら,非行を克服していく方向へ転    換していったと思います。

  ここで思い出してみましょう。
 ケースワークと同じグループに属する社会福祉の援助技術として,グループワークやコ    ミュニティー・オーガニゼーションという概念がありました。ケースワーク活動にこう    した技術を積極的に導入しようとしたのが,この時期の家庭裁判所だったと思います。  
  多分,現在の家裁を知っている人からみれば想像もつかないことですが,この時期の    家裁調査官は,積極的にグループワークを取り入れていったといえます。
  具体的には,家裁調査官と少年・保護者が参加した「交通事件の親子合宿」「登山」   「集団講習会」などです。この段階での 家裁のグループワークの特徴は,少年非行を     少年個人や閉じられた家族という狭い単位に対してだけではなく,同じような特徴や     傾向をもった少年や家族を社会小集団としてグループワークを行おうとしたところにあ    ります。
  同時に,この時期の家裁調査官は,積極的に地域や社会への提言や発言,啓蒙活動を    行っていたといいます。(私自身には経験がありませんが)
  聞くところによると,商業新聞での相談活動もおこなわれていたとか。
 「歩くケースワーク」から「行動するケースワーク」への転換といえます。

 ちょっと余談ですが,高度経済成長が始まり,成熟した1960年代という時代には
 何かしら可能性,社会改革を含めた可能性があったように思えます。
  「ああ,あのときこうしていれば」という言葉は歴史では禁句だそうですが,民主主    義の今の現状や司法制度,行政制度の改革など,改革が叫ばれるたびに1960年代に
 改革が行われていたらという言葉が出てくるのも,こんなノスタルジックな思いからで    しょうか。

  それはさておき,家裁調査官が親子合宿の主催や登山行事を行ったり,問題をかかえ    る人々を集めて,グループワークをすることについて,社会や司法制度の許容と援護を    受けていたことは間違いありません。
  グループワークでは「KJ法」と言った,問題分析や解決の思考訓練も導入されるな    ど,型にはまらない,多くの実践的で,試験的な試みが導入されていました。
  もし,この流れが家裁に真に定着していれば,あるいは今日の少年法「改正」論議に    みられるような,少年法への社会の誤解や「効果がない」といった批判を受けることは    なかったかもしれません。
  このタイプのケースワークの良さは,カウンセリングと異なり,社会が目に見えるか    たちで家裁の活動を検証しうるということです。「ああ,あんなことをやっているんだ」
 みんなから見える,風通しのよい活動は,いつでも人の共感を呼ぶことができるだけで    はなく,もし間違っていたら批判も可能です。当時のケースワークでは定型がなく,各
 家裁や家裁調査官個々の創意工夫の余地がありましたから,市民の批判が行われた場合
 検証し,改善する機会が比較的容易でした。
  「あれが効果がなければ,これをやってみよう」
 そんな事が可能だったわけです。
  
  こうした「行動するケースワーク」の時代は,唐突に中断されます。
 これは私見ですが,そのきっかけ(あくまでもきっかけです)となったのが60年代か    ら70年代の熱い「政治の季節」だったのではないでしょうか。

  ケースワークの第三の転機がここで始まりました。それが,現在の「改正」少年法ま    で家裁あり方をきめるような転機となったといえます。

  「政治の季節」が何故,転機となりえたか。ちょっと考えてみたいと思います。
 ケースワークという考え方は,既存の社会,既存の制度が大前提となっているからです。   もし,既存の制度や社会構造の是非を問われれば,ケースワークのもつ意味は別な意味    を持ってきてしまいます。
  この時代,社会福祉をめぐって,社会福祉の本質論争が展開されたのも,こうした「政   治の季節」が背景にあったからかもしれません。家裁における司法ケースワーク(司法
 福祉)は,福祉の中央に位置するわけではありませんが,福祉におけるケースワークを    ベースとしていること,裁判所という国家の権力作用を司る機関であることなどから,    より,難しい立場でした。

  しかし,現場サイドで言えば,学者や政治における高度な議論とは異質な感覚を持っ    ています。
  つまり,本質はともあれ,困難な状況を抱えている少年や家族がそこに存在している    ことは間違いないわけで,こうした個々の具体的な対象について,どのような援助を日   々具体的に行うかは,本質論争とは別な次元ではないかという意識はあったと思います。

  しかしながら,当時の議論を見ると,「あれか,これか」式の論理の組立が多く,ケ    ースワークも又,例外ではなかったように思います。
  この時代の評価は今後も検証されるべきでしょうが,全てを否定する(自己否定する)   極端な議論が,戦後民主主義や改革の目をつみ取った役割を忘れてはならないと思います。

政治の季節に翻弄され,家裁のケースワークが転換をとげた経過は次回で
   (理屈はまだまだつづきます。ごめんなさい)

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