No.14の記事

「全面可視化」しても「真実」が見えるとは限らない

 視聴率も高い8月31日(日)のテレビ朝日「サンデープロジェクト」は、シリーズで続けている「言論は大丈夫か」の一環として、「『一部可視化』でいいのか? ―『自白強要』と裁判員制度―」と題して、裁判員制度の問題の中で出されている警察の被疑者取り調べの一部可視化について取り上げた。これを紹介した大谷昭宏氏は「一部可視化は警察の捜査の実態を隠すことにつながり、かえって冤罪を生みかねない」と主張した。
 私も全くこの見解に同感だが、同時に、「全面可視化」になったとしても、その映像の証拠能力については、やはり慎重であるべきだと思う。「全面可視化」も要するに、捜査主体がその映像を録画するのであれば、「見えないところ」で何が起きているのかは、その映像からはわからない。どうしても、それを利用しようとするなら、例えば、弁護士の立ち会いがある映像が必要なのではないかと思う。

 ▼危険なテープ、ビデオ
 サンプロの特集では、2003年の鹿児島県で、警察が13人の市民に「踏み絵」までさせて自白を強要し、全く存在しない選挙買収事件をでっち上げた「志布志事件」を例に、事件の被害者の協力で取り調べを再現し、その一部だけがビデオで再現された場合と、全面的に再現された場合と、裁判員役の市民が自白は真実と思うかどうかの実験をした。
 その結果は、一部だけの録画ビデオを見て「自白真実」と判断した人が、全部のビデオを見ると、判断が変わる状況が明らかになり、要するに「捜査に都合の良い部分だけを録画すれば非常に危険だ」ということだった、という。
 番組では、このほか、かつて一部だけが録音された自白テープを証拠に死刑判決が下された松山事件や、編集された録音テープが自白の証拠とされた布川事件のケースについて、録音が再現され、「真実」を示しているとされた「録音テープ」が、実はウソを隠すために使われていた事実を暴露している。松山事件は「死刑」で、その冤罪をはらすのに、28年余の期間を必要とし、被告はその監視の恐怖に置かれ続けた。布川事件は「無期懲役」で服役後、29年間掛かって再審が決まったが、検察側が最高裁に再審決定の取り消しを求めて特別抗告中だ。
 インターネットが出てくれば、インターネットに載っているものは全部正しいと信じ込む人が多いのと同様、聴かされるテープの音や、目の前で見せられた映像は、あたかもその場に自分がいたかのような錯覚を生じさせる「魔物」だ。
 しかし、それは「つくられた真実」であり、「真っ赤な偽り」だったのである。
 この番組では、松山事件、布川事件のテープが紹介されている。しかし、今後「証拠の目的外使用」が問題にされるようになってくれば、確定前の事件について、冤罪主張のための証拠の報道が難しくなりかねないことも、改めて指摘しておきたい。

 ▼取り調べ段階からの弁護士の関与を
 新聞記事でも同じだが、テレビの映像もラジオの音声も、数限りなくある問題や、ある人の行動の一部を一定の見方、考え方で拾い上げた「断片」に過ぎない。カメラを何台置いたにしても、その「死角」で何が行われているのかはわからないし、「今日の調べは終わりました」と言われた後で、何があるのかは、少なくともビデオではわからない。
 警察官が供述証書を読み上げ、「間違いありません」と被疑者が頷いて署名するシーンが映されるとすれば、それはどうみても、検察の主張を補強することにしかならないだろう。「一部可視化」はまさに、有罪のためのものでしかない。
 新たに開発されたメディアには、常に落とし穴があり、「真実に近いもの」を伝えることも「真実に見えること」「真実と思われること」も伝えることはできるが、「伝えているのは真実そのものではないこと」を確認しなければならないのであり、「慎重な扱い」が必要なことは、いくら強調されてもされ過ぎることはない。つまり、この番組の場合は録音テープやビデオテープだったが、その意味では、街に氾濫する「防犯カメラ」の映像も、「携帯電話」のいろんな技術も、常に「真実を映し出している」とは限らない。
 こうした問題に本気で取り組み、捜査段階での自白の誘導を含めた人権侵害を解消していくために必要なのは、捜査段階からの弁護士の立ち会いだと思う。その立ち会いがない限り、証拠として採用できないようにしていくくらいの運動を弁護士が中心になって進めることが必要なのではないかと思う。弁護士会の「全面可視化」の主張は、「一部可視化」への反対という意味はある。しかし、全面可視化の要求の背景には、当番弁護士制度を含めた「取り調べ段階での立ち会い」が基礎的な要求としてあるからだ、という論理に立つべきではないかと思う。弁護士の数だって、そのためには十分ではないのかもしれない。
 「裁判員制度」の中で、「わかりやすい裁判」「迅速な裁判」が求められ、刑事裁判の最も重要な要素である「真実の発見」がなおざりにされてしまわないか?
 「裁判員制度」は、これだけ問題が出てきている制度だ。政府も、裁判所も、日弁連も、一度中止して検討し直す余裕がなぜないのか? 不思議でならない。