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家裁からの通信

(井上博道)
第0008回 (2004/03/15)
交通講習今昔(いまむかし)

ちょっとこんな文章をある紙面に書いてみました。
少年事件では一般の事件(窃盗や恐喝その他)と交通事件(道路交通法違反、業務上過失傷害)があります。交通事件は数が桁違いに多いこと、また、業務上過失傷害については、
過失性が高いことなどから、集団で集まり、講習会を開いて終了させることができるようになっています。
 学校の先生みたいなことをするので、なかなか大変ですが、たとえ短い講習でも、最後にはみんなが生徒のように見えてくるから不思議です。

           交通講習今昔(いまむかし)
                   家庭裁判所調査官 井上 博道
久しぶりに交通担当となりました。家庭裁判所調査官の仕事の中で交通事件の処理はちょっと変わった位置にあります。昭和30年代にはどうやら交通事件も他の一般事件と同じように個別面接処理をしていたらしいのですが,その後の高度経済成長の中で,バイクを中心に少年たちの交通人口というものが急速に増加していったことから,大量処理を可能にする集団処理方式,つまり交通講習という手法が一般的になり現在に至っています。
 暴走族という名前が一般的になる前は,「カミナリ族」といった名称が使われていた時代もあったようです。当時の少年たちは,まだ今のように反社会的集団として組織化される前の段階で,それでも大人からみれば,爆音をたてて走る少年の姿には,戦後日本の復興や発展の鬼っ子というようなイメージがあったと聞きます。
 私が最初に交通事件の処理を始めたのは,今から18年前の宇都宮家庭裁判所少年部の時でした。当時は速度違反の反則行為が20キロ未満でしたので,交通係の仕事は毎日が送致される大量の事件をどのように処理するかということでした。
 それでもまだ20歳代前半であった頃でしたので,実は交通事件は嫌いではなく,事故や違反の多種多様な記録を見ることに喜びすら感じていたのを覚えています。当時の交通調査官の交通講習のメインは,交通事故の分析を取り入れた方法でした。黒板におもちゃの車や信号機,バイクを貼り付け,あるいは模造紙に事故の概要を書いて,事故がなぜおこったのか,その事故をおこした運転者はどこで間違ったのかといった講義をするのが交通調査官の仕事だったのです。当時の調査官の世界では,カウンセリングや精神分析といった手法が大流行の頃でしたので,交通係の調査官はちょっと引け目を感じつつも,「自分たちは現実に起きていることを解明して教育しているのだ」と人知れず胸をはったものです。交通係の調査官には専門知識が要求されましたので,皆が普通乗用車はもとより,自動二輪車の免許は必須,そして中には大型,牽引といった少年事件ではこないような免許まで取得する豪の者まであらわれたくらいです。また,今となっては古めかしいのですが16oの映写機を駆使し(ついでに16o映写機の技術講習も必須でした),事故のドキュメント映画を利用していました。
 それから幾星霜を経て,再び交通係になってみると,その頃の懐かしい思い出がよぎります。現在の交通係でも交通講習は非常に重要な位置づけになります。当庁でも全体の八割は交通講習で処理されるのですから,なおさら交通講習の位置づけは重要です。現在では交通講習は様変わりし,事故関係は行政講習がもっぱら行い,家庭裁判所では刑事上及び民事上の責任を説明することが多くなりました。つまり,罰と賠償の問題ですね。最近はここに交通事故被害者の問題を取り上げています。16o映画がビデオに,ビデオの内容はかつての事故のなまなましい現場から人の情感に訴える内容に変わりました。
 昔を知っている者は,なんとなく,現実で起きている事故や違反の生々しさが薄れいくようで淋しいのですが,これも時代の流れかと思っています。そういえば,かつての交通講習の会場には事故で指や腕,片足を失った少年が多く参加していました。当時のバイクや自動車は,人の安全以上に車の性能を追究するようなところがありましたので,現在のように自然にも,人にも優しい構造やしくみはもっていなかったのです。その意味では交通講習の中心が事故分析から責任へに変化していくのは当然のことであるかもしれません。でも,事故がおこす遺族や当人の苦しみや悲しみは少しも変わっていません。交通講習でこのことだけは忘れず伝えようと思っています。

(次回から、調査官の仕事について書いていきたいと思っています。)

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