No.17の記事

一層求められる人権感覚 裁判報道を考える指針

    書評■「裁判員制度と知る権利」梓澤和幸ほか編著

 裁判員制度とは一体何か? 裁判に市民が参加するというのはどういうことか? 具体的に何がどう変わるのか?
 著者らは5月21日から始まる裁判員制度について「知る権利」と「言論表現の自由」の視点から問題提起した。
 著者の一人、田島泰彦上智大教授は「表現・メディア規制という広い文脈の中で考えてみる必要がある」と提起する。確かに当初案には「偏見報道」の規制があった。最高裁参事官は具体的に7項目を上げて「犯人視報道」を批判した。その圧力にメディアはそれぞれ自主ルールを決めた。
 なぜ、裁判員になることを国民に強制できるのか? 「評議の秘密」は罰則で臨むべきことなのか? 公判前証拠整理とは何か? 短時日の心理で被告の人権や弁護権は大丈夫か? そんな問題は抜き。メディアも推進に走った。
最高検幹部は質問に答え、「刑事司法に社会的背景を解明する役割があるとは思わない」と答えたそうだ。それで刑事裁判の原則は守れるのか?
 制度が始まれば、「精密司法」と違い、証拠は「必要」とされたものだけに「整理」され、法廷は「演出」でわかりやすくなるだろう。しかし、これが「落とし穴」だ。
裁判員制度下の裁判報道には、例えば「無罪推定の原則」とか「疑わしきは被告人の利益」といった人権感覚と、「知る権利」や「表現の自由」を常に考える憲法感覚が一層求められるはずである。冤罪を生まないために、法廷を「劇場」にしないために、報道の責任は重くなる。改めてそれを考えさせる本である。

※日本ジャーナリスト会議機関紙『ジャーナリスト』4月25日号から転載