家裁からの通信
(井上博道)
第0011回 (2004/04/07)
ちょっと、一息
この春,少年係から家事係の部署替えになってしまいました。
長い間,少年事件に携わってきたので,ちょっと残念な気がします。
まえの報告でも触れましたが,家裁の調査官の仕事は大きくわけると二種類にわかれます。
一つはもちろん少年部。少年非行を主な仕事の対象とするところです。もうひとつが家事部です。
家裁の調査官がドラマになるときは,もちろん少年事件ものが多いわけです。
NHKのドラマでも,家裁の調査官は,まず若い,よく走る,しばしば官僚的な上司と対立する感じで,かっこいいですよね。
その点,家事は,大人の人生の節目の争い,離婚や子どもの親権,遺産分割など人間の負の感情を扱うことが多いので,とかく暗い,地味といった印象があるかと思います。
希望にあふれるドラマになりにくい,地味な感じがあるかもしれません。
とかく,暗い・地味な印象のある職場ですが,実際はどうでしょうか。
自分の事で恐縮ですが,少年法「改正」問題にかかわる前の自分は,実は家事係調査官としての期間が長かったように思います。
人間には節目がありますよね。
生まれて,成長して,大人になって,老いてそして死んでいく。これが人間の一生なわけですが,家事事件というのは,この人生の節目ごとにおこる問題の全体にコミットメントする仕事です。
それだけに奥が深いと思うのです。
例えば遺産分割などでは,結局は物や金の争いなわけで,純粋に欲の問題と言えると思います。でも,人間というものは,欲望をむき出している自分を眺めている自分というものもあるわけですね。
「ああ,いま俺みにくいことしてるな」とか
「かっこわるいな」とか
性格によってさまざまですが,やっぱり反省する自分があるわけです。
それで,大義名分を探すのです。「あの人は,親に何もしなかった」とか,「親から,一人だけ良くしてもらっていた。自分は何もされていない」とか,「いや,自分は金が欲しいわけではないんだ」とか。
調査官の初心者は,ここに飛びつくわけですね。
「金だけではないんだ。いろいろな人生模様があるんだ」と思ってしまうわけです。ここが危ない。
実は大義名分は,自分自身の内にある,自分のむきだしの欲望を嫌悪するこころの声との折り合いという側面が強いわけですね。
むき出しの欲望の下に,何となく大義名分があって,でもやっぱりその下には欲望の顔がある。
それで最後の顔かと思えば,でもやっぱり悲しい思いやせつない人生がさらに隠れている。
まるでオセロのような世界ですが,芝居のオセロがおもしろいように,家事事件には本当に人間の深淵な内的世界があるように思います。
この通信も,少年関係だけではなく,人間の中にある深淵な内的世界についても書けたらいいなと思います。
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